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ディジタルコンテンツの流通は,メディアの発展と無関係ではなく,その基盤は電子情報通信技術にある.SNSの拡散による広告的効果のように,技術の進化は,価値観の変遷をもたらす.本稿では,法と倫理の観点から,複数の事例を取り上げる.価値観が変遷される過程で法制度に組み込まれていくのか,調整がなされるのか,拒絶されるのかといった選択がなされ,拒絶された技術は,市場化されない.そうすると,社会科学系の研究において,技術との関わりは,技術が生み出す価値の定式化にある.それは,継続的に起こり得る問題であり,今後も,価値を創造していく必要があり,そこに社会科学系の研究の夢がある.
キーワード:技術と法,知的財産法,仮想通貨と法制度,人工知能と倫理,アーキテクチャ
2016年は,「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督),「君の名は。」(新海誠監督),「この世界の片隅に」(片渕須直監督)等のヒット作で邦画興行成績は順調だった.いずれも,興行収入が好調である原因は,SNSにあるという分析が大方を占める.
また,「この世界の片隅に」では,現在の人気とは裏腹に,当初スポンサが付かず,クラウドファンディング(以下“CF”という)で宣伝用映像の製作費を募ったところ,2015年当時,映画分野では最高額の3,900万円を僅か2か月足らずで達成した経緯がある.エンドユーザのネットを通じたレビューや資金調達が功を奏した点で,これまでのヒットとは異なる.
技術的側面からすれば,SNSやCFは,新規性のある技術によるものではない.しかしSNSは,その技術を基盤としたTwitterを中心とするプラットホームが,そのコンテンツの価値を発掘した点には新規性がある.
また,CF自体は,新聞広告で資金調達を広告することと何も変わらない.しかし,「この世界の片隅に」に関していえば,当初,連続配信ドラマとして,携帯通信事業者各社にプレゼンを行ったものの,製作費の出資が得られず,CFによる資金集めは,製作費自体ではなく,スポンサを募るためのパイロット映像の製作費にすぎない.それ以上に,CFを行うことにより“パブリシティ”を獲得することに重点が置かれていたとプロデューサーが述べている.
このように,電子情報通信技術はメディアに影響を与え,コンテンツの新たな価値を提供してきた.法学分野でも,例えば,パブリシティという概念は,近年,最高裁判所でも認められた権利で,人格権に由来する権利の一内容を構成する(ピンクレディー事件,平成24年2月2日).パブリシティ権は,著名人の顧客吸引力を本質的要素とし,メディアという媒介者の存在が不可欠である.これまでは,マスメディアを媒介する形でしかなかった.しかし,インターネット上に画像がクリック1回で複製され,SNSのタイムラインに流れる状況は,パブリシティの飛躍的拡散を促進している.その例が,Googleの動画像共有サービスYouTubeの“ミュージック全世界トップ100”において,日本人で初めて世界一を取ったピコ太郎の「PPAP」で,実証されたといってよい(1).
他方で,負の側面もある.ディジタルコンテンツは,著作物であり,著作権法によって保護されていることが多い.電子情報通信技術は,この著作物を無断で複製すること,改変すること(著作権法上は,“翻案”(同法27条)という.)を容易にし,著作権者の権利侵害を誘発しやすい状況を生み出した.これに対抗して,無断複製を防ぐために,AACS(Advanced Access Content System)を代表とする暗号型(注1),SCMS(Serial Copy Management System)等の非暗号型(注2)技術が開発された.そして,これら技術は,著作権法上,“技術的保護手段”(著作権法2条1項20号)として,無許諾での回避行為に民事的,刑事的規制を設けている.
このように,電子情報通信技術は,新たな価値を創造する基盤となっている.
このように,技術の進展は,新たな紛争を巻き起こしてきた.通信分野ではないが,ビデオデッキの登場は,アメリカで有名なベータマックス事件を起こした(注3).連邦最高裁で,5対4という僅差でソニーが勝訴しなければ,ビデオテープが流行することもなかった.このように,新しい技術は価値をめぐる戦いに巻き込まれる運命にある.
