
電子情報通信学会 福祉情報工学研究専門委員会
福祉工学研究倫理
梶谷 勇(産業技術総合研究所)
isamu.kajitani@aist.go.jp
1.福祉工学研究倫理とは
倫理とは社会的な行動規範などを示すものである.研究倫理とは,研究という行為を社会に受け入れてもらうために,研究を行う際の行動規範として研究者らが自ら作成したルールと考えることができる.すなわち,社会的に意義のある研究が行われるための行動規範であることはもちろん,社会的な信用の失墜につながる研究上の不正行為が行われないための行動規範でもある.昨今では,特定不正行為と呼ばれるねつ造,改ざん,盗用だけでなく,好ましくない研究活動として,不適切なオーサーシップ,データや研究記録の不適切な管理,不十分な先行研究調査なども研究上の不正行為として考えられるようになった.このような不正行為が行われないように予防措置(組織体制や罰則等の整備)を講じる(予防倫理)だけではなく,倫理的な判断に迷った場合に適切な判断ができる研究者の育成・再教育等(志向倫理)も行われている.また,人や人の行為等を研究対象としてあつかう研究領域においては,研究に参加する人の安全,尊厳,権利等を守ることも必要であり,先行して整備されてきた医学系だけでなく,工学系の多くの研究分野でも人を対象とする研究の倫理指針や解説書等が作成・出版されている (1).
本稿で概説する福祉工学分野における研究倫理とは,いわゆる研究活動における倫理(予防倫理,志向倫理)に加え,研究分野の特徴として必然的に人をあつかう研究に関する倫理も含まれる.以下では,福祉工学分野の特性を概説した後,不正発生のメカニズムについて説明し,最後に,それらを考慮した研究遂行上の倫理的な配慮ポイントについて述べる.
2.福祉工学分野の特性
【対象者の多様性】福祉工学と呼ぶ研究分野では,主に障害者や高齢者らの生活や就労などの活動を直接的,あるいは間接的に支援する工学技術をあつかっており,新しい技術の基礎的な研究から,既製品等を用いた支援サービスに関するものまで,幅広い研究が行われている.特徴としては,研究の対象者が障害者あるいは高齢者など,生活や就労の場面において何らかの制約や困難があり,様々な支援の対象となる人たちであることが多い.このような対象者らは多様な特性を持つため一つの大きな集団として考えることができず,その家族や支援者らのコミュニティも一つの大きな集団ではなく,個別の障害等に応じた多くのコミュニティが形成されている.
【技術・製品の多様性】対象者それぞれが持つ制約や困難が異なるため活用される工学技術も多様であり,福祉工学の対象となる工学技術の研究の幅は非常に広い.このため同じ福祉工学に関わる研究者同士であっても,対象者の特性が異なると互いの研究内容を理解することが容易ではない場合がある.さらに制約や困難が多様であることの結果として,一部の製品(ユニバーサルデザイン,公共的な標識やサイン等)を除いて,研究成果が活用される各工業製品の市場はそれほど大きくなく,また公的な補助金や保険制度の対象となる製品も多い.
【対象者の特徴】研究の対象となる障害者や高齢者らは,特定の場(学校や施設など)に一時的に集まったり,そこで生活したりしている場合もあるが,そうではない場合は,各自の自宅や就労現場など,多様な場において生活・就労している.このため研究の実施の際には,一度に多くの対象者に対する大規模な調査や実験等が容易にできる場合は限られており,小規模な調査や実験に留まったり,個別に時間をかけて調査や実験などを実施しなければならない場合も多い.積極的に研究の実施に協力をしてくださる人も多く,必ずしも自分自身が直接的な恩恵にあずかることができない可能性を理解しつつも,科学技術の発展と,その成果の社会還元のために好意的に協力してくださる方が多い印象がある.
【実践と研究の境界】福祉工学分野の研究では,研究として実施される行為が,そのまま対象者支援の実践の中で実施される場合があり,研究と実践の境界があいまいである.すなわち,対象者の支援として行われる行為が,社会的なコンセンサスが得られた実績のあるベストプラクティスであるのか,あるいは不確実性のある研究途中の行為であるのか,明確な区別がなされないままに行われることがある.このため支援を受ける対象者側も,ベストプラクティスとしての支援であるのか,研究的な不確定要素のある支援であるのかを明確に区別できないままに研究に参加する可能性がある.
【研究実施者の多様性】当事者に対する支援の実践を伴うことで,研究者としての教育を受けていない人(モノづくり企業の人や支援現場の人など)が研究的な行為を実施することも多いのが,この分野の特徴である.なお,「製品開発なので」,あるいは「支援の実践なので」等の理由で研究ではないといった主張を見かけることがあるが,行われる行為の中に新たな知見を得る研究的な要素があれば,研究として社会の理解を得る必要があり,研究倫理を無視すべきでない.
3.不正発生のメカニズム(図1)

文部科学省ホームページに掲載される「研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて 研究活動の不正行為に関する特別委員会報告書」 (2)の「第1部 Ⅲ 不正行為が起こる背景」では,研究現場を取り巻く現状と,研究組織・研究者の問題点の2つの側面を説明している.前者では研究現場における資金獲得,研究者のポスト獲得等における競争の厳しさが,後者では研究に対する使命感の薄れ,不十分な教育,自浄作用が働きにくい組織体制,成果主義などが挙げられている.
