

クラークの三法則とベイズ推論
Clarke’s Three Laws and Bayesian Inference
今年もまた猛暑の7月を迎えました.7月といえば,アポロ11号が月面に着陸したのが,今から57年前の1969年7月でした.着陸の瞬間を伝えるCBSニュースのスタジオで,コメンテータとして出演していた人がいました.イギリスのSF作家アーサー・C・クラークです.なぜ彼が呼ばれたのか.それは,月面着陸の成功を,なんと20年前に予測していたからです.
さて,そのクラークが提唱した「三法則」を御存じでしょうか.
■第1法則:高名だが年配の科学者が「それは可能だ」と言うとき,その主張はほぼ確実に正しい.しかし「それは不可能だ」と言うとき,その主張はほぼ確実に間違っている.
■第2法則:可能性の限界を発見する唯一の方法は,不可能と思われる領域へ少しだけ踏み込んでみることだ.
■第3法則:十分に発達した科学技術は,魔法と見分けがつかない.
第1法則の例として,コンピュータ黎明期に,IBM創業者で当時70歳に近づいていたトーマス・J・ワトソン氏が「コンピュータは全世界でせいぜい5台ぐらいしか売れないだろう」と語ったという逸話があります.IBMはこれを誤引用だと否定していますが,象徴的な話として広く知られています.
第2法則の例として,音の壁の突破が挙げられるでしょう.かつては,飛行機が音速に近づくと激しい衝撃波で機体がバラバラになると信じられ,マッハ1が物理的な限界だと考えられていました.しかし1947年に実験機ベルX-1が,あえてその速度域に挑んだところ,予想されていた激しい振動はなく,音の壁は意外なほどあっさりと突破されました.不可能と思われていた領域へ少しだけ踏み込んだことで,音速は壁ではなく,単なる通過点にすぎないことが明らかになったのです.
第3法則の例は枚挙にいとまがありません.スマートフォンしかり,インターネットしかり,ディスプレイも半導体も.それらが存在しない時代に生きた人からすれば,正に魔法と区別がつかないことでしょう.
さて,テクノロジーで未来を切り開こうとしている私たちの前にも,不可能そうで魔法と見分けがつかない技術があります.汎用AIや量子テレポーテーションや核融合発電がそうでしょうか.これらをベイズ推論的に捉えると,専門家が第1法則どおり不可能と言うのは,その技術に対する事前確率が極めて低いことを意味します.次に第2法則どおり,僅かではあっても不可能と思われていた領域を超える事実が観測されたとしましょう.事前分布が想定していなかった現象が現れ,私たちの予測との誤差が非常に大きくKLダイバージェンス (*)が増大した状態になります.その結果,その技術は魔法と見分けがつかないほど驚くべきものとして第3法則のように受け取られるのです.一方で,ベイズ更新の観点からは,その現象を説明する仮説の事後確率は大きく上がり,私たちの見方は大きく更新されます.
私たち電子情報通信学会会員は,学会の持つポテンシャルを大いに活用することで,クラークの三法則とベイズ推論から学ぶ以下の三つを実践していきたいものです.
■第1法則を恐れるな:不可能と決めつけず,極めて低いがゼロではない事前確率として扱い,柔軟に見直していこう.
■第2法則に挑戦しよう:事前分布の裾野にある可能性を小さな実証で確かめよう.ただし無謀な飛躍ではなく,慎重な一歩が大きな更新を生む.
■第3法則のようなインパクトを実現しよう:魔法のように見える技術でも,観測可能な証拠と説明可能性を積み重ねれば,社会をより良く変えていけるはずだ.
(*)KLダイバージェンス(Kullback-Leibler Divergence):二つの確率分布の違いを測る指標.

