記念特集 2-1-9 裸の猿は電気情報通信の夢を見るか?――人間の社会心理の起源――

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Vol.100 No.11 (2017/11) 目次へ

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松田昌史 正員 日本電信電話株式会社NTTコミュニケーション科学基礎研究所

中西大輔 広島修道大学健康科学部心理学科

Masafumi MATSUDA, Member (NTT Communication Science Laboratories, NIPPON TELEGRAPH AND TELEPHONE CORPORATION, Kyoto-fu, 619-0237 Japan) and Daisuke NAKANISHI, Nonmember (The Faculty of Health Sciences, Hiroshima Shudo University, Hiroshima-shi, 731-3195 Japan).

電子情報通信学会誌 Vol.100 No.11 pp.1215-1221 2017年11月

©電子情報通信学会2017

1.は じ め に

 人間は「社会的動物」であると言われる.つまり,人は他者との交流に特徴付けられる動物であり,他者とのコミュニケーションや協力関係といった社会性によって今日の繁栄を達成した.一方で,自己利益の追求のために他者を巧妙に出し抜いたり,成功した他人を見て嫉妬に苦しんだりすることも人の社会性の一側面である.

 情報通信技術は人々のコミュニケーションを容易にし,その質を高めるという点で人間の社会的知性を良い方向へと拡張し,人類に大きな繁栄をもたらした.ところが,簡便過ぎるコミュニケーションツールは,匿名の利用者が一方的な誹謗・中傷を流布させるなど悪しき影響ももたらした.

 本稿では,「社会的動物」という人間の本性に焦点を当て,情報通信技術の光と影について社会心理学やその周辺領域の知見に照らして議論し,将来の技術開発への期待を述べる.

2.人のコミュニケーションの特異性

2.1 毛繕いから音声言語,集団規模

 人以外のほとんどの動物のコミュニケーションは,威嚇や恐怖,求愛などの限定された感情表出に限られる.人はそれらに加えて,過去の出来事や将来の予測,伝聞や抽象的な思考など,より高度な意味や情報を相互に伝達し合う.しかも我々は,暇さえあれば誰かとおしゃべりをしようとする.誰かと同席した際,互いに黙り込んでいたら気詰まりに感じたりする.

 我々がこれほどまでにコミュニケーションをしたがる理由について,霊長類の進化の点から興味深い仮説が提唱されている.Dunber(1)によれば,人が音声言語を発達させた理由は,集団規模の拡大にあるという.

 進化上の人の近縁種である霊長類(例えばチンパンジーなど)は群れで生活し,よく知られているように,仲間と頻繁に毛繕いを行う.毛繕いには寄生虫を駆除するという直接的な目的がある一方で,相手に親密さを示す行為としての役割もある.毛繕いをやり合う相手は親密な個体同士である.また,他個体の毛繕い関係を観察することで群れの中の親密さ関係のネットワークを把握し,自分の敵や味方を識別するための情報を集める.

 ところが,共に生活する群れの個体数が多くなると,毛繕い関係のペアも指数関数的に増加する.極端な言い方をすれば,24時間を全て毛繕いに費やしても間に合わないほどになる.こうなってしまっては,子育てや食料摂取など生命維持に必要な時間すら確保できなくなる.

 そこで,毛繕いの時間を節約する手段として,人の祖先は音声言語を使うようになったというのがDunberの仮説である.毛繕いでは一対一関係でしか親密さを伝えることができないが,音声ならば一度に複数の相手にメッセージを送ることができる.こうすることで時間効率性を高めることができる.また,言語を使用すれば,自分が直接観察していないペアの関係性についても情報交換をすることができる.巨大化する集団の中で,その場にいない者の情報を素早くすることができれば,社会を効率的に運営できる.

2.2 通信技術

 一方で,生物としての人の身体には言語利用上の制約がある.我々はどんなに大声で叫んでみても,声帯の構造上せいぜい数十m先の相手にしか声を届けることができないという空間的制約がある.また,声は逐次聞き取って即時処理しなくてはならないという時間的制約もある.

