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「学会」について考えるとき,必ず思い出すことがあります.今からおおよそ40年前,大学2年生のときのことです.3年次以降の志望進学先の申請に先立って,各学部各学科の内容についての説明会がありました.そのとき,科学史科学哲学科の代表として登壇したのが村上陽一郎先生でした.そして,次のようなことをおっしゃったのです.「科学史・科学哲学という学問も日本においてようやく学会が設立されるところまで根付いてきた.だが,これは学問の発展にとって大変不幸なことである.」
はるか昔のことですので表現は正確ではないかもしれません.でも,これから進学してくるかもしれない学生たちに向け,自らの学問領域で起きたことを指して「不幸」と言い切ったことにちょっと驚いたことだけはよく覚えています.そして,いわゆるアカデミアというものがどういう世界であるのか,まだ全く知らない私ではありましたが,「不幸」の意味するところは理解できました.学会という専門家集団が生まれれば,そこに定説が生まれ,権威が構築されます.そしてそのこと自体が,新しい知的創造の妨げになることがあるわけです.
「学会」についての至極真面目なそして重要な議論の場に遭遇すると,ふとこの不幸のことを思い出すのです.私は今,ひょっとしたら不幸の片棒を担いでいるだけなのかもしれないと.教科書を頼りに学んできた私たちが,教科書を書き換える仕事をする,それが知の創造であるわけですから,その営みとはそもそも自己矛盾的要素をはらんだ闘いです.では,この不幸を乗り越えるにはどうすればよいのでしょうか.
文化人類学においてよく使われる表現に「トリックスター」という言葉があります.トリックスターとは「文化英雄であると同時に既存概念や社会規範の破壊者であり,あるいは賢者であるが悪しき要素を持つなど,一面的な定型に納まらない存在」(Wikipedia)です.アカデミアの世界においてもその長い歴史の中で常に,知のトリックスターというべき英雄が存在しました.既存の学問領域を越境し,新しい知的世界のけん引車となることもあれば,単なるお騒がせにすぎない厄介者になることもあります.いずれにせよ,その行動は多様な学問領域における博識と深い洞察に裏打ちされたものであるとともに,何より本人がその知的世界の渉猟を嬉々として愉しんでいるのです.
情報通信技術の発達,情報のオープン化,価値のグローバル化が新たなトリックスターを生み出し,活躍の場を提供するはずです.将棋や囲碁の世界では10代の若手がタイトルを獲得する時代になりました.アカデミアの世界でも早晩同じことが起こると予測しています.例えば,Kaggleで活躍する人たちを観察していてもその兆候を強く感じます.恐らく20年あるいは10年以内に,学会を取り巻く環境は激変するでしょう.学会は新しい時代における新しい役割を見いだすことができるでしょうか.
こうあるべき,あるいは,こうありたいという理想を語ることはもちろん大切なことですが,それとともに,必ずいずれはこうなるという予測と確信に基づいて,今から準備をしておくことも重要です.そして,もちろん予見できないことだってたくさんあるけれど,将来を最も高い精度で予見できるのは,現場の技術者,研究者のはずです.次世代のトリックスターはどこに潜んでいるのか.これからの学会は,彼らを探し育てることにもっと時間と知恵を使ってもよいのかもしれません.若い人たちは,きっと,人間が創り出したこの知の世界で暴れ,愉しむすべを身につけてくれることでしょう.
この草稿を書き上げてから配布されるまでの3か月の間に世界を取り巻く状況が激変しました.そう,トリックスターは人間であるとは限りません.人工知能かもしれないし,今はやりのあれかもしれません.受けて立つ側の「知」が問われています.
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