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モデレーター
山崎俊彦 (東京大学:情報・システムソサイエティ技術会議幹事)
出 席 者
井原雅行 (NTT:サイバーワールド研専)
大澤博隆 (筑波大学:クラウドネットワークロボット研専)
小山田雄仁 (鳥取大学:医用画像研専)
服部宏充 (立命館大学:人工知能と知識処理研専)
森勢将雅 (山梨大学:音声研専)
山田智広 (NTT:ライフインテリジェンスとオフィス情報システム研専)
(平成29年3月24日 名城大学において開催)
[山崎] 皆様,お忙しいところお越し頂きありがとうございます.始める前に皆さんのバックグラウンドを教えて頂ければと思います.
私は東大の山崎と申します.専門は画像処理や映像解析などです.最近はそれに機械学習なども交ぜて,婚活の研究などを行っています.それ以外にも私自身は人間が何となく感じている人や物,サービスなどに漠然と魅力を感じると思うのですが,それをきちんと定量化できないかと考えています.エンジニアリングの力で魅力を数値化・定量化し,なぜかという理由の説明もし,もっと魅力的にするにはどうすればいいだろうというようなことをしています.婚活以外に,例えば聞いている人に刺さるプレゼンとは何なのかとか,皆さんはSNS上の「いいね!」を気にされると思うのですが,実は「いいね!」数を予測することができ,人工的に増やすこともできますというようなことを行っています.
今日はコーディネーターをうまくできるか分かりませんけれども,どうぞお付き合い頂ければと思います.
[井原] NTTの研究所の井原といいます.サイバーワールド時限研究専門委員会(CW)と書いてあるのですが,時限なのに10年以上,継続,継続と言ってずっと行っている研究専門委員会で,技術的な専門分野はありません.毎回テーマを決めて応用領域を扱う研究専門委員会です.私自身は元々,ヒューマンインタフェース,ヒューマンコンピュータインタラクションが専門です.若干,認知心理もかじりつつ,UIをいかに設計するかというようなところに興味のある人です.
[大澤] クラウドネットワークロボット研究専門委員会(CNR)の推薦で来た大澤です.クラウドネットワークロボット研究専門委員会はネットワークロボット研究専門委員会から発展した研究専門委員会で,これからクラウドという形でオンライン上で処理できる情報が増え,クラウドとネットワークとロボットをつないだときに何が可能となるかを検討する研究専門委員会です.
研究の範囲は幅広いのですが,私自身の研究テーマはヒューマンエージェントインタラクションです.非常にざっくばらんに言うと,人間と人間らしく見えるものとのインタラクションを設計する学問で,理論的な分析やインタフェースの作成,対人評価を行っています.特に人間と接するところに関心があり,社会的に人の心がどう変わり得るかということも含めて,研究対象としています.今,東大の江間さんと服部さんでリーダーをされているAIRという,人社系と理工系の人が集まった団体に入っており,例えばロボットと倫理学の話を議論しています.
また,最近は人工知能学会でSFと研究をつなぐという試みを行っています.例えば,SF作家に人工知能に関するテーマの小説を依頼し,その小説のテーマに沿った研究者に解説を依頼する,と言う形のサイエンスコミュニケーションです.また私は「人狼」というパーティーゲームを解く研究団体に入っているのですが,その副産物として,東大の鳥海先生と一緒に人狼ゲームの結果を小説にする企画も行いました.
[小山田] 医用画像研究専門委員会(MI)から推薦されて来た小山田です.けがや病気で病院に行き,けがや病気の種類や治療のプロセスによってデータを取り,お医者さんがレントゲンなどの医用画像で診断したり,治療計画を立てたり,手術中にも参照したり術後経過を見たり,いろいろなところで医用画像が使われるのですが,それを機械に処理させ医師の診断の役に立つ情報を抽出する診断支援などに関する研究会です.恐らく,他の研究専門委員会もそうだと思うのですが,最近注目されているディープラーニングや関連する機械学習系の技術を当たり前のように使わなければ駄目だとひしひしと感じています.
私自身,医用画像処理は幾つか並行して手掛けている研究プロジェクトの一つです.元々コンピュータビジョンや画像処理のような分野,画像・映像からの認識や理解という分野で研究しています.ちょうど博士号を取るあたりで実問題を解かなければいけないと思い,一つのトピックとして医用画像処理に取り組み始めました.
あと拡張現実にも取り組んでいます.映像を認識して何か付加情報を与えるのですが,ただ何かを表示するのではなく,使う人に理解しやすいもの,分かりやすいもの,その一歩先を行くような表示方法がうまくできないかということに取り組んでいます.
[服部] 立命館大学の服部といいます.私は人工知能と知識処理研究専門委員会(AI)からの推薦です.AIということですが,懐の広いおおらかな幅広いテーマを扱っている研究会です.今年度のスケジュールを見ると,文化やデータ,Web系,人間共生システムなどが含まれます.
私自身はAIの中で,マルチエージェントシステムをかれこれ15~16年研究しています.マルチエージェントシステムは基本的には概念,パラダイムなので,社会シミュレーションに適用していますが,ずっと現実との乖離に悩みつつやっています.現実に近いかというと,それぐらいのモデルで現実を表せるわけがないとも言え,現実そのものでないというと,では実問題に使えるのかという,その狭間で試行錯誤をしています.
しかし,先ほど小山田さんのお話にもありましたが,実問題に適用していくことが重要であり,行政に使ってもらえるようなツールを目指し,主に交通をフィールドにしてきました.交通施策を検討するときに,事前検証の限界と,最後は勘や経験に頼って決めている印象を受けました.何年か前,京都でわりと話題になったのですが,一番交通の激しい片側2車線の目抜き通りを1車線にしてしまって大騒ぎになったのです.それに関係したある大学の先生の「今にして思うともう少し考えて行った方がよかった」という発言を聞いて少々驚いたのですが,結局ツールがないのです.人間の知恵と勘と経験でしているので,それをシミュレーションという技術で支援しようとしています.
現実的なことをしようと思うと今度はデータがいるのですが,私の研究ではデータがないということに直面しています.データがたくさんあると言われている中,データがありませんと言いながら研究しなければいけないというのが,今の私の活動です.
[森勢] 音声研究専門委員会(SP)から参りました,山梨大学の森勢です.
本研専では音声に関する幅広い領域に取り組んでいます.音声認識,音声合成,実際に声を聞いて何を感じているかという音声知覚,あるいは,声帯や声道に相当するハードウェアを作って物理的に音を発生させる音声生成と呼ばれる領域というように,多面的に音声の研究をしています.