 人類はこれらの空間的・時間的制約を乗り越えるため,様々な通信技術を発展させてきた.文字を発明し,洞窟の壁面や粘土板に記すことで情報を長期間保存することを可能にした.更には,紙などの持ち運び可能な媒体を利用し,遠くにいる相手にも情報を伝えることを可能にした.19世紀には電話が発明され,適切な設備さえあれば,地球上のいかなる地点間においても瞬時に音声コミュニケーションを行うことができるようになった.

 更に,20世紀末にはインターネットが爆発的に普及した.インターネットの重要な特徴の一つにマルチメディア化がある.従来の通信技術では,やり取りできる情報の種類は通信メディアごとに固有であった.例えば,電話は音声のみ,紙(手紙)やFAXは文字・図形のみに限られており,両者を混在させることは困難だった.それに対してインターネットでは,コンピュータや通信回線の飛躍的な処理能力向上により,視聴覚情報を区別なくディジタル信号に変換し,送信することができる.これにより,人々の豊かなコミュニケーション環境が実現されている.更には,通信機材の小形化,低価格化も進み,手の平サイズのスマートフォンを用いたビデオコミュニケーションも可能なほど情報通信技術が発展している.

 自身の周囲数十mにしか声を届けられなかった我々の祖先のことを思えば,隔世の感を禁じ得ない.そして,このような通信技術の発展と社会の大規模化は表裏一体となって今日の人類に繁栄をもたらしたのだろう.通信技術が広範な人間関係を可能にし,また大規模化する社会が通信技術の発展を要請していると言える.

2.3 生物学的に規定された集団規模

 人は大規模な集団を作り,また維持することを可能にしてきた.しかし,そのことは我々の祖先にはなかった新しい問題を突き付けるようになった.

 霊長類の毛繕いと音声言語の文脈において,Dunber(1)は各生物種の大脳新皮質のサイズと,その種が形成する集団個体数について調査を行った.そこから,群れの個体数が多い種ほど,大脳新皮質の割合が大きくなっていることが分かった.大脳新皮質は,いわゆる「意識的な思考」をつかさどっており,分析的な思考や将来の予測・計画,言語など高次な機能を担っている脳部位である.

 先に紹介したとおり,霊長類は毛繕いによって個体間の関係性に関する情報を取得する一方,対象となる個体の数が増えると,把握すべきペアの数が爆発的に増大し,より大量の情報を処理する能力が必要となる.このことが大脳新皮質のサイズと集団個体数との間に正の相関関係が見られる理由だと説明されている.

 多くの霊長類から集められた相関データを基に,人の大脳新皮質サイズを所与として人集団規模を推定したところ,その数は150人程度だとされた.これは狩猟採集民のバンドサイズや軍隊の中隊規模に相当する.ここで重要なことは,人の大脳新皮質の大きさから予測される社会の構成人数は150人であるのに,現代の現実の社会はそれをはるかに上回る構成員を有しているという事実である.

3.社会性の光と陰

3.1 生物学的制約を越えた集団

 言語や様々な社会制度,技術革新は人の集団規模を巨大化させる上に役立ってきたし,そのことによって我々は大きな恩恵を被っている.一方,我々の本来の大脳スペックを超えた大規模な社会は様々な難しい問題を生み出す.150人程度の集団規模であれば,匿名性はほとんど存在せず,各個人の人格や相性,人間関係をほぼ把握できる.しかし,様々な技術革新で生物学的制約を越えた集団ではそれが困難である.例えば,ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)や携帯端末のアドレス帳,社員名簿などには150以上の人物が列挙されているだろうが,我々はそこに掲載されている個人の人となりや彼ら一人一人の交友関係をきちんと言い当てることができるだろうか.(逆説的に,それができないからこそ,大規模な人間関係を記録するためにそれらの手段が提供されているのであるが.)

 人は,他の生物種に比べて,個体ではぜい弱である.どう猛な捕食動物から逃走するだけの瞬発力も持続力も持たないし,逆に他の動物と闘争して食料を獲得するのに必要とされる強じんな筋力や生得的な武器も持たない.個体での不利を集団によって解決することが人の特徴である.個人が寄り集まって協力し合って厳しい自然に対峙しているのである.人は敵(捕食者や他の人間集団)と集団で戦うことで有利な状況を作り出してきた.一人のハンターが銃で動物を撃つにも,その銃はハンター本人が作ったものではなく,多くの人々との協力の末に完成したものである.今日の様々な技術革新も,多くの個人の知恵の蓄積と融合によって達成されている.