そこで,本稿では,電子情報通信技術を基盤とする金融市場,仮想通貨におけるブロックチェーン技術,人工知能といった比較的最近の技術によって,守るべき価値と新たな価値について,今後,どのような価値バランスが創造されるのか,検討したい.
技術が発達すると,人々の暮らしは劇的に変化する.そこでは,新たな価値が発生するが,既存の法体系,倫理と衝突することがある.許容されるとは限らない.
そこで,幾つかの例を挙げて検討する.
2008年10月,Satoshi Nakamotoの論文(2)を端緒にBitcoinが登場した.これを契機にして,仮想通貨に対する注目が集まったが,日本では,本社を日本に置くBitcoin交換所であるMt. Goxを運営するMTGOXが民事再生手続の適用を申請したことで,仮想通貨全般に対する信用性が懸念され,一度は下火となった.その後,MTGOXは再生手続開始が棄却され,破産手続に移行しており,2016年5月25日の債権調査期日において,Bitcoinユーザからの債権届出に対する認否を終了したが手続は進行中である.この事件では,破綻法人の財産の保全が分散形仮想通貨に適用することの困難性を物語る(3).
しかし,その後の世界的な仮想通貨の普及もあり,2016年5月,“情報通信技術の進展等の環境変化に対応するための銀行法等の一部を改正する法律案”が可決され,日本でも仮想通貨市場の成立に向けて法改正の準備ができつつある.
技術的には,Bitcoinをはじめ,仮想通貨では,ブロックチェーンが重要な役割を果たしており(4),他方で,こうした社会技術を支えるためには,①仮想通貨を“通貨”としてみなすための法制度と,②仮想通貨を取引する際の利用履歴などのプライバシーなどの法的権利の保護が保障されている必要がある.
そして,①に関連する立法論上,重要な問題が,立法事実の存否である.立法事実とは,法律を制定する場合の基礎を形成し,かつその合理性を支える一般的事実の存在と妥当性を言う(5).
仮想通貨が,前述のとおり法制度上認められた背景には,利便性があるといった社会的要請や,2012年のヨーロッパ金融危機によって,世界的に中央政府に依存しない金融資産として仮想通貨が注目され,立法的に許容する国が増えた政治的背景や,仮想通貨に投機的な価値があるという経済合理性に原因を求めることができる.
しかし,それらの事実で肯定されるのは,必要性のみである.つまり,仮想通貨に,広義の意味での決済手段としての許容性が必要なのである.ここで言う許容性とは,既存の価値観との整合性である.例えば,取引の信頼性に関して,破綻に際してのユーザの保護や,取引履歴が個人情報となることから,個人情報保護の実効性の担保や,二重取引の防止の措置,マネーロンダリングの防止などがある.
この点,これらの信頼性は,法定通貨であれば,強制通用力が認められるため,問題はクリアできる.しかし,法定通貨は,発行した国内であれば,どこでも通用することを意味する.仮想通貨の場合,少なくとも何らかのソフトウェアが必要であり,強制通用力を認めるためには,法制度で,あらゆる取引関係においてそのソフトウェアのインストールの義務付けを要する.これは非現実的である.したがって,仮想通貨を既存の法体系に組み込むためには,これまでの法定通貨の定義を変えるか,仮想通貨の通貨性を否定する必要がある.
今回の法改正では,結果的に,仮想通貨は通貨ではなく,既存の法体系の決済手段として位置付けられた(資金決済に関する法律(以下“資金決済法”という)2条5項1号かっこ書き参照)(6).決済手段とは,法定通貨と異なり,それ自体に価値を有しない(例えば,日本銀行券の1,000円札には,1,000円の価値が我が国において肯定されている)が,汎用性と転々流通性を有し,電子的指示によって価値の移転が行われるものである.
そして,決済手段の場合,取引の安全性,信頼性の担保が必要となる.なぜなら,法定通貨は,法制度的にその価値が保障され,日本銀行券という有体物に価値が不可分一体になっているが,電子マネーのように,単なる電子的な価値の移転では,サーバの故障や,発行元の倒産等の不確定要素があるからである.そこで,一定の要件を満たす電子マネー(前払式支払手段)は,資金決済法上,供託金が必要となっており,倒産時には,ユーザが保護される.