これらの研究では,追求する内容が異なることも多く,音声認識では,音声波形から個人性を取り除き,テキストに関する情報だけを残すことが主な研究トピックですが,逆に音声合成では,誰が話しているか等の個人性がむしろ大切になってきます.
私自身はそういう音声を構成する要素,例えば高さや音色などの物理的なパラメータを取り出す信号処理の研究をしています.最近はAIを使う話も多いのですが,私はあえてアンチ人工知能という立場でして,信号処理を貫いていこうと思っています.私の勝手な未来予想としては,いずれまた信号処理に揺り戻しが来ると思っています.ディープラーニングはGoogleやMicrosoft,Appleなどにデータ量で勝てるわけがないと思います.以上が基礎的な研究です.
応用的な研究としては,声を聞いてどういう印象を持つか,魅力的な声とは何かという,魅力の定量化に近いことを考えています.例えば面接で自己紹介する際,相手に好印象を与えるためにはどうしたらいいかなど,発話トレーニングに役立てることを考えています.従来から音声認識を使って,言っている言葉が間違っていないか確認するシステムはあるのですが,むしろ,多少言い間違ったとしても,与える印象はそんなに悪くならないことを経験的に感じております.そういうところをどう調べればよいかということに興味があり,私がこれまで作ってきた基礎的なツールを使って分析しています.
[山田] 研究会の名前が少し長いのですが,ライフインテリジェンスとオフィス情報システム研究会(LOIS)の山田です.長くなったのには理由があります.昔はオフィスインフォメーションシステム研究会(OIS)だったのですが,ライフログが注目されていた8年前に,こういう名前に変わっています.山崎先生のお話を伺っていてお会いした時期を思い出そうとしていたのですが,昔研究会でお会いしたかもしれないと,今やっと思い出しました(笑).
最近の研究会の中での話題としては,元々ライフログに注目していることもあり,例えば人の行動ログ,GPSや様々なオンラインサービスの利用ログなどを使った研究や,最近ではオープンデータとそれらのログを組み合わせる取組みとして,LODを使った研究等も多くなってきています.ただ,LODも先ほどのデータの悩みが付きまとっており,どうすれば地域特有のデータを集められるかということが一つのトピックになっています.
信号処理という観点では,心電や筋電などの生体情報の分析や画像処理の自動運転への適用も話題になっています.都市設計に関連して,都市の中の人とモビリティの共存も一つのテーマになると思っています.
実は,私の最近の研究はどちらかというとCNR研究専門委員会に近く,大澤先生とはそちらでお会いすることの方が多いのですが,主にロボティックス関連に取り組んでいます.ロボットの中でも特に私どもが興味を持っているのが,1体のロボットではなく複数のロボットを連携動作させることによって,人の行動や感情にどういう影響を与えることができるのかということであり,そのベースとしてR-env:連舞(れんぶ)という技術を開発しています.また,音声の認識・合成,あるいは画像処理も組み合わせながら,技術開発と併せてビジネス化にも取り組んでいるところです.
[山崎] ありがとうございます.
さて,皆さんは今回寄稿頂いたお三方の原稿は,どのくらい読んできて頂いていますか.お三方共に共通する話題はなかったように思います.お三方のうち二人が共通して言っている話題が,私の理解では二つあったと思っており,一つが能力の拡張と共有が重要だということです.これは原さんと冲方さんがおっしゃっており,例えば能力を拡張して共有することが格差の解消につながるとか,知識を集約することにつながるなどという話があったと思います.
もう一つの共通事項としては,阿部さんと冲方さんがおっしゃっていた社会全体の最適化です.先ほど,服部先生から交通というお話もありましたが,くしくも阿部さんも冲方さんも社会システム全体の最適化は今後できるはずだし,しなければいけないのではないかとおっしゃっていたと思います.社会の最適化となった瞬間,今はやりの言葉で言い換えるとIoT,膨大なセンシングと集約,クラウドで何かしようとか,データが集まれば今度はAIで,大量の経験を全部まとめて一般化しようという,もしかすると最初の能力の拡張と共有にかぶる話かもしれませんが,そういうことにつながっていくと思います.
それ以外に共通の話題でなくても,お三方とも興味深いお話をされていたので,それについては後で議論させて頂くとして,最初に今挙げた二つについて議論しようと思います.
[山崎] 最初に議論したいのは能力の拡張と共有という話と社会全体の最適化です.私は能力の拡張と共有にすごく興味があります.なぜかというと,能力の共有は今始まった話ではなく,Googleもそれをしようと目指していたのです.世界中にテキストで散らばっている知をまとめるとGoogleになってしまったという,それはもっと進むのかとか.原さんは必ずしもその文脈ではなかったかもしれませんが,そういうことができるようになると英語すら使われなくなるだろうと.AIを使えば自動翻訳できるし,英語を話せることがインセンティブではなくなり,もう少し違う独自の文化を守るための方向など母国語に戻るようになるのでしょうかね.
[森勢] 確か母国語に回帰すると書いています.
[山崎] はい.また,能力の拡張と共有ができれば,国と国の格差や富める者と富めない者の格差など,狭まるのか狭めるべきなのか分かりませんが,原さんや冲方さんは技術の発展は格差の解消に向かうべきと.その一例として自動運転などもあるというお話があったかと思います.
このときに思うのが,私の勝手な興味なのですが,例えばその時代に求められる教育とは何なのでしょうか.英語が要りませんとなったときに,これから生き残っていく中で,未来に行く上で,どういう才能・教育が求められるのか興味があります.
私は論理力と数学力だと思っています.論理力というのは,きちんと人と破綻なくコミュニケーションできることです.数学力というのは,万人に必要かどうかは別にしても,少なくとも我々の分野の人たちにとって見れば欠かすことのできない基礎能力の筆頭だと思っています.先ほど森勢先生から信号処理に揺り戻しが来るというお話がありましたが,よりファンダメンタルなものこそ重要だというお話だと思うのです.
[森勢] そうです.
[山崎] そういう意味で学問とファンダメンタルの一つが数学だろうと思っています.ですから,私は論理力と数学力だと思います.それから,私は少なくとも原さんの記事を読むまでは,英語はなくならないと思っていましたので,それに加えて英語の三つが大事だとずっと言ってきたのですが,教育でなくても何か.今,雑多に発言してしまいましたが,皆さんに思うところがあればお願いします.