 社会性の発達や集団規模の増大に伴って,我々は社会全体としては高い効率を持った組織体を構成することに成功してきた.しかし,それは必ずしも平たんな道のりではなかったはずである.中でも,大規模な社会集団において解決が困難な問題として,フリーライダー問題が知られている.フリーライダー問題とは,ある財やサービスに対する対価を支払わずに,その便益だけを享受する者が発生するという問題である.

 例えば,我々は自分の収入の一部を自らが属する国や自治体などに預けて効率的な公共サービスの運用をしてもらうという税の仕組みを受け入れている.税により,個々人の限られた資源では成し得なかった大規模な公共事業を実施したり,警察・軍隊といった我々の生活を守る組織を維持することが可能になった.大規模な組織ではこうした仕組みが我々の福利水準を向上させる上で必要不可欠だが,その仕組みを成立させるには一筋縄ではいかない問題が存在する.税によって成される利益は全構成員に等しく分配されるため,脱税をする誘惑が発生する.自分が税を払わなくとも,他の大勢が納税してくれる限り公共サービスは維持され,自分もその恩恵にあずかることができるからである.大規模な社会では匿名性が高いため,脱税者を発見するにはそれなりのコストが発生する.脱税のように,個人がルール違反を犯す問題は「一次のフリーライダー問題」と言われる.もちろん,税に関するフリーライダー問題を解決するためには,税務署を整備して脱税者を厳しく取り締まるという方策が考え得るが,そもそも税務署を維持するにも税が必要であり,それを支払わない者が現れ得ることを考えると問題は簡単ではない.フリーライダーを排除するためのコストの負担問題を「二次のフリーライダー問題」と言う.フリーライダーを発見し罰するための仕組み作りは更なるフリーライダー問題を生み出すという点において,フリーライダー問題は解決が困難である.

 もちろん,現代社会は一部の逸脱者を許しつつも,基本的にはこうしたフリーライダー問題を何とか解決している.しかし,特に匿名性が高い状況における協力関係がいかに成立するかという問いに関しては,実のところいまだ理論上は解決していない.現実社会におけるフリーライダーの排除や自発的な協力がどのように成立しているのかは,古い問題ではあるが今正に社会心理学者が取り組んでいる問題である.

3.2 協力的な社会はいかに可能か?

 生物学においても,ある個体が別の個体に協力をすることは謎であった.生物学における協力とは,自己の適応度を減らし,他の個体の適応度を上昇させる行為と定義される.適応度とは生存率と繁殖率から計算される指標であり,一口で言えば,「生き残り,子孫をどれだけ残すことができるか」という指標である.適応度が低い個体(もしくはその子孫)は集団における比率を次第に低下させていくことになる.別の個体に協力するということは,自らの資源を他個体に提供し,自分や自分の子孫の利益や生き残りの可能性を減らす行為だからである.したがって,協力行動は通常繁栄し得ない.

 ただし,血縁関係にある個体同士であれば協力的な関係が構築され得るという血縁淘汰(kin selection)説が知られている(2).個体レベルの適応度だけでなく,自分との遺伝子の共有率を考慮した包括適応度(inclusive fitness)によって協力行動を説明するのである.進化の単位は個体ではなく遺伝子であり,血縁の近い個体は遺伝子の共有率が高い.例えば,自分と子どもや親や兄弟とは遺伝子を50%共有している.親の兄弟(おじやおば)や自分の兄弟の子ども(おいやめい)と25%共有している.遺伝子が進化の単位であると考えると,自分の血縁者を助けることは個体レベルの適応度には寄与しないが,包括適応度の観点からは合理的である.自分の兄弟を助けることは,自分を助けることによって得られる利益の50%を享受できることと同義だからだ.自分の子どもや兄弟を命掛けで守る行為はこの血縁淘汰説で説明できる.

 しかし,話はそこでは終わらない.我々は血縁のない者とも協力的な関係を構築するが,そのことは血縁淘汰では説明できないのだ.非血縁者との協力関係を説明する有力な原理は,互恵的利他主義(reciprocal altruism)である(3).ある程度固定的な関係が継続し互いに助け合うことが期待できるのであれば,非協力的な関係を継続するよりは協力することがお互いにとって得だというわけだ.正に「情けは人のためならず」である.

