知識の森 アクティブノイズコントロール

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Vol.107 No.8 (2024/8) 目次へ

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知識の森

応用音響研究専門委員会

アクティブノイズコントロール

梶川嘉延(関西大学)

本会ハンドブック「知識の森」

https://www.ieice-hbkb.org/portal/doc_index.html

1.アクティブノイズコントロールの概要

 騒音問題に対する対策の一つとして,対象騒音に対してスピーカ(二次音源)から擬似騒音を放射し,干渉させることにより低減を行う技術をアクティブノイズコントロール(ANC : Active Noise Control)(1)(4)と言う.近年ではノイズキャンセリングヘッドホンとして一般にも親しまれている身近な技術である.

 ANCの歴史は古く,P. Luegによる1936年の米国特許(5)においてANCの基本原理が示されている.しかしながら,ANCの研究開発が本格化したのはディジタル信号処理の理論が急速に進展し,ディジタル信号処理を実装するためのDSP(Digital Signal Processor)デバイスが登場した1980年代である.1980年代はANCをディジタル実装するための様々な制御手法や信号処理アルゴリズムが検討された.その中でも特に適応信号処理技術の進展はANC技術の進展と密接な関連がある.

 その後,1990年代中頃までは大学のみならず産業界においても様々な応用を念頭においた研究開発,更には事業化に向けた検討が進められたが,当時のDSP技術では多チャネルによる広い音響空間の制御が困難であったため,ダクトを対象製品に取り付けるなどした一次元制御が主流であった.そのため,実用化に見合うコストパフォーマンスを提供するには至らず,20世紀末頃には多くの企業が事業化から撤退し,大学における研究も下火となり,ANCは冬の時代を迎えることになった.一方で基礎的な研究開発はその後も続けられ,21世紀に入ってノイズキャンセリングヘッドホンが爆発的な普及をしたことで,ANCに関する研究が再度熱を帯び,現在に至っている.

 現在では,ハードウェア技術の進展に伴い,多数のマイクロホンと制御スピーカを用いるマルチチャネルANCを実験室レベルで実現できるようになり,公共空間や住環境などの三次元空間におけるANCに関する研究が活発に行われている.例えば,開放された窓から室内に入射する騒音に対して,多数のスピーカとマイクロホンを用いたマルチチャネルANCにより低減する技術も開発されており,マルチチャネル制御の実用化も視野に入りつつある状況である.

 また,近年では1990年代において既に原理が提唱されていたバーチャルセンシング技術(6)に関する研究開発も急速に進んでいる.後で述べるように,ANCでは騒音制御対象領域にマイクロホンを設置するのが基本であるが,ANC稼動中にマイクロホンを設置できない応用場面も多数あるため,制御対象領域にマイクロホンを設置することなく騒音低減可能なバーチャルセンシング技術は実用時において現在では必要不可欠な技術となっている.なお,現状においても対象領域をマイクロホン周辺で形成するポイント制御がANCの主流である.ポイント制御の利点は比較的少ないチャネル数でANCシステムを実現できることである.ただし,マイクロホン地点を中心に1/10波長の範囲でしか10dB以上の騒音低減が実現できないため,ANCで制御可能なのは比較的低周波騒音に限定されるのが現状である.

2.ANCの制御方式

 ANCの制御方式はフィードフォワード形とフィードバック形に大きく分類される.フィードフォワード制御では,一般的に騒音を検出するマイクロホン(参照マイクロホン)及び消音効果をモニタリングするマイクロホン(誤差マイクロホン)と擬似騒音を生成する二次音源スピーカから構成されている.一方,フィードバック制御では,参照マイクロホンがなく,誤差マイクロホンのみで対象騒音を制御する.以下ではそれぞれの制御方式について,適応信号処理に基づくディジタルANCについてその原理を概説する.

2.1 フィードフォワード制御

 図1にフィードフォワードANCの制御構成を示す.この図において騒音源からの騒音と二次音源からの擬似騒音mathmathとの干渉音が誤差マイクロホンで誤差信号mathとして検出される.一方,騒音源から参照マイクロホンまでの参照経路mathを伝搬した騒音は参照信号mathとして検出され,適応フィルタに基づく制御フィルタmathへの入力として用いられる.そして,制御信号mathが生成され,二次音源スピーカから放射される.その後,二次音源から誤差マイクロホンまでの一連の伝達系である二次経路mathを伝搬した擬似騒音mathは一次経路mathを伝搬してきた対象騒音mathと干渉し,騒音低減が実現される.騒音低減の実現には,制御フィルタmathの係数を任意の適応アルゴリズムにより更新する必要がある.ここで,適応アルゴリズムの導入には,二次経路のモデルmathが二次経路の影響を補償するために必要であり,このような適応アルゴリズムをFiltered-xアルゴリズムと呼ぶ.代表的なFXLMS(Filtered-x Least Mean Square)の更新式は

math

(1)

となる.ここで,mathはステップサイズパラメータと呼ばれる正の定数,mathは制御フィルタの係数ベクトル,mathはフィルタード参照信号ベクトルである.