[大澤] 私もこれを読んでいて,お三方それぞれ専門分野からの視点が多いと思いました.特に原さんは技術と社会ということをすごく突き詰めて考えられており,ベンチャーキャピタルの方ならではの視点だと思いました.
英語が使われなくなるかということに関して,私は少し疑問があります.というのは,これは森勢さんの方がお詳しいかもしれませんが,言語は一方で思考の道具だと思います.母国語で考えることと,それとは別に共通語を持っておくことは,どこかでフレームとしては残るような気もしています.
もう一つ,未来に必要な能力として考えられるのは,どちらかというとコミュニケーションのための説得の力です.要するに,相手の意図を酌んで自分の意図を伝える能力などは,今後も継続的に求められる気がしています.
人間の論理力や数学力に対しては,技術的なサポートをすることが可能です.分からないことがあったとしても,すぐサジェスチョンして教えてくれるとか,自分の話していることはおかしいのではないかとチェックしてくれることはあると思うのですが,説得という行為は相手に合わせなければいけないので,そこは違った頭の使い方が必要です.恐らく,そういうことは技術的な解決が難しいので,未来においても人間に求められる残る能力だと考えています.要するに多人数の人を納得させるなど,それは将来的な民主主義の在り方に影響するかもしれませんし,そういうスキルの必要性は残るのではないでしょうか.
[服部] 論理や数学とは少し違うのですけれども,自己表現の能力のような,あえて言うと芸術のような,みんなが芸術をしましょうという話と近いと思います.今の言葉の話でも,伝えるという機能以外の使い方があります.詩として気持ちを伝えるとなると,単に情報を伝達する以上の何か情報が乗って,違う意味合いを持ってきます.それをうまく伝えるには,また違う能力が必要なのではないかと思います.既に絵文字を使ったコミュニケーションがあるように,気持ちを伝えるために言葉だけではなく,それ以外の方法で伝えることが高度化する際に,芸術的な能力がより求められるのではないか,と思うのです.自分が抱いた思いや情感を,光や色,音に変え伝えるのは,今はアーティストの特殊能力なのかもしれませんが,人が芸術的表現能力を磨き,発達したメディア技術を駆使することが可能になれば,コミュニケーションの幅は広がりそうです.人とメディアを適切につなぐためのインタフェースの技術が鍵になるのかもしれませんが,言葉にならない思いを伝える,コミュニケーション能力を高めるための芸術が力を持つような気もします.
[森勢] 最近あったお話なのですが,韓国の方がメールを送ってきて,文面が日本語だったのです.なぜ日本語なのかと思ったら,最後に「これは翻訳システムで韓国語を日本語にしました」と英語で書いてあったのです.多少違和感のある表現があり完璧とは言い難い文章もありましたが,ディスカッションするためには十分な品質でした.この発想が進んでいくと,母国語でメールを送ると,その人の国に合わせてメーラーが勝手に母国語へと翻訳すると思うのです.要は英語という言語は残るけれども,共通語ではなくなると思います.今回のお話は文章のやりとりを想定していますが,母国語から他の国の人の言葉に勝手に翻訳されていく未来が来るという意味で,英語を勉強する必要はなくなる可能性はあるのではないかと思っています.
もちろん,話したり自動翻訳というサービスもありますが,それも将来的には必ずしも必要なく,それこそ眼鏡のようなレンズを付けると,話した言葉がその場でテキストで現れてくれるようになるなどは,できるようになると思います.既に,スマートフォンのカメラに文章を写すと自動で翻訳するアプリケーションも開発されつつあります.英語ができることはメリットではあるのですが,2050年を考えたときに,それは飯ごうで御飯が炊けるレベルの知識となり,なくても困らないものになると思います.
[小山田] 単純な言語翻訳だけではなくて,真意を翻訳してくれる技術ができるといいですね.単に話の流れを考慮するのではなく,話し手・聞き手が共有する体験・文化といった会話に現れない情報まで理解できると性能の良い翻訳と言えそうです.私の専門分野では,写真・画像や動画の内容を理解し,もっともらしい説明文を提案するイメージキャプショニング(画像の説明文生成)に関する研究が注目されています.今後は,機械翻訳(認識・理解)の対象が更に広がっていくとともに,機械によって認識・理解した意図を有意義に利用するサービスが生まれてくるのかなぁと期待しています.
[井原] 人間は結構賢いから,きちんと行間の意味を読んでくれます.私もこの前,仕事の関連で書いたメールに,打合せの時間の候補を「18時から,13時から,10時から」と書いたのです.普通は「10時から,13時から,18時から」の順に書くのを逆に書いたのですが,「終わった後,飲みましょうか」という返信が来ました.それは18時の候補を最初に書いたという意図を酌んでくれているわけです.この例はメールテキストが対象ですので,自然言語処理,対話処理,意図推定等の各種技術が進化することで,より優れた対話エージェントが実現できる可能性があります.テキスト以外にも広げるとすれば,ジェスチャや表情等のマルチモーダルな推定技術が進化することで,更に対話エージェントは進化することでしょう.
[山崎] コミュニケーション支援技術が進化する場合でも,一人一人が自分はここまで押し上げてほしいと指定できると,もっと良くないですか.
[山田] そうですね.そうすると,結局,多様性は自らの意思に応じて保証されるということですね.
[山崎] はい.先ほどの英語の例で言ってしまいますが,英語が必要だという人も,論文を読みたいのか留学したいのか,向こうで仕事を取りたいのかで求められるレベルは全く違うでしょう.
[山崎] 少し言語に収束していってしまったので,もう一度,話を飛ばそうと思います.冲方さんが能力の拡張の話のときに,家や車を買うよりも,能力の拡張や能力を取り戻すものにお金を払うだろうと.例えば皆さんが何かの能力を拡張しますと言われると,何であればお金を払いたいですか.
[山田] 能力には非常に興味があります.私自身,拡張できたらいいと思っているのが生存能力です.例えば,iPS細胞が再生医療に使われようとしています.従来であれば弱くなった臓器を手術して取り除かなければいけないのだけれども,新しいものを作って移植するという発想です.
また,宇宙が一つのキーワードになっていますが,人間は地殻の上でしか生存できないと思っていたのが,生存能力の拡張で,宇宙空間のように電磁波が強く重力のない状態でも生活できるようになることが考えられます.あるいは,原発のような放射能の非常に強いところで作業できるようになるかもしれません.再生医療やロボティクス技術を使った将来の能力拡張としてはあり得ると思います.