 このように,血縁関係があったり,固定的な関係が継続するような環境であるならば,協力的な関係を構築することは合理的である.人の世代交代には20~30年ほどの時間が掛かるため,現代人の遺伝特性は更新世(約250万~1万年前)の環境に適応していると考えられている.更新世の人は150人程度の小規模な集団で狩猟採集生活を営んでいたと考えられており(4),正に血縁を主体とした固定的な社会環境であった.しかし,現代社会は多数の非血縁者との短期的な集合離散を繰り返す環境であり,遺伝的な特徴と必ずしも合致しているとは言えない.

 加えて,同じ相手との固定的な関係に閉じこもることは,新しい関係構築やチャンスを逸失することにつながる.例えば,品が悪くて稼ぎも少なく無愛想な夫で我慢するよりも,新たな配偶者を求めた方がいいかもしれない.劣悪な系列取引の環境から逃れたければ,新しい取引相手を探さなければならない.そうした機会コスト(opportunity cost)を考慮すると,固定的で継続した関係に特化したという進化の恩恵だけでは実りある生活を期待できない(5).今日のようなオープンな世界になれば,見知らぬ他者とのリスクのある取引にチャレンジをする必要に迫られる.

 そうしたオープンな社会において必要となるのが山岸(5)の提唱した「信頼」である.山岸によれば他者を信頼する者は相手が信頼に値する者かどうかを見極める上で優秀な社会的知性を備え持っている者である.人を信頼する者は,相手が信頼に値する人物かどうかを見極める能力に乏しくだまされやすい「お人好し」ではないことが山岸グループの行った実験で示されている.むしろ,よく他者を信頼する者は相手が示す信頼性のサインに敏感だということが分かっている.これから取引を始める相手が信頼できる相手かどうか見極めることができれば匿名性の高い環境においてもうまく振る舞うことができる.山岸は,他者を信頼できる者は同時に他者の信頼性を見極められる能力を備えている必要があり,両者は車の両輪であると主張している.

3.3 情報通信技術は社会性の闇を救えるか?

 我々が進化の過程で獲得した社会性は,今日一般的となった社会環境(血縁関係がなく,継続的な取引が必ずしも保証されないオープンな社会)に完全に適応しているわけではない.そのような心しか持っていないため,オープンな社会においては不整合による様々な問題が発生するだろう.しかも,情報通信技術の進歩はますます社会をオープンなものにし,継続的な関係のない他者とのやりとりを好むと好まざるとにかかわらず増加させている.素性の分かる150人の社会に適応した古来の心と,その場限りや匿名の多数の他者とのやり取りが必要とされる現代の社会との折り合いを付けるためには,何らかの調整や仕組みが必要となる.

 もちろん,既に情報通信技術による問題解決は試みられている.街中の至る所に設置されたカメラと画像認識技術,インターネット上を流れる意味情報の監視,それらの情報網から得られた膨大なデータを処理可能な計算機などは典型例である.一方で,それらは我々の生活を丸裸にするという懸念がある.大規模社会における匿名性を村社会のレベルにまで引き下げる可能性を持っており,このことは現代的な人権感覚と相克する.プライバシーの権利を完全に保証した上で大規模社会における協力的な関係を成立させることは,意欲的なチャレンジではあるが,容易な道ではないだろう.

 また,情報通信技術の進歩によってもたらされた膨大な情報の管理をいったい誰に委ねるべきなのか,新しい問題に直面していると言える.こうした問題は個人を匿名化した上で評判情報のみをオープンにするような仕組みを導入することである程度解決が可能だが(囲み記事),必ずしも本当の意味での匿名性が確保されているということを意味しない.むしろ,究極的な匿名性を維持しようとする現代的な感覚の不自然さに我々は思いを致すべきなのかもしれない.例えば以前は電話帳に自宅の住所や電話番号を載せることはごく当たり前だったし,子どもが小学校に上がれば同じ学級の家庭の電話番号は即座に全家庭に連絡網として配布された.学会の名簿や著書には自宅の住所が載っていた.このように,情報通信技術の進歩に伴って,我々は個人情報の流出に神経をとがらせるようになったが,そのことが「同じ学級なのに子どもの友達の家に連絡ができない.担任の先生も連絡先を教えてくれない」といった事態を招くようになった.