この許容性が電子マネーの存在できる理由であるが,中央政府に依存しない仮想通貨の場合,このような保証はない.今回の法改正では,仮想通貨交換業の登録制,財産の分別義務や監査義務が規定され,行為規制の中にシステムセキュリティの確保,利用者個人情報保護などを盛り込んだ情報管理規定がある.マネーロンダリング対策としても,仮想通貨交換業を犯罪収益移転防止法2条2項の特定事業者とし,本人確認義務を課すことで,対策を講じている.
また,仮想通貨の中核は,取引記録の非可逆的保障と,二重使用の禁止であり,その技術的基盤となっているのが,ブロックチェーン技術(暗号理論に基づく取引履歴を分散管理する分散形台帳)である.もっとも,法律上は,仮想通貨の定義に,ブロックチェーン技術の採用は必須ではない.
しかし,ブロックチェーン技術は,仮想通貨の外部的規制ではなく,仮想通貨自体の基盤技術であり,資金決済法が法目的に掲げる“資金決済に関するサービスの適切な実施”と“利用者等を保護する”(同法1条)ことからすれば,前提として取引記録の非可逆的保障がなければ仮想通貨システムとして成立しないであろう.
最近IEEEは,AIと倫理に関するレポートを公表し,本稿執筆時,パブリックコメントを募集している(7).日本も,2016年はAIが注目を浴びた.知的財産法の分野においても,特許庁がAIを活用した特許行政事務の効率化を企画提案し(8),次世代知財システム検討会(知的財産推進本部の下部委員会)では,AIによって創造された著作物の著作権について検討され(9),著作権の帰属をAIにすることが検討されている.
また,AIにおける問題は,情報収集過程にも起こる.収集するビッグデータの中に著作物が含まれる場合,テキストマイニングなどの情報処理であれば,平成21年改正によって導入された著作権法47条の7によって,著作権者の許諾なくできるとされる(10).しかし,AIの学習過程で,膨大な情報の収集が必要不可決であり,そのビッグデータの中に,個人情報が含まれる場合もある.
既に,Alphabet(Google), IBM, Microsoft, Facebook, Amazon が提携し,“Partnership on AI”によって,標準化を目指している.そしてここにも倫理的な課題を克服するための研究者がメンバーとなっている.
法や倫理的な観点からは,AIが主体のように振る舞うことで生じる問題に関して議論が始まっている.前述したAIが提示する表現が著作物となる場合の著作権の帰属,反対に,その表現によって,少数者の権利を害するような行為があった場合の倫理的,法的責任の帰属も問題となる.また,AIの学習過程や学習済みモデルの情報の保護についての議論もある(11).
情報通信技術の発展において,これまで,知的財産法学の観点からは,アナログ時代の規範が現代に適用していないとされる(12).特に,著作者人格権が,流通の際の妨げとなるとし,制限的な解釈,運用の可能性が模索されてきた.
本会においても,人格権の扱いが取り上げられたことがある(13).この論文が指摘するように,人格権はメディアの発達によって,生成され,認識される過程をたどってきた.また,肖像権は,マスメディアの発達が生み出したマスメディアへの対抗的な権利である.
ここでいう人格権とは,肖像権等の憲法的価値に基盤を置く人格権と,著作権法上の著作者人格権の2種類がある.厳密には,これらの関係が同一であるか,異質であるか法学的な議論がある(14).
前者の人格権が,技術によって侵害されるべきではないことは明らかであろう.憲法的価値を技術の進展によって後退させることは,正しく技術によって人間が支配されることを意味するからである.他方で,著作者人格権については,必ずしも憲法的価値に基盤を置いていない.ベルヌ条約で保護すべき著作者人格権(同条約6条の2)は名誉声望を害する場合に限られるが,我が国ではこの限定を設けていない.そこで,この部分については,ディジタルコンテンツの円滑な流通のため,放棄を認めるべきとする指摘(15),(16)もあり,技術との整合性を図ろうとしている.