話をぐっと戻して,ここ数十年ぐらい必要な能力拡張ということでは,高齢者の衰えた能力,あるいは義足のように失った能力を補うものが必要になってくると思っています.当然,我々もこれからどんどん老いていくので,少なくとも今の状態を維持できることは必要だと思っています.
また,その中間ぐらいの位置付けとして,超人スポーツで取り組まれているような,人の身体能力を超越したり,人と人のバリアを取り除くような取組みも面白いと思っています.
[山崎] 個人的には同じように若い世代の能力も拡張してあげなければいけないと思います.例えば,自分の両親たちと離れて暮らした瞬間,子供が熱を出したときに誰が面倒を見るのかなどということがあるわけです.誰も面倒を見てくれず,保育園も入れないから,結局,父親か母親のどちらかが仕事を辞めて子供の面倒を見なければいけません.それでは一人,二人しか子供を持てず,制約されていて,そういう世代もどうにかサポートしてあげなければいけないと,いろいろ試行錯誤しています.それも生きる能力の拡張の一つではないかと思います.
[山田] そうですね.子育てを誰でも,どのような状況でも行えるようにすることも基本的な能力拡張かもしれません.
[森勢] 今回の拡張という話を見ていて一つ思ったのは,衰えたものを戻すのか,正常な人をプラスに持っていくのかというところで話は分かれるということです.私はそれをヘルプとアシストで区別しているのです.
[山崎] なるほど.いい言葉ですね.
[森勢] 例えば,脚がなくなった人を義足で補助するのはヘルプの立場にありますが,電動アシスト自転車は通常の能力を更に高めるアシストだと思うのです.普通にできる人が,更にプラスアルファの能力を持てるようになります.先ほどの若い人に対する支援は,基本的にはアシストのほうで,例えばパワードスーツはアシストに近く,本来の筋力以上のものを持てるようにすることになるのではないかと思います.ただ,最近は,義足ランナーが人間の記録を抜いたらどうなるか,という議論も出てきていますし,ヘルプに関しても平均的な能力を目指すのだけではなく,あらゆる能力を現在の人間の平均以上に高める技術も出てくるように思います.
また聴覚の話ですが,こういう空間で普通に会話できますが,ここに騒音が入った瞬間に会話しづらくなります.そういうどんなうるさい環境でも普通に会話できるようにすることを,我々の研究グループでは補聴器に対して拡聴器と呼んでいるのですが,そういう技術支援ができないかと考えています.私の専門である音声合成に関しては,喉頭がんなどで発話ができなくなる人の声を取り戻す技術はヘルプ的なものと考えています.対して,アシスト的なものとして,例えば,プレゼンテーションって声の使い方で印象が大きく変わるわけですが,自分の声をプレゼンのプロの話し方に変換する技術が挙げられます.このような技術を使えば,「伝え方で損をする」人を減らせるのではないかと思います.現在の技術では,ある話者の声を別人に変えることや,感情の制御についてもある程度は実現できています.これを発展させ,誰でも魅力的な発声が可能になる技術は,発話に障害を抱えていない人にとっても役に立つアシストになると思います.
恐らく,視力についても衰えた人を戻す眼鏡はヘルプ,本来持っている視力では見えないものが見える望遠鏡や顕微鏡などはアシストで,技術の支援として一応区別して考えています.
[大澤] 人間の能力を拡張する技術は,三つに分類できると考えています.一つは,単純に自分のパフォーマンスを上げるものです.例えば,今私がすごく欲しい能力拡張は,時間を増やしてくれるようなものですが,そういうものは誰もが喜ぶと思うのです(全員うなずく).
[山崎] 皆さん研究したくてたまらないのですね(笑).
[大澤] 効率を上げて余った時間で遊びたいだけかもしれませんが(笑).それとは別に,超人スポーツの試みの幾つかもそういう方向を目指していると思いますが,単純にパフォーマンスを拡張するのではなく,体験を拡張することも能力の拡張に当たると考えられます.必ずしも現実でなくてもいいのだけれども,自分に見えているものがより楽しいものであればうれしいというような.例えば慶大の「Hiyoshi Jump」のように,実際はここにいるのだけれども,成層圏までジャンプして行った体験ができることがうれしいと.そういう観点で,いわゆるVR技術に属するような,ユーザの体験を追加するという意味の能力拡張のマーケットも,どんどん伸びていくのだと思います.
また,コミュニケーションに関するものは,これとは更に別の課題になるだろうと思います.これは相手がいる問題ですので,個人の能力拡張だけで問題が解決するとは限りません.例えば配偶者を見つける問題,それこそマッチング課題だと思うのですが,ああいうものは自分が満足していても,それで解決するものではないので,そこは前の二つとは別の技術が必要になってくると思います.
[山崎] 体験の拡張という意味では,私は最近,すごく面白いビジネスを知る機会がありました.「ウサギトラベル」というものがあるのですが,旅行に行けない人が人形を預けて,人形が代わりに旅行してくるのです.いろいろ写真を撮ってきて,そのデータをもらうというサービスがあります.また,別の例で高齢者の方が,若いときに住んでいた場所などに代わりに旅行してきてあげるという試みもあるそうです.「私,ここに住んでいたな」「ここ,まだこうなっているの」という,映像を見て追体験して元気になる方がいるそうです.そういうのは今おっしゃった体験の拡張の一つだと思います.
[山田] 体験の拡張ということで,スポーツやエンターテイメントの分野で例を挙げますと,VRを使った野球のトレーニングも行われています.ヘッドマウントディスプレイを装着すると,あたかも自身がバッターボックスにいるかのような状態となり,例えば対戦相手の投手の投球を事前に体験できるというものです.将来は可視化による視覚的なフィードバックに加え,例えばバットにボールが当たった感触の力覚的なフィードバックなど,多感覚でのフィードバックすることで,実際に体験を重ねないと身に付かないコツが身に付けられるのではないかと思います.
エンターテイメントということでは,先日,熊本地震復興祈願「歌舞伎シアターバーチャル座」と題して,イマーシブテレプレゼンス技術「Kirari!」を用いることで,バーチャルでありながら,あたかも歌舞伎俳優が目の前で演じているかのような体験を会場の皆さんに味わって頂きました.将来はこのように,集団で実空間を共有した体験も様々な場面で実現されるのではないかと思います.