 情報通信技術の進歩に伴い,かえって他者へのアプローチが難しくなるという逆説的な状況が生まれつつある.ある意味,個人を特定する情報の価値が相対的に高まった結果,その情報を流出させることのリスクが上昇したと言えるのかもしれない.いずれにしても,このような情報入手のしづらさは大規模社会における取引コストをむしろ向上させる要因になり,開かれた社会の利益を享受する上で障害となる可能性もあろう.

ポジティブ評判とネガティブ評判

 インターネットオークションなどの取引サイトでは,利用者の評判情報が公開されていることがある.取引の後,利用者が取引相手の良し悪しについての評価を行い,その統計情報が全利用者から参照可能となる.第三者はその評判情報を参照して,くだんの取引相手が好ましいかどうか判断することができる.この仕組みによって,ほぼ匿名な人々(正確な個人情報は分からないが,サイト内での個人同一性はある)の間での良好な取引を実現している.

 ネット上の取引サイトでは,事実上,個人がアカウントを作り直したり,複数のアカウントを所有することが可能である.このことは,一見すれば評判制度と相いれないように思われる.なぜなら,一時に詐欺的な荒稼ぎをして評判が悪くなったとしても,そのアカウントを捨てて新規アカウントを作成することが可能なはずだからである.それにもかかわらず評判制度は有効に機能している.

 その理由は「ポジティブ評判」と「ネガティブ評判」の差異にある(6),(7).ポジティブ評判とは,好ましい相手に対して評価(加点)を与え,好ましくないときには何もしない(加点しない)制度である.逆にネガティブ評判とは,好ましくない相手に対してフラグを付与する制度である.いずれも新規アカウントは何も情報のない状態で始まるが,ポジティブ評判ではその人の良好さが情報として蓄積され,ネガティブ評判ではその人の不適切さが蓄積される.

 ネガティブ評判制度の下では,一時的な荒稼ぎが容易である.たとえ悪評がついても,新規アカウントを作成することでその情報をキャンセルすることが可能だからである.一方のポジティブ評判制度では,自分のアカウントを捨てる誘因がない.せっかく蓄積した良好な評判情報を失ってしまうからである.また,ポジティブ評判制度の下では,取引のチャンスを増やすため,利用者は自身の評判を高めるよう動機づけられる.利用者は実際に正直な取引を行うようになり,全体として良好な取引が増える効果も有する.

 また,何らかの事故でアカウント利用者の個人情報が暴露された場合においても,ネガティブな評判情報に比べて,ポジティブな評判情報はその影響が小さいだろう.ネガティブな情報が漏えいすることは個人にとって大きな脅威だが,ポジティブな情報であればそれほど脅威ではない.むしろ,隠れていた良好さが明るみに出ることで,その人自身の評価がより高まるかもしれない.情報管理の相対的な簡便さという点からもポジティブ評判制度は望ましいだろう.

4.情報通信技術の進歩に社会心理学は何ができるか?

4.1 人の本質的社会性と情報通信技術

 アリストテレスは「人間はポリス的動物である」と主張した.「人間は社会的動物である」と解釈している文献も多いが,ポリスと社会は必ずしも同じことを意味しない.極めて少数のメンバーに限られた共同体における人の存在ということを彼は主張している.移動範囲が広がり,世界中の他者とほとんど遅延なしにマルチモーダルなコミュニケーションが可能な現代社会においては,自分の「ポリス」にとどまることは機会の逸失につながる.前述したように情報通信技術の進歩によって個人の特定はより容易になったとも言えるが,そのこと自体が現代的な価値観と対立することも考慮しなければならない.