図1 フィードフォワードANCの制御構成

 図1から騒音を完全に制御するには,騒音制御フィルタmath

math

(2)

となる必要がある.しかし,式(2)の分母に参照経路math並びに二次経路mathがあるため,制御フィルタをFIRフィルタで実現する場合には長いタップ長が必要となり,対象騒音を完全に制御することは一般的に困難であるが,10dB以上の低減は比較的容易に実現できる.

2.2 適応フィードバック制御

 一般的なフィードバックANCの実用例の多くは古典制御理論などに基づくアナログ制御が主流であるが,制御可能な帯域幅は制御系全体の遅延量が大きくなるに従い,狭帯域になる.また,フィードバックANCをディジタル制御で実現するのは遅延が大きくなる問題を回避できないため,フィードバック形の構造を内部的にフィードフォワード形に置き換え,適応フィルタに基づく線形予測により制御を行うIMC(Internal Model Control)構造を用いるのがディジタル実現においては一般的である.ただし,IMC構造は線形予測に基づくため狭帯域騒音しか制御できないという制約がある.

 図2に適応フィードバックANCの制御構成を示す.この図において騒音源からの騒音mathと二次音源からの擬似騒音mathとの干渉音が誤差マイクロホンで誤差信号mathとして検出される.その誤差信号mathから擬似騒音の推定信号を差し引くことで,誤差マイクロホン地点での対象騒音mathmathの推定値を求め,それを参照信号mathとする.そして,制御フィルタmathに入力することで制御信号mathを生成し,二次音源から放射する.その後,二次音源から誤差マイクロホンまでの一連の伝達系である二次経路mathを伝搬した擬似騒音mathは一次経路mathを伝搬してきた対象騒音mathmathと干渉し,騒音低減が実現される.なお,フィードフォワードANCと同様に,騒音低減の実現には,制御フィルタmathの係数をFXLMSなどにより更新する必要がある.

図2 適応フィードバックANCの制御構成

 図2において,制御フィルタの出力を二次経路モデルでフィルタリングした信号は,二次経路と二次経路モデルが完全に一致する場合,誤差マイクロホン地点で観測される擬似騒音と同一であるため,誤差信号との合成で生成される参照信号mathは対象騒音mathと一致する.この場合,制御フィルタmath

math

(3)

となる.ここで,二次経路mathが分母にあるため,制御フィルタをFIRフィルタで実現する場合には長いタップ長が必要となる.また,二次経路mathは時間的遅延を含むため,制御フィルタは線形予測フィルタの機能を持つことになる.したがって,適切なタップ長は二次経路の特性と騒音の周期性に依存する.

3.アクティブノイズコントロールの今後

 ANCにおける最近の話題としては,カーネル補間や球面・円筒調和解析に基づき,マイクロホンを設置した範囲内で比較的広い消音領域を形成することができる空間ANCがある.シミュレーション上での検討に加えて,実空間での検討も進んでいる.まだまだ実用化に向けて解決すべき課題もあるが,空間ANCが実用化されれば,公共空間においてパーソナルな音空間の提供も夢ではなくなるかもしれない.

 また,多数の制御フィルタを事前に用意し,制御時にはそれらの中から適切な制御フィルタを選択し騒音低減を行う選択固定フィルタANC(SFANC : Selective Fixed-filter ANC)についても精力的に研究が進められている.SFANCでは最適な制御フィルタを制御対象騒音の特徴に基づき機械学習により選択する.このように適応フィルタを用いずに多数の事前設計された制御フィルタを選択する方式が実用上の観点から高い注目を集めている.

 一方で,ANC技術を様々な応用分野に展開するためには,アルゴリズムや制御手法の検討だけでなく,応用例に応じて最も適した二次音源用スピーカの開発が必要不可欠である.例として,オフィスなどの間仕切り表面上に二次音源を設置する場合にはバックキャビティが必要な動電形スピーカよりも圧電形スピーカの方が適している.また,設置上の制約だけでなく,制御したい騒音が形成する音場に類似した音場を生成可能なスピーカがあれば,少ないチャネル数でより広い範囲の制御が可能となる.したがって,ANCに適した様々なスピーカを開発することが必要である.

 騒音問題はあらゆる場所で様々な形で発生し,健康への影響も大きいことから,その対策は急を要する.そのような騒音問題に対する一解決策であるANCは今後ますます注目されることが予想される.

文     献

(1) S.M. Kuo and D.R. Morgan, Active noise control systems-Algorithms and DSP Implementations, John Wiley & Sons, New York, 1996.

(2) S.J. Elliott, Signal Processing for Active Control, Academic Press, San Diego, 2001.

(3) 西村正治,宇佐川 毅,伊勢史郎,梶川嘉延,新版アクティブノイズコントロール,コロナ社,東京,2017.

(4) Y. Kajikawa, W.S. Gan, and S.M. Kuo, “Recent advances on active noise control : Open issues and innovative applications,” APSIPA Trans. on Signal and Information Processing, vol.1, pp.1-21, Aug. 2012.

(5) P. Lueg, “Process of silencing sound oscillation,” U.S. Patent no.2043416.

(6) D. Moreau, B. Cazzolato, A. Zander, and C. Petersen, “A review of virtual sensing algorithms for active noise control,” Algorithms, vol.1, no.2, pp.69-99, 2008.

(2024年4月15日受付) 


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