そうすると,技術の発展によって,新しい価値があるとしても,譲歩できない限度がある.譲歩できないということは,究極的にはそのような権利を侵害する技術については,製造を制限するなど,技術において一定の制約を加えることになる.
技術が既存の価値を侵害する可能性があることを述べたが,反対に,技術が価値を保護することもある.著作権法は,私的複製は原則自由であるが,例外として,前述したように,技術的保護手段(同法2条1項20号)を回避する態様での私的複製行為は禁止されている(同法30条1項2号).また,不正競争防止法は,技術的制限手段(同法2条7項)の効果を妨げることにより,影像の視聴等を可能とする装置の譲渡等を不正競争とし(同条1項11号),差止請求(同法3条1項)の対象とする.また,不正の利益を得る目的で行った者は,刑事罰の対象(同法21条2項4号)となる.
これは,アーキテクチャによる規制が法と共同して規制していると言える.アーキテクチャとは,ローレンス・レッシグが指摘する法,社会規範,市場に次ぐ4種類目の行為規制であり,技術的による規制である(17).自動車運転の前に呼気アルコール濃度が一定の数値以上の場合に運転できない技術を実装している場合,これに当たり,酒気帯び運転等を規制する道路交通法は,法による規制に当たる.
技術的規制は一律的で実効的というメリットがある一方で,アーキテクチャが憲法的価値(表現の自由など)を脅かす可能性も指摘されている(18).
これまでは,これからの技術と法と倫理の関係を取り上げていたが,技術者が実際に逮捕,勾留され,起訴された,著名なWinny事件がある.
この事件は,ピュアP2P型のファイル交換ソフトであるWinnyの開発者が,著作権侵害のほう助犯として,公訴提起された事案である.京都地方裁判所の第一審では有罪となった(平成18年12月13日)が,大阪高等裁判所の控訴審では無罪となり(平成21年10月8日),その後,最高裁判所は,高裁の結論を支持し,上告を棄却し,結果的に無罪が確定した(平成23年12月19日).
最高裁の決定には,反対意見もあり,経過だけを見ると,技術者の開発行為そのものが,著作権法違反のほう助犯として問われる可能性があり,しかもそれが身柄拘束という不利益を被り得ることも示唆している.
一方で,最高裁判所の決定は,客観面においては,Winnyの公開,提供行為が著作権侵害に利用される蓋然性が高い状況下のものであることは否定できないとしているが,検察官が起訴段階から著作権制度を崩壊させる目的でWinnyを公開,提供していたとの主張を否定している.
結果として,有用性のある技術は,直ちに無価値とはされないと言える(19).刑事的規制は,強力なエンフォースメントであり,萎縮効果もあるが,この事件から分かるのは,検察官が主張していた“著作権制度の崩壊”の用語に典型的に表れている.既存の価値である著作権とそれを崩壊させようとする技術開発という対立構造を作っている.
反対意見を述べる大谷裁判官は,“権利者等からの被告人への警告,社会一般のファイル共有ソフト提供者に対する表立った警鐘もない段階で,法執行機関が捜査に着手し,告訴を得て強制捜査に臨み,著作権侵害をまん延させる目的での提供という前提での起訴にあたったことは,いささかこの点への配慮に欠け,性急に過ぎた”と述べているように,強権的な捜査が展開されていたことがうかがわれ,価値の鋭い対立が分かる.
また,この事件から,技術開発が刑事的責任を問われる可能性があるという示唆を得ることもできる.新規性や進歩性のある技術は,特許出願することもあるが,不特許事由(特許法32条)をクリアしても,特許審査基準(5章2(2))はもっぱら人を残虐に殺りくすることのみに使用する方法など限定的であり,特許登録されても,他人の知的財産権侵害をほう助する可能性はある.前述のベータマックス事件と同じ構図である.
これまでの具体例で見たように,技術が制度基盤を支えることでシステムとして成立し,法制度がそのシステムを容認し,外部的規制を設けることで,社会に組み込まれ,社会的に成立する.このような関係性の中で社会科学の観点からの研究はどうあるべきか.