 このようなオープンな環境において,社会心理学研究のみならず,我々人類が目指すべき社会の在り方はどのようなものだろうか.人間が社会的動物であることに間違いはない.子育てさえも,人は互いに協力し合わなければ満足に行うことができない.人は生理的早産(8)をする動物である.生まれたばかりの子どもは余りに無力であり,しばらくの間独力で生きていくことは不可能である.赤ん坊には母親による授乳が必要で,栄養状態が良くなかった進化環境では離乳まで3年以上かかったと言われている.農業・畜産や保存,加工などの食料技術革新は離乳時期を早期にしたし,母乳に依存しない子育てを可能にした.また,避妊によって子どもの誕生をコントロールすることを可能にした.しかしながら,それらを達成するには常に人々の協力や効率化された社会が必要である.食料や安全な家を確保するという最低限の条件さえ,我々は一人では満たすことは難しい.社会は完全に分業化されており,突然無人島に放り出されて全てを一人で担わなければならなくなったら,生き延びることができる人はごく限られているだろう.

 このように本質的に社会性を持つ人間は身体を様々な意味で拡張し,時間や空間を超えたコミュニケーションを可能にしてきた.情報通信技術の進歩によって,人間は自分自身で社会環境を大きく変えつつある.SNSでの炎上やスマートフォン中毒などネガティブな側面が強調されることも多いが,これらは正に社会性が豊かであるがゆえの問題であるとも言える.

 例えば,炎上は我々の持つ義憤であり,本来社会規範を維持するための仕組みの暴発であると考えられる.我々人間は自らの利害に全く関係のない他者の行動も気になってしまう存在である.街でごみをぽい捨てする人を見ると腹が立ったり,第三者から「だまされてひどい目にあった」という話を聞くと,だました人に対する怒りが喚起される.自分と関係のない規範破りや不公正に対するこうした義憤は第三者罰として研究されている(9)

 ネットコミュニティ上では,自己の利益と関係のない他者の不公正を糾弾する発言を頻繁に見る.こうした義憤はあっという間に拡散し大騒動に発展する.進化環境ではせいぜい150人から責められる程度だったが,現代ではあっという間に数万人規模の他者から集中的に責められる.義憤は規範を維持する機能も持つ一方で,今日では一度の過ちが人生に余りに大きな影響をもたらすなど負の側面も有するようになった.一度流通した情報は消去が難しいため,過ちを犯した者が更生する上での障害にもなる.また,賛否のある問題については否定的な陣営からの執ような攻撃が大きな影響を持つようになった.ネット上で悪評が立った広告などは,それを熱烈に嫌う者が相対的に少数であっても,寄せられる苦情の絶対数は膨大となり,無視できなくなる.不公正に対する罰の効率性は増したが,そのことによって我々は高いリスクを背負うようになってしまったのだ.

4.2 社会心理学はどう取り組んできたか

 社会心理学は,これまで述べてきたように進化的視点から人の心の有り様を追求する一方で,時事的視点から現代社会の様態に関する分析も手掛けている.例えば,パソコン通信やインターネットの勃興にあたり,新しい技術が我々にどのような影響を与えるのか,様々に研究してきた(10),(11).社会心理学は,人々に影響を与える状況の力を重視する志向性を有しており,新しい技術の普及は人の認知や行動の変化を研究する絶好の機会だからである.

 情報通信技術の未来を考える上で,人がどのような社会的刺激にいかに反応するか,また,なぜそう反応をするのか,といった社会心理学が蓄積してきた知見や実験パラダイムは役に立つだろう.特に,環境と個人の相互影響プロセスに関する分析は新しい技術の導入による人間行動の分析にあたり重要であり興味深い.人は環境から影響を受けるが,その環境自体も人が作り上げたものである.情報通信技術は人の行動を変えるが,それによってまた新たな需要が生まれ,更に新しい技術が発明される.

 例えばSNSの隆盛により自己呈示(self-presentation)(12)がより重要な意味を持つようになっている.自己呈示とは他者に自分自身を望ましく見せる意図を持った行動のことである.SNSの発展は直接には会うことのない他者に自らの姿や生活をさらし続ける状況を生み出した.そのような状況は自分をより魅力的に見せる写真撮影アプリを生み出したし,他者に見せるための洗練された生活への志向を強めた.

 今日,おしゃれなレストランは自分が料理を楽しんだり,魅力的な異性を誘うためだけではなく,SNSで自慢するという機能を果たすためにも利用されている.我々のこうしたSNSを意識した行動は,自分自身の投稿を通じて他者の行動にも影響を与えるし,影響を受けた他者による投稿は更に我々の将来の行動を競争にかき立てる.