[井原] 世の中の経済は大抵マジョリティの意思決定や価値判断基準で動いています.でも,一部のマイノリティの人たちがすごく困っているとか,それはいわゆる弱者と呼ばれている人で,高齢者もそうかもしれません.障害者も子供もそうかもしれません.そういうところをもっときちんとした方がいいと思うのです.
[大澤] よく障害者向けのインタフェースなどで議論になる話ですが,対象を障害者に絞ったインタフェースは,マーケットが少なくなってしまうため,良いものがあっても普及が難しいです.そのときの解決策の一つとして,健常者はもっと楽しく,アシストになって,障害者にとってはヘルプになるような形で提供するというのは,一つのアイデアだと思います.私個人は特にコミュニケーションに関心がありますので,例えば今エージェント研究で行われているような,人とうまく話すようなエージェント技術を使って,会話の流れに合わせてうまいネタを提案してくれるサポート技術などには,とても興味があります.
[森勢] 自閉症スペクトラム障害の方を対象として,対話エージェントでサポートするソーシャルスキルトレーニングを行っている方もいらっしゃいます.自閉症スペクトラム障害に該当する人たちの一部は,人を相手としてはトレーニングできないそうです.対話エージェントであれば,いざ困ったら電源を落とせばいいのでトレーニングできます.
[山崎] ヘルプとアシストはいい言葉ですね.それに関連して,少し乱暴に言ってしまうと,ヘルプやアシストの技術が進化し人間の能力拡張の範囲を超えるとシンギュラリティに達するかもしれません.冲方さんはシンギュラリティは恐るるに足らずと言われています.車は人よりも速いけれども,それを見て人間は失望しないだろうというような話があって,AIが人間より賢くなっても失望する必要はないのではないかという,これも結局能力の拡張です.シンギュラリティが起こるかどうかは別の議論だとして,仮に起こったとしても今は騒ぎ過ぎだと思います.
[森勢] 原先生も,AIはコストパフォーマンス的によろしくないと書かれています.
[小山田] 人間のコピーを作るようなイメージでAIと書かれていましたね.全部ではなく,恐らく人間にしかできないことと,機械の方が得意で我々はしたくないことをしてもらうとか,それならある程度,電力を消費しても許せそうです.我々が苦手とか危険でできない作業なら,コストに見合うと言えそうです.人間と同じことをさせようとすると,人間は何ワットの電力でという話になります.先ほどの話で五感の拡張とありましたが,私が思ったのは,24時間,一切休むことなく作動できれば,本当に自分の生きている時間をエンジョイできるということです.
[大澤] シンギュラリティという用語について一応解説をしておきます.AIの発達によって人間を超えるAIができる,というシンギュラリティという概念自体は計算機が誕生する以前からあり,SFでもその姿が多く書かれています.私自身はCMUのHans Moravecの書いた“Mind Children”のイメージが強いですが,現在世の中で普及しているシンギュラリティは,Ray Kurzweilが“Singularity is Near”で定義した概念だと思います(レイ・カーツワイル「ポスト・ヒューマン誕生 コンピューターが人類の知性を超えるとき」).Kurzweilは計算機の発達に伴って,技術発展の担い手が人間から計算機に移り,人間の歴史上の発展からは予測ができなくなる点が発生すると考え,その点を技術的特異点(technical singularity)と呼んでいます.すごく簡単に言えば,賢いAIがもっと賢いAIを作るようになっちゃったら,人間にはもうこれからどうなるか分からないじゃないか,ということです.シンギュラリティがバズワードになっていることについて,批判も多くあります.最近ではJean-Gabriel Ganascia氏が,シンギュラリティが簡単に来ると述べることに対する批判を,複数の観点で行っています(ジャン=ガブリエル ガナシア「そろそろ,人工知能の真実を話そう」).計算資源が発達したからといって,人工知能の大きな問題が解決するわけではありません.特に,シンギュラリティの概念が独り歩きし,IT企業によってプロパガンダのように使われることに彼は懸念を示しています.ただし,Kurzweilの予測では,計算機技術の発展が指数関数的に行われることを前提とし,その状況を具体的なデータで示しつつ,実際に予想を当てているため,なかなか反論は難しいと思います.
先日Ganasciaさんとお話をする機会があり,シンギュラリティの話題になったのですが,最も難しいのは,遠い未来ではなく近い未来を予想することだ,という点で同意が取れました.SF作品でも,シンギュラリティ後を描いた作品は多くありますが,シンギュラリティ前に何があるか,どのようにしてシンギュラリティまでたどり着くかを,論理的に説明できている作品は余り多くありません(新井素子,宮内悠介ほか,人工知能学会編集「人工知能の見る夢は」).そのため,私も多くのことは言えませんが,ただ一つ言えることがあるとしたら,シンギュラリティを迎えるまでの技術発展は,あくまで人間が推し進めるのだから,人間の動機に注意せよ,ということだと思います.
シンギュラリティというと,AIが人間を置き換えるような,AIを擬人化したイメージがどうしても前面に出てしまいますが,実際は冲方丁さんが述べられているように,人間がAIの力を借りて思考力を高めて競争に勝つ,という形で世の中が進み,徐々に人間がAIと一体化することで,技術発展の担い手が人間からAIに徐々に置き換わるのだと思います.正に能力の拡張ですから,それを恐れることはないと思います.
その過程で人間のような人工知能エージェントを作り,社会で活躍させる未来社会もあり得るでしょうし,私もそういう研究を行っていますが,その場合でも,人間と相似のエージェントができるというより,人間と相補的なエージェントができる,というのが正しいと思います.本質的にはAIも含めて,人間を手助けするのが技術であり,「AIの暴走」を恐れるよりも,人間の欲望を警戒する方が理にかなっていると思います.技術発展する世の中で,私たちがどうやってこれから富を分け合っていくか,人間が破滅しないために,どのような約束事を人類が決めておくべきか,AIを使って私たちがどういう社会を作りたいのか,と考えていくことが,最も大事だと思います.
あと一つ,私たちは未来を動かす側です.シンギュラリティが起こるか起こらないかではなく,研究者の人には「私が起こす!」くらい言ってほしいな,と思いますよ(笑).
[山崎] もう一つの社会全体の最適化の方に話を移していいでしょうか.これには交通の例が出ていて,冲方さんと阿部さんが交通渋滞はなくせるだろう,それにはIoTのセンシングやAIのヘルプなどがいいねという話がありました.ほかに,裁判,医療なども同じだと思っていて,結局,大量の経験と客観的な視点が必要な仕事はAIにさせればいい.政府の予算分けもAIにさせればということで,社会全体を最適化するとなったとき,今後,解決しなければいけない課題は何で,今はなぜできていないのでしょうか.
