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abstract
エレクトロニクスは今後も人々の暮らしに感動を提供する.映像は更に高度化し,VRをはじめとする臨場感拡大技術が,超広帯域ネットワークでつながった人々の共感を加えて感性価値を高めていく.それらの背景にはこの数十年の記録・処理・伝送におけるビット単価の低減と,それにより消費価値が拡大されてきた流れがある.この先も技術革新が様々な制約を解放して新たな事業を創造し続ける.本稿ではエレクトロニクスによる暮らしへの影響の経緯から,今後の社会・文化・芸術・エンタテインメントへの貢献を考察する.
キーワード:感動,共感,制約解放,感性価値,映像高度化
約60年前,家庭にテレビが来て,居間で野球観戦ができるようになった.約40年前,好きな音楽を持ち歩き通勤通学時でも聴けるようになった.約20年前,遠くにいる友人に今の瞬間の写真を見てもらえるようになった.こうして暮らしの文化はエレクトロニクスの進歩とともに豊かになり,同時にそれを支える産業が次々に生まれた.
暮らしの文化におけるエレクトロニクス利用の歴史は浅く,まだ1世紀に満たない.人類はその何千年も前から,歌い,演じ,語り合ってきた.それがこの数十年で一変した.映像・音楽・写真・ゲーム,そしてソーシャルコミュニケーションにおいて,エレクトロニクスが使われるようになり,今はディジタルメディアにより人類史上未経験の生活社会に突入している(図1).
エレクトロニクスが社会・文化・芸術・エンタテインメントに大きな影響を与えた最大の理由は,エレクトロニクスが消費の価値を上げる手段であったからだ.更にこの60年間ではほぼ20年おきに新たな顧客価値の種類が追加され,進化して産業の拡大につながった(図2).
暮らしにおけるエレクトロニクスの利用は,作業を便利にすることから始まった.これを業務効率向上価値と呼び,第1の価値と定義できる.これは1950年代から本格的に拡大し続け,今なお成長を続ける消費価値である.
1970年代になると,オーディオ製品が本格的に普及,更にビデオという一大産業が生まれ,エレクトロニクス産業の用途を消費者向けのエンタテインメントに拡大する大きなきっかけとなった.後のビデオゲーム,CD(コンパクトディスク),ビデオカメラ,DVD,ディジタルカメラ,Blu-rayはこの消費価値を提供した技術や産業の例である.
これらの製品は消費者に音楽・映像・写真などの「コンテンツを通じて伝わる感動」が価値であった.この第2番目の消費価値である「コンテンツ感動価値」の産業は1970~1990年代に掛けて急成長した.
1990年代の後半になるとインターネットの登場でエレクトロニクスを利用したコミュニケーション産業が急成長を始める.更にケータイの普及がそれを劇的に拡大,過去からあった電話や手紙というコミュニケーション手段から現在のスマホとソーシャルメディアにつながる大転換が始まった.
この消費価値の特徴は,人と人がつながっている感覚を共有するところにあり,つながったサイバー社会の中での「共感」を提供することが産業となった.第3の消費価値はこの「コミュニティ共感価値」である.第2,第3の価値は,機能価値よりも感性価値であり,時代が進むとともに感性価値の産業化が進んだことが分かる(図3).
そして今後のIoT・人工知能の第四次産業革命はこれら三つの価値全ての拡大につながる.
消費者の欲求の順序と言うと,例えばマズローの分析が有名だが,実はエレクトロニクスが提供した顧客価値の順序はそれとは似ているようで違っている.
その背景にはまず消費行為自体が利益を生むかどうかがある.電卓・ワープロを使うことは,時間短縮になるので,「業務効率向上価値」の産業では消費行為自体が利益を生む.
一方でドラマを1本見た,音楽を1曲聞いた,と言ってお金がもらえるわけではないので,「コンテンツ感動価値」の産業では消費行為そのものは利益につながらない.更にネットで会話しても一般消費者はそれでお金がもらえるわけではないので,同じく「コミュニティ共感価値」の産業でも消費行為そのものは利益につながらない.つまり消費が利益につながる用途が初めに産業化された.
次にコンテンツ自体が一般的な金銭価値を持つかどうかについては,便利にするために作ったデータは価値があるし,音楽も1曲幾らなど金銭換算があり得る.しかし一般消費者のつぶやきや食事写真は通常は売れるものではない.つまり消費が利益につながらない用途でもコンテンツが金銭価値を持つ産業がまず先に広がった.
この知見はIoT・人工知能時代にも有効で,産業化の順序は効率向上による利益創出が可能なところから進む.
現在は10代20代を中心に通勤通学中や食事中に加え布団や風呂でもスマホでソーシャルメディア生活をする消費者が増え,電波通信が四六時中暮らしに直接入り込む状態である.言わば寝ても覚めてもスマホ・ソーシャルメディア漬けであり,コミュニティ共感価値の提供によって,エレクトロニクスによる消費生活への時間シェアの影響は過去最大となった.次の新たな時間市場は車の運転等の作業自動化による創出が期待される.
文化やエンタテインメントにおけるエレクトロニクス化は,コンテンツの「電子情報化」,言わばサイバー化と,コミュニケーションの「電子通信化」により実現していた.しかしそのコストが下がり普及が進むにつれ,電子情報化と電子通信化では妥協してきた部分の,リアルタイム・リアルロケーション(同時進行・現場立合い)体験に向け金銭価値のシフトが生じている.