 冷静に考えれば馬鹿げた行為ではあるが,状況の力から抜け出すことは難しい.誰も「王様は裸だ」と指摘しないことが,自分の行動を消極的なものにし,自分の消極的な行動が更に周りの人々の「指摘しない」という規範を作り上げる.情報通信技術の進歩は我々の持つ社会性と相互に影響を与え合い,良くも悪くも自分たちの社会環境や構造を変えていく.

4.3 社会構造の改善

 情報通信技術は人が使うものである.しかし,その使い手である人間は高度に情報通信技術が発達した環境に必ずしも適応しているわけではない.人間が適応してきた環境は本来匿名性が低く,情報の保存は不十分であり,伝達範囲も極めて狭かった.通信技術の飛躍的な進歩によって,我々は膨大な情報を瞬時に世界中に伝達できるようになったが,匿名性の高い環境下で一度流通した情報は忘れられず,ちょっとした冗談のつもりが大炎上を起こしてしまうような今日の事態にうまく適応できているとは言い難い.我々人類にとって有益な技術とはどのようなものか,人の本質的社会性に根ざした考察や技術開発が必要である.

 例えば,我々の身体は100km/hで走るようには設計されていないが,自動車はその速度をいともたやすく実現する.高速での移動に人間が適応していないとすれば,自動車に高度な情報処理をさせることにより,危険が迫ったときに自動的に停止したり,あるいは居眠りを防止するような仕組みを搭載する必要がある.こうした機械によるサポートは,人がそもそも高速で移動することに向いていないという事実に基づいて実装される.

 自動車がスピードを上げて走行することにリスクがあることは即座に理解できるが,情報の伝達速度に関してそのような直感は働きにくい.情報が瞬時に世界の果てまで伝達されることは単に便利なだけではなく,リスクを伴うことなのだ.人の認知能力が100km/hの自動車に追い付かないように,情報通信技術の急速な進展下において我々の社会性は暴走する危険がある.いわゆるネットリテラシー教育はこうした問題への対応策の一つだが,それだけでは十分ではない.自動車事故を減らすために安全意識教育は重要だが,ABSやエアバッグ,衝突安全性を考慮したボディ設計など構造面での改善が欠かせない.

 我々の社会も同様である.人の進化には長い時間が掛かるため,当面の間,情報通信技術による構造面からの歩み寄りが必要である.例えばイギリスは全土に500万台以上の監視カメラ(CCTV)を設置して防犯に活用しているが(なお,イギリスの人口は約6,500万人である),このことはプライバシーの侵害につながるとして以前は市民の間でネガティブな意見が多かった.しかしプライバシー侵害への対策を十分に行い,また犯罪者の検挙に実績を上げることにより,現在ではほとんどの市民がCCTVを支持していると言われている(13).SNS利用者の不用意な炎上発言や匿名性を利用した犯罪も,自然言語処理の進歩に伴って匿名性を保ったまま事前に検知が可能になるだろう.こうした構造的な対策(人の本質的社会性に根ざした対策)は,倫理観の醸成やネットリテラシー教育といった人の良心に期待するよりもより根本的な解決をもたらすだろう.それが,人が置かれた状況を重視する社会心理学的な考え方である.

5.む  す  び

 本稿では,社会構造が物理的近傍(150人規模)にとどまっていた集団への人の適応から出発し,現代の人間社会における大規模化,及びそれに付随するオープンで匿名性を特徴とする社会構造がはらむ問題について論じた.

 情報通信技術の将来については,Normanの慧眼に同意する.

 「成功する製品の正確な予測は不可能だとしても,はっきりしているのは,ほとんどいつも成功を保証されたカテゴリーが一つあるということだ.それは,社会的インタラクションである.過去百年間,技術は変化しても,コミュニケーションの重要度はいつも必需品リストの上位を占めてきた」(14)

 付け足すとするなら,これは正に人の祖先が毛繕いをしていた時代からの変わらぬ事実であり,過去100年どころか,250万年前から脈々と受け継がれてきた人の本性を突いているということである.この性質は,将来にわたって簡単に変わることはないと予想される.