私自身が思っているのは,今の技術は取得や伝送,解析,若しくは予測までできていても,人間に対するフィードバックや指示がまだきちんとできていないのではないかということです.解析できても,解析結果を見るのは人間です.処理結果を理解して解釈するのが人間だから,人間にもう1回情報をフィードバックするところに人間が介在してしまうのがよくないのではないでしょうか.人間に対する適切なフィードバックや指示,アドバイスまで自動でAIはできたらいいなと思っているのです.
ゴルフの練習システムに例えさせて下さい.今は映像で自分のスイングとプロのスイングを比較したりできるシステムとかはありますが,練習している人はその映像を見て自分で考えて改善しないといけない.自分のスイングのどこが悪くてどう改善するとよいのか,もっとダイレクトに伝えられればよいと思うのですがその手段がない.
[山田] 社会全体の最適化が人の行動を強制的に制限あるいは制約するものであってはいけないと思います.人の自由と可能性を支援するものであってほしい.ゴルフスイングに例えてお話しすると,フォームのずれを直すためにスイング中に「脇を締めて」と言われても,逆に自分のスイングができなくなるし,ゴルフを楽しめません.素早い運動では,運動中にずれを言葉を使ってフィードバックするのではなく,気付きを与えるために脳から筋肉へのフィードフォワード制御に合わせて意識すべき体の部位に刺激を与える方法が取られたりします.気付きをきっかけに人がスイングをする際にずれの補正方法をガイドするようなフィードバックを聴覚や視覚,力覚など多感覚でフィードバックすることで言葉に変換して伝えなくても上達できるようになっていくのではないかと思います.
話を都市空間に戻すと,自動車の運転をしたいのに,どこに行くにも自動運転の車に乗らなければいけなかったり,移動するルートが決められていて,車やカーナビに運転手が動作を指示される世界はどうでしょうか.運転したいのであれば,「人」が車を制御する立場であり,制御される車や環境の方が「人」がどのように操作したいかを理解して適応的な制御をするのがよのではないでしょうか.例えば,ハンドルが力加減を検知し,その人の癖や上手な運転者の操作を学習しておき,近くの人や車や路面状況など周辺環境や道路の混雑状況から先を予測し,人の動きに合わせて個々の車や信号などを制御することで,気持ち良く運転ができ,渋滞も減らせる,そういったことが可能となるような,センシング,インタラクション,デバイス連携制御,状態・状況予測技術が普及してくるのではないかと予想しています.もちろん,これらの技術を都市空間で利用するためには,効率的かつセキュアにデータ交換するための5G等の無線通信や高速に処理するエッジコンピューティングの技術の普及も欠かせないと思っています.このような技術の進歩により,一人一人に合わせたインタラクションと全体最適化の両立をサポートできればよいと思っています.
[服部] 同じような話になりますが,社会全体の最適化・効率化を目指すあまり,個人の自由が制約されるのはやはり避けたいですね.ゲーム理論的に考えると,社会全体の最適化のためには,個々人が最善の行動を選択すること,そしてほかの人々が全く行動を変更しないことが必要になります.最適な行動以外は許されない窮屈な社会が生きやすい社会とは思えません.交通の話で言えば,都市交通の効率化を追求する場合,制御しやすい自動運転車のみが許されて人間による楽しみのための運転は許されない,といったことになりかねない.社会のような大規模複雑な系を適切に制御するための制度設計のためには,シミュレーションが具体的な支援技術として考えられると思います.例えば,CO2排出量の削減に賛成しながら日々の奔放な車の利用を止められない人々のように,マクロな社会制度の設計とミクロな生活者のニーズは往々にして相いれません.ですから,将来を予測するシミュレーションの過程に,生活者の視点を織り込んでいくための,参加型のシミュレーションやデザインの技術が重要だと思います.公益を追求しながら生活者にも配慮できる社会の設計をシミュレーションによって探索する過程に生活者が関わることで,潜在する生活者ニーズがあらわになるかもしれません.そうなると,探索する空間は動的に変化していくわけで,膨大な未来の可能性を計算する基盤の技術も改めて重要なものになるのではないでしょうか.
[井原] 最適化は実は危険なのかもしれませんね.昔から効率化のための研究開発はありますが,便利になるがゆえに人間の能力が落ちていく事例は幾つかあるでしょう.例えば,私らは電話番号を覚えなくなりました.便利でみんな余り指摘しないけれどもマイナス面があります.先ほどの最適化も,最適化のための技術を行った結果として個が尊重されにくくなるとか,生き方が窮屈になります.そこをケアするような技術も作らなければいけないのではないかと思います.
何かあったときに,全てが使えなくなってしまわない設計をしておくことが,特に災害系では大事で,例えば,通信システムを多重化しておかないと全滅してしまいます.もしかすると災害ではないシステムでも,多重化というのは本質的に大事なのかもしれませんね.
[服部] 電力など,ものすごく多重化していて,ちょっとやそっとでは止まりません.これをAIが賢く行ってくれるからということで,最適なものにしようとすると,効率は劇的に上がると思うのです.数字にすると40%上がりましたなどと言っていて,舞い上がってそちらに一気に行ってしまうと,ちょっとしたことであっという間に破綻します.例えば人間が入るとヒューマンエラーがあることを考えて,これぐらい余裕のあるシステム設計をしておきましょうとなります.しかし,機械化した瞬間に,ちょっとしたことに対して弱くなることもあるかもしれません.
[井原] あらゆるものをソフトウェアだけで完結させようとすると,どうしてもそういうことが起きがちだと思うのです.先ほど人間が関与するという話もあったのですが,実はどこかに人間がシステムの系の中にいるようにしておかないと,すごく危ないシステムになってしまう可能性は感じます.
災害のときはレジリエンスという概念が大事です.回復力,弾力性があるという意味の言葉ですが,今のお話を伺っていると,そもそも人間はレジリエンスがすごく高いですね.
[森勢] 最適であることと満足することは切り分けられていて,AIに任せることに抵抗があることとないことがあるようです.幾つかヒアリングで聞いてみたのですが,例えばマッサージを機械にさせたいか.要はAIが最適に指圧してくれますと.そういうことが仮にロボットを通してできるようになれば使いたいかと聞くと,嫌だというのです.マッサージは人間がいい,人間にしてもらいたいと.ですから,人間が何を求めて,どこまでを線引きするかは結構難しい問題です.それこそ先ほどの政治の話もAIでした方が最適なのですが,心理的にそれを受け入れられるかというところは,結構ハードルが高い.恐らく,今から生まれてくる子供たちがそういう社会で育っていたら,何も気にしないと思うのですが,我々ぐらいの世代になると,AIとしてどこまで受け入れられるかという線引きが違っており,高齢者の方になると人間でなければ嫌だと言ってくる面が大きくなると思っています.