例えば,AIという研究領域が新設され,それを用いた新技術が登場すると,新技術が生み出す新たな価値と既存の価値との衝突が生じる.そうすると,そこで,“AIと倫理”やAI法という分野が登場してくることがある.これまでの“サイバー法”や“ロボット法”といった名称は,この発想に近い.
そうであるならば,電子情報通信技術の発展とともに,常に基礎領域において,応用倫理分野なり,知的財産分野において,“~と倫理”,“~と知的財産”という新たな分野が登場することになる.
しかし,実際にはそうではないと考えている.知的財産法の分野では,有名な“馬の法”という逸話がある.これはアメリカで,サイバースペース独自の法規範定立についてイースターブルック判事が述べたたとえである.つまり“馬の法(law of the horse)”とは,馬をめぐる取引について学ぶときに馬に関する個別判例を読むより,財産権,不法行為などの一般原則を学ぶ方がより“馬に関する法”を理解できるという意味である.
この主張は,個別領域の新たな法分野の定立ではなく,従前の法分野の健全な発展の方が重要であることを指摘している.
もっとも,レッシグは,サイバー法の独自の規制手段として“code”に着目し,独自の価値を認める見解もあり(20),(21),従来の理論に付加的に新たな理論が必要となる.
新たな理論として,近年は,ソフトロー(法的拘束力はないが,何らかの拘束感をもって国や企業が従っている規範)として,業界団体のガイドラインなど,自主規制が注目されている.特に,分散形仮想通貨では,通貨発行主体が存在しないことから,責任主体が不存在となるため,プレイヤーを含めた自主規制の重要性が指摘される(22).
また,こうした情報法・政策の分野では,近年,情報社会において,ハードローとしての法制度が流動的な制度変更に対応できないことから,ソフトローとしての自主規制との相互補完的な規制(共同規制)が着目されている(23).
特に共同規制の在り方は,研究対象としては,未開拓な分野が多い.つまり,エンフォースメントが原始的不能な自主規制とそれが可能なハードローとの分配については,検証されていない.少なくともこれまでは,現場的な発想から自主規制が生み出され,対処されてきたにすぎず,“共同”として相互補完的な役割を期待して,相互が規制してきたとは言えない.今後は,共同規制の在り方に関する社会科学的な分析が不可欠である.
かつてハンス・ケルゼンは,法を社会技術と位置付け,法を秩序により構成された共同体が強制手段を独占し適用するところの強制秩序の確立と定式化している.そして,法は刑事法から民事法へとサンクションが分化していったと指摘する(24).いかなる社会にも法は存在する中で,自主規制といった新たな法規範の登場は,新たな分化と言える.
このように考えると,自明的な結論だが,少なくとも,社会技術として新技術を捕捉し,価値的な問題を検討する法や倫理の分野からすれば,既存の研究を地道に深化させることが基本的姿勢として重要である.社会科学は,新技術が既存の価値との衝突に挫折し,市場化されない悲劇を防ぐために,価値を定式化する重要な役割を持っているからである.とりわけ,社会科学系のディシプリンを基礎として,電子情報通信技術との関わりを研究する立場からは,そこにしか“夢”はないことになる.
しかし,共同規制の理論や技術と法の組合せによる知的財産権の保護に見られるように,技術と法を含めた規範の組合せの在り方は今後も技術とともに進化していくことが想定される.
もっとも,それを別の角度から見れば,常に新しい技術が出るたびに既存の概念との関係に悩み,思考し,解決するための解釈という“価値”を創造していく作業が永久に続くことも意味している.
それは技術がもたらすこの分野の研究者の“夢”であるとも言える.
(1) 高橋暁子,“ピコ太郎「PPAP」はなぜ世界的にヒットしたのか?,”情報処理,vol.58, no.1, pp.6-7, Dec. 2016.
(2) S. Nakamoto, “Bitcoin: A peer-to-peer electronic cash system,” https://bitcoin.org/bitcoin.pdf (2016年12月25日閲覧)
(3) 高橋郁夫,“仮想通貨の法律問題,”2014信学ソ大,no.AK-2-2, Sept.2014.