 その意味で,電子情報通信は今後も人間の社会性を支えていくだろうし,拡張する科学技術分野の中心であり続けるだろう.筆者らは,社会心理学の立場から電子情報通信技術の将来に期待を抱いている.新たな技術開発が人々の生活や認知行動様式にどのような変化を与えるか,今後も注目していきたい.筆者らは性悪なので,ちょっとやそっとの変化ならば「そんなこと,250万年前の人とちっとも変わってないじゃん」とケチを付けるだろう.

 「うわっ.そんなことは,250万年前の人の姿からは予想がつかなかった.何が起きているのか詳しく調べたい!」と思えるような革新的技術の開発を,生意気ながら期待するところである.そして,それを生み出す人の心のメカニズムや将来の技術開発の指針について,有機的な連携ができれば幸いである.

文     献

(1) R. Dunbar, Grooming, gossip and the evolution of language, Harvard University Press, 1996. (ことばの起源:猿の毛づくろい,人のゴシップ,松浦俊輔,服部清美(訳),青土社,1998.)

(2) W.D. Hamilton, “The genetical evolution of social behaviour. I & II,” Journal of Theoretical Biology, vol.7, no.1, pp.1-52, 1964.

(3) R.L. Trivers, “The evolution of reciprocal altruism,” Quarterly Review of Biology, vol.46, no.1, pp.35-57, 1971.

(4) 長谷川寿一,長谷川眞理子,進化と人間行動,東京大学出版会,東京,2000.

(5) 山岸俊男,信頼の構造:こころと社会の進化ゲーム,東京大学出版会,東京,1998.

(6) 松田昌史,山岸俊男,“ネットワーク型取引状況における評判制度の設計と有効性の検証に関する実験研究,”マクロ会計政策の評価,山地秀俊(編),pp.193-205,神戸大学経済経営研究所,神戸,2002.

(7) 山岸俊男,吉開範章,ネット評判社会,NTT出版,東京,2009.

(8) A. Portmann, Biologische Fragmente zu einer Lehre vom Menschen. Basel, Schwabe, 1951.(人間はどこまで動物か:新しい人間像のために,高木正孝(訳),岩波書店,1961.)

(9) 大坪庸介,小西直喜,“強い互恵性と集団規範の維持:義憤・第三者罰の存在をめぐる議論,”感情心理学研究,vol.22, no.3, pp.141-146, 2015.

(10) 川上善郎,川浦康至,池田謙一,電子ネットワーキングの社会心理:コンピュータ・コミュニケーションへのパスポート,誠信書房,東京,1993.

(11) 宮田加久子,インターネットの社会心理学:社会関係資本の視点から見たインターネットの機能,風間書房,東京,2005.

(12) E.E. Jones, Ingratiation: A social psychological analysis, Appleton-Century-Crofts, 1964.

(13) C. Phillips, “A review of CCTV evaluations: crime reduction effects and attitudes to its use,” in Surveillance of Public Space: Cctv, Street Lighting and Crime Prevention, Crime Prevention Studies, vol.1, K. Painter, N. Tilley, eds, pp.123-156, Criminal Justice Press, Monsey, 1999.

(14) D.A. Norman, Emotional design: Why we love (or hate) everyday things, Basic Books, 2004. (エモーショナル・デザイン:微笑を誘うモノたちのために,岡本 明,安村通晃,伊賀聡一郎,上野晶子(訳),新曜社,東京,2004.)

(平成29年7月14日受付 平成29年7月21日最終受付)

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(まつ)() (まさ)(ふみ) (正員)

 2003北大大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学.同年日本電信電話株式会社入社.対人コミュニケーション,実験ゲーム研究等の研究に従事.博士(文学).日本心理学会優秀論文賞(2002),本会ヒューマンコミュニケーショングループヒューマンコミュニケーション賞(2007,2010)各受賞.日本心理学会,日本社会心理学会等各会員.

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(なか)西(にし) (だい)(すけ)

 2003北大大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学.同年広島修道大・人文・講師(現広島修道大・健康科学・教授).社会的影響に関する進化シミュレーション及び実験研究に従事.博士(文学).日本社会心理学会奨励論文賞(2012),「感情心理学研究」優秀論文賞(2015)各受賞.日本人間行動進化学会常任理事,日本心理学会,日本社会心理学会等各会員.


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