[井原] 人と接するインタフェースは,裏でAIなどのエンジンで処理してもいいのですが,その処理した結果を使って人と接する部分のインタフェースは,やはり生身の人がした方が.
[森勢] まさしくおっしゃるとおりです.医者の話もそうなのですが,コンピュータがバックで走っていて診断支援はしても,診断は医者にしてほしいという心理的なところがあるようです.
[小山田] もし何かミスがあったときの責任の所在を考えても,やはり最後は人間に判断させたいのではないでしょうか.
[山崎] 今,AIに最適化は無理という方向になってきてしまっている気がします.例えば,先ほどの交通の最適化のときに,行き方が窮屈になるとか,指定されたときに指定されたところに行かなければ駄目なので,それは無理という発言は,仕組みを変えてインセンティブ制にするとよいのではないでしょうか.別に指示どおり動かなくてもいいのだけれども,指示どおりにすればいいことがありますという仕掛けを作るだけで今の渋滞よりはましになる.AIでかちかちに最適化すると動かなくなると思うのですが,多重化の部分を最適化しておくなど,やりようはあると思いながら伺っていたのです.
[森勢] 私は最適化できると思っていて,最適化したものを受け入れるかという人間側の問題だと思っています.
[山田] どれだけ気持ちよく最適化されるかということですね.
[小山田] そういった意味では機械と人の間に,例えば医療ではお医者さんが入ることによってという話が,まさにそこになるのかもしれないですね.機械からこの道を行けというのではなく,助手席から…….助手席から来るほうが嫌かもしれません(笑).
[山田] 例えば小さい子供がいて,一言「ありがとう」とインセンティブで言ってくれるようにすると,私はこちらの道を選んでよかったということはあるかもしれません.
[大澤] そういう説得技術は大変多くあります.近年では“Persuasive Technology”という分野としてまとめられていますね.
[森勢] 去年,社会全体が気持ち良く機械に支配されるということを聞いたのですが,例えばカーシェアリングのシステムで,ある人に「今,校内に車があるからどうですか(使って帰りませんか)?」というメールをしたら乗って帰って,今度は別の人に,「今,駅に車があるからどうですか?」といって,別の人が駅から別のところに乗って行く.このように,単に機械からメールをする.現在の情報に基づいてメールをするなど,提案するだけだとみんなが窮屈に感じず幸せになれると.そういう感じで,がちがちにこうしなさい,ああしなさいと言うのではなく,言われる側にも「じゃあ,やってみようかな」と思わせるような仕組みがあれば面白いと思います.完全にがちがちの最適化から少し落ちるぐらいで,みんなが気持ち良くなるのではないかという気はしています.人間はすごく不安定で感情的な生き物なので,そこの満足度を高めるための最適化を考えると,すごく面白い未来になると感じています.
皆さんは手塚治虫の「火の鳥」を読んだことがありますか.あれの未来編でコンピュータから何々しなさいと指示されて,すごく窮屈そうに生きているシーンがあります.そのように命令形で言う高圧的な人工知能は恐らく普及しないし,窮屈な生活を生むのですけれども,我々が制御されていると気付かない裏で調整する人工知能であれば,我々は支配されていることにすら気が付かないで気持ち良く最適化されるのではないかと思います.
[井原] 気持ちいいというところに関連すると思うのですが,うちのグループの新しい研究テーマの冠に「ピースフル」と付けて,ピースフルサービスデザインという研究をしようとしています.ピースフルを直訳すると「平和的な」というイメージがあると思いますが,もう少しかみ砕くと,「人々が幸福感を感じられるような社会や環境を作るために,サービスをどう設計するか」という話です.
今の話をもう少しメタにすると,今私が申し上げたような技術の方向性につながっている気がするのです.ですから,今,自分たちがしている研究開発の成果は人を幸福にさせるかどうかという判断基準は,もっと重視されてもいいのではないかとすごく思うのです.
AIがはやっていますが,AIは人を幸せにするのだろうか,人の生活を幸せな空間・環境にできるのだろうかという評価基準で誰も議論していない気がします.
[山崎] インターネット技術と同じだと思っていて,なぜみんなAIについて今更そんなに真面目に議論するのだろうと思うのです.インターネットが登場したときもネットワークで全てつながって,例えば役所に行かなくても近くのコンビニで住民票が取れるようになると.それで仕事を失う人がこれだけいて,これだけの職業がなくなって…と議論になったことを覚えています.今,インターネットの文句を言っている人は誰もいないですよね.今のインターネットと同じような道をAIという一連の技術はたどるのだろうと個人的には思っています.
[井原] 若干,言葉足らずだったので補足しますが,ある側面から見ると,インターネットはこういうことができるようになって便利であるという一つの基準があると思うのです.しかし,別の立場の人が見たときに,インターネットはあってもいいけれども,そんなにうれしくないという人はいるかもしれません.ですから,幸福感はどういう状況,属性の人ならどういう理由でどう感じるのかというところが人によって違うので,そこをきっちり分析した上で課題を解いていかなければいけません.
[山崎] そういう意味ではAIが幸福にするではなく,インターネットと同じように便利になる.幸福にするかどうかは別問題です.
[大澤] 私もピースフルということを突き詰めていくことが,とても大事なことだと思います.一方でピースフルかどうかは最終的にユーザが納得して決まるものですから,研究者・開発者があらかじめ決めるのは原理的に難しいです.そこのライン引きがどの辺に収束するのか,個人的には興味のあるところです.
[森勢] ピースフルというテーマとは若干違うかもしれませんが,ストレスを緩和させるための技術については,音声関係でも最近考えらえています.従来の音声対話システムは,道案内や情報の検索など,特定のタスクに対して答えを提供する機能に限定されています.近年は遊び心があるアプリケーションも出てきており,例えばAppleのSiriは,ユニークな応答をすることで注目されました.ストレスの緩和というとカウンセリングのような専門家が行うものをイメージするかもしれませんが,単に愚痴を聞いてもらうだけでもストレスを発散できることがあります.将来的には,AIが人間の話を聞き,利用者が「こう理解してほしい」と思うとおりに意図を理解して適切に応答する対話技術ができるかもしれません.実現できれば,ストレスの緩和に貢献できるでしょう.技術的には,文脈や発話の音響的な特徴を併せて発話の「意図」を推定するというタスクが要求されます.応答文の読み上げもロボット的であることが課題でしたが,最新の技術を使えば,自分好みの声で自然に読み上げてもらうこともできるようになってきています.現代社会はストレス社会と言われておりますので,近い将来,ストレスマネジメントが重要になると予想しています.これをAIがサポートできれば,多くの人の助けになるのではと考えています.
