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第二次世界大戦後の世界では,先進国が途上国の社会経済的な発展を支援する開発援助・国際協力という枠組みが成立した.そこで知識は常に重要な位置を占めてきた.例えば,経済中心の開発パラダイムに対して国連開発計画(UNDP)が1990年から提唱する「人間開発」(Human Development)は,開発の基本的な目標を「人々が各自の可能性を十全に開花させ,それぞれの必要と関心に応じて,生産的かつ創造的な人生を開拓できるための選択肢を拡大すること」としている.そして,人間開発の基本的な側面として,健康で長生きできること,知識を得る機会があること,人間らしい生活を送れること,の三つを挙げ,その実現のための環境の創出を開発の重要な課題としている(1).当然,情報環境の整備や改善は人間開発の重要な柱であり,情報を得て活用するための技能,いわゆるリテラシースキルは上の三つの側面の全てに関わるライフスキルの一つである.
20世紀後半の世界では主たる情報技術は印刷とラジオやテレビなどのマスメディアであったが,先進国と途上国の間に質と量の両面で大きな格差が存在し,その克服は国際協力の重要課題であった.しかるに,2000年代に入ると,ディジタルネットワークが途上国にも普及するようになり,世界人口の大半が携帯電話を持つようになった.人々の情報に対する欲求の強さには今更ながらに驚くばかりだが,ただし,ディジタルネットワークの普及が直ちに人間開発を促進する情報環境の改善を意味するわけではないし,そこでのリテラシーの在り方も自明に定まるわけでもない.むしろ,変化し続ける情報環境に応じたリテラシーの問い直しが求められるようになっている.
筆者は,まだ紙とインクとペンが主な読み書きの道具であった1990年代以来,主にラテンアメリカ諸国の開発プロジェクトを通じて途上国のリテラシー問題を研究してきた.本稿では,ICTの世界規模の普及を踏まえて,途上国におけるリテラシーの現状と近未来を考察する.
リテラシーという言葉は,もちろんICTの台頭以前から存在する.印刷物を主な対象として念頭に置きつつ,「情報の取得,分析,表現,伝達のために視覚を活用した道具を使うこと,そのための技能」というイメージが緩やかに共有されていた.しかしながら,先進国の成功体験から作られた基礎教育やリテラシー教育の処方箋は,途上国ではなかなか期待どおりには効果を発揮しなかった.そして,具体的なライフスキルとしてのリテラシーの議論になると,共通性よりも個々の状況の特殊性が重視される傾向が強く,議論も混乱気味であった(2).
と言っても,同じホモサピエンスが同じような人工物を扱っている以上当然ながら,生得的な認知能力に差があったというわけではない.リテラシーに関する共通了解が難しかった大きな要因は,途上国において基礎教育,政府,産業,市場などの間の好循環がなかなか起きないという状況にあった.「鶏が先か,卵が先か」的な循環的因果のジレンマであるが,その深刻な帰結の一つは信頼に値する文書のネットワークが形成されないことであった.それは例えば,現地語の不安定な正書法や読みづらい図表であり(2),また,法制度によって財産権が保証されない(3),司法やジャーナリズムが成熟せず汚職や契約不履行が野放しにされる(4),などの事態であった.
これらの機能不全は,おのずと手元の文書への信頼を損ねることにつながる.そして,信頼の低さは,より分かりやすい表現を心掛ける,送るべき相手に着実に送り届ける,受け取った文書を丁寧に読み解く,将来の参照に備えて体系的に保管する,などの努力へのインセンティブを損ない,むしろ文書を使う以外のライフスキルへと人を向かわせることになる.結果として,住民のリテラシースキルも文書の質も向上せず,開発への効果も限定的なものとなってしまう.
こうして列挙してみると,自分がこれらの作業をどこまで確実にこなせているだろうか,と不安になってくるが,正にそれらのプロセスがかなりの程度まで制度化,標準化,自動化し,各自が余りコストを掛けなくても済むのが先進国での読み書きであり,私たちのリテラシーはそのような制度的・技術的環境に最適化されている.そして,個人の生存戦略の一環として選択された行動が累積した結果が慣習的行動となり,その集合的展開が再び,情報環境に影響を及ぼしていくことになる.
印刷物やマスメディアから構成される20世紀の情報環境下では,多くの途上国にとって文書ネットワークの低均衡状態からの脱出は容易なことではなかった.しかし,ICT,特にディジタルネットワークの普及は,少なくとも技術面では状況を劇的に変えつつある.新しい読み書きのツールである携帯電話やスマートフォンに関しては,先進国との品質ギャップはかつてより小さくなり,しかも互いに接続されている.