前述の福祉工学分野の特性をふまえると,まず前者に挙げられた競争の厳しさと後者の成果主義については,著者の主観的な印象であるが不正を誘発するほどの厳しい競争があるようには感じていない.また,この分野の多くの研究者は,対象者たちへの支援に向けて善意で行動しているように感じられ,後者に挙げられる使命感についても,強い使命感を持って研究が行われていると思う.
しかしながら,教育と自浄作用については懸念すべき点がある.教育については,国内で研究倫理教育が体系的に整備され始めたのが2000年以降であり (3),まだ十分な歴史がない.また福祉工学分野では,支援の実践の中で研究が行われること(【実践と研究の境界】)等により直面する課題の解決だけが重視されたり,研究者としての教育を受けていない人が研究を実施する(【研究実践者の多様性】)ことがあるため,研究としての倫理的な手続きについての教育が十分に提供されていない場合もある.例えば先行研究・先行事例調査の必要性が十分に教育されないことで,同じような研究が繰り返されたり,既製品と同じようなものを新規で研究開発したりすることがある.また昨今の人を対象とする研究倫理審査システムの充実により,審査で承認されることが目的化してしまい,研究倫理としての本質的な教育が十分に行われないことも懸念している.
自浄作用については,前述のように福祉工学分野の研究は多様(【技術・製品の多様性】)であるため,同じ研究室内であっても,他の人の研究を理解できない場合もあり,結果的に互いの研究に関する議論が十分に行われず,研究倫理面での自浄作用も働きにくい可能性がある.また対象者らのコミュニティも多様(【対象者の多様性】)であり,好意的に研究に参加(【対象者の特徴】)してくださっているため,研究者らの活動に対する疑問があったとしてもコミュニティ間で共有されなかったり,研究者らにフィードバックされなかったりすることで,研究者らの自浄作用につながりにくいことも考えられる.研究の成果が製品広告等に用いられる場合もあるが,不適切な製品広告があったとしても【製品の多様性】【対象者の多様性】のために自浄作用が働きにくく,また【対象者の特徴】に記す限界により小規模な研究しか実施されなかったり,【研究実践者の多様性】により科学的な妥当性が十分に担保されない研究が行われ,それらの成果が製品広告等に用いられてしまうことも考えられる.
また昨今の研究不正を受け,特に人を対象とする研究倫理指針が頻繁に更新されており,そこで求められる手続きが複雑化するとともに,最新情報を理解して追従し続けることが容易ではなくなっている.このため,福祉工学分野に限らない話ではあるが,まったく悪意はないにもかかわらず,気付かないうちに手続き上の不備を起こし,研究上の不正行為となってしまう危険性も高まっている.なお,このタイプの意図的ではない研究不正の多くは時間的な制約が原因である印象があり,時間に余裕をもって準備をすることで防ぐことができると考えている.
4.福祉工学分野における研究倫理のポイント
福祉工学分野における研究倫理では,まず研究に参加する対象者らの保護が必要である.前述のように実践と研究の境界があいまいであることから,研究であることに気づかずに研究に参加してしまうことも考えられる.また,研究への参加においてどのようなリスクがあるのか参加者にはわかりにくく,リスクを認識しないまま好意的に研究に参加してしまうことも考えられる.研究への参加は,実施内容について,リスクや負担を含めて丁寧に説明して理解していただき,自発的に参加に同意していただくことが必要である.なお,研究対象者の中には同意能力が十分ではない人 (4)が含まれる場合がある.安易に代諾者による同意で済ませるのではなく,当事者の理解を得るための努力を怠らず,明確な拒否があれば研究を実施してはならない.
研究であることを認識しないままに研究的要素を含む活動を実施する人や,研究倫理について十分に教育を受けないままに研究を実施する人も多い.たとえ善意に基づく支援を目的とする研究であっても,それだけですべての行為が正当化されるわけではない.研究的要素のある行為であることを実施者本人が理解し,当該研究分野における研究倫理指針等に従い研究を実施する必要がある.前述のように自浄作用が働きにくい構造があったり教育が十分に提供されていない可能性もあるため,研究者個人の努力だけに頼るのではなく,研究者間のコミュニケーションを活発にしたり,教育の機会を増やすことも福祉工学分野として考える必要がある.
最後に繰り返しとなるが,この分野での研究の成果は,最終的には製品の広告等に用いられ,当事者らの購入や使用の判断に用いられたり,公的な支援の判断基準等に用いられることが考えられ,社会的に大きな影響を持つ.このため,科学的に妥当な方法で研究を実施することはもちろん,過剰に期待をあおるような結果の見せ方は慎まなければならない.
文 献
(1)福住伸一,西山敏樹,梶谷勇,北村尊義,事例で学ぶ人を扱う工学研究の倫理,近代科学社,2023.
(2)科学技術・学術審議会研究活動の不正行為に関する特別委員会,“研究活動の不正行為への対応のガイドラインについて─研究活動の不正行為に関する特別委員会報告書─”, 2006.
(3)有限責任監査法人トーマツ,“諸外国における研究倫理教育内容の水準に関する調査・分析業務成果報告書”, 2020.
(4)(監修)日本臨床倫理学会,「認知症の人が参加する研究の倫理」に関する提言,ヘルス出版,2019.
(2026年2月19日受付)