[服部] 社会全体の設計をどうしようかとすると,基本的に物を運ぶことも,そういうサービスがあればいいし,人命を尊重するということに関しても,例えば今,自動運転と人の運転が交じると大変ではないかと言われるのですが,空間を分ければそんな話はすぐに終わるでしょう.実現するのは大変ですが,大体の問題は解決しそうなのだけれども,そういうものをいろいろ言っていても,車を運転するのは楽しいと言われると,全て吹っ飛んでしまいます.
[山田] 自動運転の車はコミュニティーバスのようなところから入ってきています.コミュニティーバスを車と思うのかパブリックトランスポーテーションと思うのかで,大分違うのではないかと思います.自家用車の自動運転は価値観の違いから実現しないかもしれないけれども,公共交通の自動化は進み,公共交通を最適化,自動化することによって渋滞がなくなるかもしれないのです.ほかの人より高いお金を払って高速道路を自分で運転したい人は自分で運転してもよいと割り切ってしまう手はあるかもしれません.
[小山田] 電子書籍と本物の本や,音楽も電子音楽でしたか.MP3などでiTunesがどうとか,結局いろいろな議論があったけれども,導入すると何だかんだでうまくいっている部分もあります.法律も先に全て整備したのか,後からしたのかとありましたけれども,あるタイミングで一気に全てを変更することは無理だけれども,徐々に変更していって後追いで法整備していくのでもいいような気もします.
[服部] 車でも全体的に効率良くしようと思ったら,本当に機械化して一色に染めてしまったほうがいいのだけれども,そうは言っても今まで車の文化があって,それを効率化というのは,かなり疑問があります.実際,競馬のように,馬に乗ることがずっと残っているということは,そういうものを大事にしたいという価値観が続くわけです.
先ほどの最適化をいろいろなところでするというのも,効率は良くなるけれども,いろいろなところで個が持っている趣味・嗜好を殺すのかという疑問があります.では,人間的なものを大事にすることをどこまで譲歩するのかは,すごく難しいと思います.
[井原] そこを両立するアイデアを技術者が出し合って,新しい技術を使うことで両立できると,理想的だという気はするのです.
[森勢] この話は,最初に出てきた英語が必要かどうかと結局は同じところに行き着くと思っています.自動英語翻訳ができたとして,先ほどの英語という文化を知るために英語を話したい欲求があるのと同じで,恐らく車を運転したいという欲求そのものはあると思うのです.やはり行為そのものが楽しいのです.
[服部] 技術を擬人化しているような感じがするのですが,ただそういうぎちぎちに最適化するとか,一番いい形はこれだというのは技術的に学習していって,このようにしたいというのは出していきますと.そのときに,人間がこういう動きをするから邪魔だという,技術的に計算するとそうなるかもしれないのですが,そういうことを許容した上で世の中は回るという技術であってほしいのです.
[森勢] 究極的なことを言うなら,人間が好き放題に振る舞って,AIがそれを全て柔軟に吸収してくれたら,すごく楽しいと思います.
[服部] 人間に対して寛容な.
[山崎] 本日は,能力の拡張と共有という話と社会の最適化という話をして頂いて,変わるものと変わらないものや,コミュニティの存続というようなことが個人的には刺さりました.それこそVRが究極に発展すれば,我々は学会に出てくる必要はないわけです.
[大澤] オンライン化できるものはどんどんしてほしいということはありますし,ロボット・HCI系の学会でテレプレゼンスロボットを使うというのは,既にメジャーになりつつあります.実際,動くのがしんどい人や障害を持っている方の参加もしやすくなるので,学会としてどんどんサポートするべきだと個人的には思います.ただそうすると休むことが難しくなるので,何らかの理由で参加できなかったのだという言い訳をできる余地も残しておいて頂けるとうれしいですが(笑).
[山田] 私も学会に来ることはいろいろな価値があるので,それは認めていくのだろうと思う一方で,Ubicompなどもそうですが,国際会議への採録とカンファレンスでの発表を分けて,年4回の投稿で採録された論文を年1回の会議で発表するといった取組みもあります.
[井原] 学会の在り方の話をしている中で出てきた話ではあるのですが,日本人の民族性に合わせて,技術を作るときもそういうことをもっと意識してもいいかもしれません.つまり,アメリカでこんなものがはやっているから日本もしなければいけないと,日本は結構北米やヨーロッパを追い掛けることがあるでしょう.もちろんそれでもいいのですが,そうでないものももっとあっていいと思います.
[森勢] 日本はそのように海外を意識してマーケティングするのではなく,日本のためのものを作って海外が注目するというケースのほうがうまくいくと思うのです.
例えば,VOCALOIDの初音ミクなどは正にそのケースだと思います.あれは日本語でしか歌えないキャラクタですが,気が付いたら海外が注目して勝手に英語の歌を歌わせたり,あるいは海外のクリエイターが日本語の歌を作ったりしているのです.
[大澤] 日本人の民族性というよりは,日本の社会構造や文化がそういうものを後押ししているのではないか,という点は指摘しておきたいです.
私は擬人化の研究というものをしていて,その応用として,自分の目の上にかぶせる眼鏡で自分自身を擬人化し感情を隠すという提案をしたのですが,コミュニケーション下手な日本人として発想したことが,海外の人に意外と受けたのです.海外の人はコミュニケーションがうまいというのは幻想で,やはり下手な人はいて,社会的圧力を感じる人もいるのです.
[山崎] ありがとうございます.さて,座談会の席で話が膨らまなかったらどうしようと思っていましたが(笑),もうこんな時間になってしまいました.今後はハピネスが大事という話,実はヘルプとアシストは異なるものだがどちらも大事という話,AIが今後浸透していくには今述べたハピネスを含めて使う側の納得感が大事という話などが印象に残りました.我々の発言はまた何十年後かに検証されるでしょうから,そのときを楽しみに致しましょう.本日はありがとうございました.
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