もちろん,いまだICTにアクセスがない人々も少なからず存在し,アクセスできる情報量の格差はむしろ広がっているという指摘もあるが(5),その一方でスマートフォンの機能拡張によって,目(読み)と指(書き)以外を使ったコミュニケーションの領域も広がりつつある.これらICTの普及が投げ掛ける問いの広がりを踏まえた上で,以下では,途上国におけるリテラシーの変容について考えていく.最初に,ICTの普及がもたらした情報環境の変化を見ていこう.
今日のICTの世界的な普及の中心にあるのは,「ターボチャージされた多面的プラットホーム(turbocharged multisided platform)」と呼ばれる企業群である.多面的プラットホームとは,小売店と消費者の間に立つクレジットカード会社のように,異なるタイプの顧客同士のマッチングを促進する企業である.経済学者のEvansとSchmalenseeは,2000年代以降,急速に成長してきた多面的プラットホームを支える技術として以下の六つを挙げる.①より強力なコンピュータチップ,②インターネット,③WWW,④ブロードバンド接続,⑤プログラミング言語とオペレーティングシステム,⑥クラウドコンピューティング(6).
ここで注目すべきは,途上国在住であってもこれらの六つの技術にアクセス可能になりつつあること,そして,中国のAlibabaやケニアのM-Pesaのように,それらの技術を駆使して数年のうちに急速に発展し,世界的に知られるようになった途上国発の多面的プラットホームが存在することである.いずれも同種のビジネスが先進国で苦戦している間に途上国で成功した「かえる飛び(leapflogging)」の実例として注目を浴びている.EvansとSchmalenseeによれば,多面的プラットホームは同時進行で複数の事業を展開しなければならず失敗する可能性が高いが,ICTでターボチャージされた多面的プラットホームが一度成功すると,社会に及ぼす影響は極めて大きいという(6).
そして,その影響は必ずしもポジティブなものになるとは限らない.世界銀行は,膨大な社会経済データの分析に基づき(これらもICT普及のたまもの),巨大なプラットホームの登場の一方で,ディジタルデバイドの拡大が進み社会の不安定化リスクが高まっていることへの警鐘を鳴らしている.また,これまでのところ,e-governmentなど公共セクタの取組みは多くが失敗しているという.そして,ICTを開発に活用するためには,規制(regulations),技能(skills),制度(institutions)から構成されるアナログ基盤(analog foundation)の強化が必要であると結論付け,情報格差の解消,企業間の公正な競争の促進,ICTに関する人材育成などを呼び掛けている(5).
このような巨視的状況を踏まえると,今後,途上国で人々が持つべき「ディジタル」リテラシーとはどのようなものだろうか.私が注目するのは,世界銀行が提唱するアナログ基盤が規制,技能,制度の3要素から成ることである.つまり,「鶏か卵か」の悪循環を脱するためには,リテラシースキルの強化を規制や制度とセットで進めることが必要ということになる.
実際,私がJICAの有識者委員会委員を務める中米カリブ地域生活改善アプローチの情報共有・可視化システムSIMEVI(Sistema de Información de Mejoramiento de Vida)の構築,運営においても,同様のアプローチを採っている(http://www.mag-jica-emv.net/ ).詳細は別稿に譲るが(7),その要点は,生活改善グループが普及員と共同で日々の試行錯誤を捉えたディジタル写真と説明をインターネット上に蓄積し,様々なスケール,次元で分析,可視化することにある(図1).
システムの基本設計やデータマイニングに関する助言や支援は,同じく有識者委員を務める美馬秀樹東京大学准教授が担当している.2015年以来,コスタリカ共和国農業牧畜省と合同でシステム構築を進めており,2017年6月現在,SIMEVI1.0が稼動中で,2.0に向けた作業も進んでいる.中長期的には中米カリブ諸国での利用も視野に入れているが,SIMEVIが機能するためには,コスタリカ国内に限っても多様なステークホルダーの関与が必須である(表1).
プロジェクト全体に共通の,また各ステークホルダー固有のリテラシースキルがあり,特に生活改善グループに期待されるのはスマートフォンやPCを使った写真撮影と説明文の作成である.正にSIMEVIのコアとなる情報であるが,それらが活用され生活改善の進展につながるためには,個別の技能強化のみならずステークホルダー間の連携によるICTにふさわしいアナログ基盤の維持と強化が必須である.