(4) J. Grimmelmann, “Bitcoin,” INTERNET LAW: CASES AND PROBLEMS v.6.0, pp.650-653, Aug. 2016.
(5) 芦部信喜,憲法 (第5版),高橋和之 (補訂),岩波書店,東京,2011.
(6) 岡田仁志,“仮想通貨のしくみ,”国民経済ウェブ版,no.49, pp.12-14, Aug. 2016.
(7) The IEEE Global Initiative for Ethical Considerations in Artificial Intelligence and Autonomous Systems, Ethically Aligned Design: A Vision for Prioritizing Human Wellbeing with Artificial Intelligence and Autonomous Systems(AI/AS), http://standards.ieee.org/develop/indconn/ec/ead_v1.pdf (2016年12月25日閲覧)
(8) 特許庁総務課,平成28年度人工知能技術を活用した特許行政事務の高度化・効率化実証的研究事業企画提案公募要領 (平成28年3月),2016.
(9) 松村将生,“『次世代知財システム検討委員会報告書』及び『知的財産推進計画2016』の概要について,”知財研フォーラム,vol.107, pp.3-9, Dec. 2016.
(10) 水野 祐,“イノベーターを支援するための次世代知財制度に向けて,”知財研フォーラム,vol.107, pp.20-29, Dec. 2016.
(11) 奥邨弘司,“著作権法》THE NEXT GENERATION~著作権の世界の特異点は近いか~”コピライト,vol.56, no.666, pp.2-24, Oct. 2016.
(12) 野口祐子・堀岡 力,“ディジタルネットワーク時代の著作権処理と課題,”信学誌,vol.90, no.2, pp.101-105, Feb. 2007.
(13) 三浦正広,“情報通信技術の発達と人格権・肖像権―情報通信技術が人格権の概念をどのように変えるか:法律家の視点から―,”信学誌,vol.90, no.2, pp.86-90, Feb. 2007.
(14) 中山信弘,著作権法 (第2版),有斐閣,東京,2014.
(15) 知的財産研究所,EXPOSURE(公開草案)’94―マルチメディアを巡る新たな知的財産ルールの提唱,1994.
(16) 名和小太郎,“デジタル技術と著作権,”情報の科学と技術,vol.45, no.6, pp.260-265, June 1995.
(17) L. Lessig, CODE: And Other Laws of Cyberspace, Version 2.0, Basic Books, 2006.
(18) 成原 慧,表現の自由とアーキテクチャ:情報社会における自由と規制の再構成,勁草書房,東京,2016.
(19) 栗原佑介,“3Dプリンタと知的財産侵害リスク―刑事的規制を中心に―,”パテント,vol.69, no.7, pp.72-79, May 2016.
(20) L. Lessig, “The law of the horse: What cyberlaw might teach,” Harvard Law Review, vol.113, pp.501-546, Dec. 1999.
(21) 山口いつ子,情報法の構造,東京大学出版会,東京,2010.
(22) 岡田仁志,“仮想通貨の制度論的考察,”2014信学ソ大,no.AK-2-3, Sept.2014.
(23) 生貝直人,情報社会と共同規制:インターネット政策の国際比較制度研究,勁草書房,東京,2011.
(24) ハンス・ケルゼン,“社会技術としての法,”ハンス・ケルゼン著作集Ⅳ法学論,森田寛二 (訳),pp.146-172,慈学社,東京,2009.
(注1) Blu-ray disc, HD-DVDに用いられる保護技術であり,コンテンツを暗号化し,復号に必要な鍵等を機器メーカにライセンスし,そのライセンス契約により,機器メーカにコンテンツの複製制御等を義務付ける.
(注2) 音楽CDで用いられているような再生機器とディジタル記録機器をディジタル音声接続したときに記録機器の記録機能を制御(複製の世代制御)する技術.
(注3) Sony Corp. of America v. Universal City Studios, Inc., 464 U.S. 417(1984)
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