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Vol.107 No.5 (2024/5) 目次へ

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 * 暦の上では夏が近づいている.季節というものは,何歳になっても同じようで違った趣がある.

 * 「夏は夜.月のころはさらなり.闇もなほ,蛍の多く飛びちがひたる.」

 * 枕草子の一節である.短いながらも,普遍的で秀逸な一節である.暑さが少し落ち着いた夜,残る熱気,夏らしい匂いを感じつつ,昼間より少し静かな空気の中に,月の光とゆらゆらと漂う蛍の光をイメージすることができる.この感覚は非常に「身体性」を持っていて,多くの人が人生で感じてきた夏の体験のエッセンシャルな部分が呼び起こされるだろう.

 * さて,人工知能はこの一節をどう解するであろうか? 「夏」「夜」「月」「ころ」「闇」「蛍」.名詞を抜き出すとこれらである.これらの組合せだけでも夏を連想させる.夏に比較的よく現れる単語である.複数の単語がよく共に現れる現象を「共起」と呼び,深層学習で使われるアテンション機構も,そう単純ではないが,この共起のような情報を捉えている.

 * 人間の場合,「共起」だけでは受け取る感覚が一意には定まらない.ここが人工知能との違いのように思う.同じ枕草子の一節でも,印象は年齢でも異なるし,そのときの体調,周りの環境,もしかしたらそのときの人間関係によっても変わるかもしれない.これらは人間のバイオリズムに影響を与え,脳の活動を通じて感覚に影響を与える.

 * この「身体性」こそ「共起」だけでは表現できない一期一会の感覚を与えるものである.人間と人工知能が真に理解し対話できるようになるには,人工知能側がこのような一期一会の感覚を会得することが必要になるだろう.

 * もう一つ,前述の一説には興味深い点がある.「蛍」である.現代日本人の多くは「蛍」を直接見たことはないかもしれない.それでも,人間は,人から聞いた,あるいは,本で読んだ「蛍」の情報から,各々の夏の体験,イメージの中に「蛍」を投影することができる.これも非常に人間らしい不思議な能力である.「蛍」というイメージが人間に伝わった途端,シンボルが単なるシンボルでなくなり,「身体性」を持った感覚の空間の中に位置付けられるのである.

 * このような多様な感覚を持った人間だからこそ,枕草子は時を超え現代まで名作として生き続けたのであろう.恐らく各地に伝わる伝承,伝統芸能といったものも「身体性」を介して現代に伝わってきたと想像される.このような人間と人工知能が共に進化する時代は,どのような時代になるだろうか? その関係性は時代を超えるだろうか? こんなことを思う季節である.

(編集特別幹事 黒川茂莉) 


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