ICTが普及する世界は利便性とリスクが共に指数関数的に増大する世界だが,同時にネットワーク化されることによって幅広い経験から学ぶ機会が増える世界でもある.リテラシースキルに関しても,2000年代以降の世界的なICT普及を通じて,アナログ基盤の構成要素の一つとしてより立体的に捉えられるようになったことは重要な進展である.
リテラシーが思考の表現や伝達のための技術に関わる概念である以上,技術の変化と連動しつつその意味や在り様が変わっていくのは自然な展開である.変化がより穏やかだったとはいえ,印刷技術に関してもそれは同じであった.しかしながら,強力なコンピュータチップやインターネットが世界にもたらした変化はかつてないほどに大きい.途上国も含めて多くの人々がICT機器で読み書きするようになった今日,そのようなリテラシーにあえて「ディジタル」という限定辞を付ける必然性も薄れつつある.それほどまでに,人々と電子情報通信技術の距離は狭まり,関係も濃密になりつつある.
もちろん,ディジタルネットワークでつながり始めたからといって,近い将来に先進国と途上国の差異が消滅するということはないだろう.世界銀行報告書に見たように,アナログ基盤における差異は歴然として存在しており,その強化には時間が掛かる.しかし,ICTを通じて世界の捉え方は変わりつつあり,その帰結として,対処法も変わっていくだろう.他方,先進国においても,ICTの発展に合わせたアナログ基盤の更新は,常に取り組むべき重要課題である.
そのような21世紀の世界で人々が身に付けるべきリテラシースキルは,先進国か途上国かを問わずおのずと文理横断的なものになる,と私は考えている.確かに,従来の文理横断的な知は単なる掛け声倒れが少なくなかった.しかし,ICT機器との濃密な関係は,人間と人工物(認知,アルゴリズム,ヒューマンインタフェース),声と言葉(音声処理),意味と計算(自然言語処理),記号と図(多変量解析,可視化),部分と全体(統計,グラフ理論)などについて,文理両方の知見を生かしつつ実践的に考えるための豊かな経験を私たちに与えてくれる.既に,新たなリテラシー構築の基礎となる分野横断的な研究も進んでいる.
例えば,Tallは数学的思考の発展を「概念的具象化」「操作的記号化」「公理的形式化」の「数学三世界」の統合プロセスとして提示し,思考の高度化の過程を数学史と学習過程の二つのスケールを織り交ぜて論じている.文理横断的なリテラシーにとって特に重要なのは,この研究が数学の理解に困難を覚える学習者の情意(数学不安:math anxiety)にも注目し,その支援策としてコンピュータグラフィックスの役割を論じていることである(8).
また,三中は,人間の思考におけるダイアグラム(図形言語)の役割を,過去1,000年の文化図像史を縦糸,現代離散数学の成果を横糸として論じる.そして,多変量,高次元の大量データ統計グラフィックスを適切に読み解くためには,その数学的「骨格」と各データ固有の存在論的「肉付け」の両面を見据えたリテラシーが必要であることを,生物体系学における分類と系統をめぐる様々な可視化の試みを例に論じている(9).
このような分野横断的なリテラシーを共有する人々が育ってこそ各地域のアナログ基盤も機能し,また,ICTに対しても積極的,生産的なフィードバックが可能となる.21世紀のリテラシー構築に向けて,文系サイドからいささかなりとも貢献できれば幸いである.
(1) Human Development Reports,
http://hdr.undp.org/
(2) 中村雄祐,生きるための読み書き―発展途上国のリテラシー問題,みすず書房,東京,2009.
(3) H. De Soto, The Mystery Of Capital, Basic Books, 2000.
(4) Transparency International,
https://www.transparency.org/
(5) World Bank, World Development Report 2016: Digital Dividends, 2015.
(6) D.S. Evans and R. Schmalensee, Matchmakers: The new economics of multisided platforms, Harvard Business School, 2016.
(7) T. Kozaki and Y. Nakamura, The Evolving Life Improvement Approach: From Home Taylorism to JICA Tsukuba, and Beyond, JICA研究所,東京,2017.
(8) D. Tall,数学的思考―人間の心と学び,共立出版,東京,2016.
(9) 三中信弘,思考の体系学―分類と系統から見たダイアグラム論,春秋社,東京,2017.
(平成29年5月30日受付 平成29年6月19日最終受付)
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