例えば音楽産業では今世紀に入り電子情報化された音楽産業であるCD(コンパクトディスク)と音楽配信の合計が金額ベースで縮小し,同時にライブ・イベントやそれに連動した物販などの合計が増大して,逆転が起きた.
今後のエンタテインメントエレクトロニクスは産業の視点ではライブやイベントなどの「リアル体験」連動化の比率が上がる.音楽産業・アニメ産業は既にその方向にあり,今後他の映像産業・ゲーム産業も続くと考えられる.
エレクトロニクスが暮らしの文化に提供する第4の消費価値は,2020~30年代の情報の入力(センシング)・記録・処理(知能)・伝送・出力(アクチュエーション)のビット単価と,社会が抱える長期課題の両端から考察するに,地球・人類社会が共に存在し持続するために貢献する「共生価値」,すなわち健康と環境に貢献するエレクトロニクスが,暮らしの文化においても重要となろう.
60年以上前までは,演劇・スポーツ・コンサートなどを鑑賞するには劇場・映画館・スタジアムなどの現場に出向かなければならなかった.それがテレビの登場により自宅で楽しめるようになり,場所の制約が解放された.1970年代にはビデオが登場し,放送時刻に合わせなくても楽しめるようになって時刻の制約から解放された.今はオンデマンド配信により準備などの手間の制約も緩和されている(図4).
また音楽鑑賞では1979年のウォークマンの登場により自分が好きな音楽を外出中も聴ける環境が実現した.これも場所の制約からの解放である.また,手紙がメールになり,フイルムカメラの写真がスマホのフォトシェアリングになったときも,手間等の制約解放が背景にあった.
このように文化に影響する新たなエレクトロニクス産業の誕生の裏には,必ず制約からの解放がある.この制約は物理的制約・社会的制約・精神的制約・内容的制約・経済的制約の五つの分野に分けられ,物理的制約は時刻・時間・場所などに分類できて,全部で11種類の制約があり,それらからの解放や緩和が新たな事業や産業を生み,生活文化の創造につながっている(図5).
ここまでの記述は文化への影響として主に映像音楽の娯楽的観点からの考察を基にしているが,今後のエレクトロニクスの社会的影響を考察する上でもこの考え方が有効である.例えば今後自動運転が実現すると,その社会においては制約からの新たな解放や緩和が実現する.高齢者や子供の自動送迎による活動活性化や安全確保はその例である.その時代の新事業・新産業もこの5分野11種類の制約解放から生じる.
1990~2000年代に掛けて,人間の視覚・聴覚に関わるメディアの技術がディジタル化すなわちビット化・IP化・ソフトウェア化して,その機器や産業覇権が大きく転換した.進化のスピードは主に半導体技術の進歩にけん引され,ビット換算では「5年で10倍」を既に40年近く続けている.
まず記録技術においては,1990年代までは消費者向けの文化・娯楽に関わるデータに関して,動画像は磁気テープ,音楽は磁気テープと光ディスク,文書は紙及びフロッピー,写真はフイルムに記録されていた.それらは順次ハードディスクとフラッシュメモリに入れ替わった.
そこで特徴的な点が2点あり,一つは入れ替えの順序は用途側の技術要求水準の順で,すなわち情報量が少ない方から,数字~文章~音声~写真~音楽~高画質写真~動画像~高精細動画像の順に用途要求と技術トレンドの交点で転換したこと,もう一つは,入れ替わる前の媒体は動画像用・音楽用・写真用で別のメディアだったものが,入れ替わった後は同じ媒体,例えば用途に依存しないフラッシュメモリカードになった点である(図6).
信号処理・演算については,アナログ回路から専用ディジタル回路を経てマイクロプロセッサやグラフィックアクセラレータ上のソフトウェアに転換している.
その順序も静止画像や動画像などの用途側の要求技術仕様による.すなわちムーアの法則に連動したプロセッサのコストパフォーマンス及び消費電力対性能比の技術トレンドとの交点で順に転換が起きた.
そして今後は人工知能の利用による転換が起きる.
伝送・通信については,2000年前後から,ADSLやFTTHによる家庭のブロードバンド接続,ワイヤレスLAN,そして3~4Gのブロードバンド携帯電話が登場することで転換が起きた(図7).
この転換点は他の技術と同様,用途の要求仕様と技術トレンドの交点にある.また特記すべきはそれぞれの用途における限界点を超えたところからクラウド側で記録や処理を行うための通信も急増している.
これらのうち特に通信能力の向上は,情報媒体の在り方自体を転換することにつながった.放送に代表されるマスメディアからWeb媒体になり,更にソーシャルメディアになって,幾つかの大きな構造変化に直面している.それは,情報総量の5年で10倍の爆発と同時に,情報発信者が消費者含め激増したこと,情報伝送が双方向になったこと,消費者ごとに異なる情報を提供することができるようになったこと,である.
また,産業構造においては,制作・放送配信・端末などの機器とコンテンツ産業の組合せから,サービスプラットホームに主導権が移ったことも重要である.
今後は5Gモバイルの登場により容量面での敷居が変わり,映像の伝送を中心に新たな文化が生まれる.
社会・文化・芸術・エンタテインメント全般でエレクトロニクスが最も貢献したのは映像技術である.映像は今なお,五つの技術的高度化の軸,すなわち「空間解像度における高精細化(4K, 8K)」「光の波長表現力における色域拡大」「時間解像度におけるハイフレームレート化」「階調の精細化」「まぶしい所と暗い所を同時に表現するハイダイナミックレンジ化」において,進歩が続いている.
映像においても産業拡大においては感性価値が大きく影響する.一般に広義の臨場感や感動と呼ぶ感性価値は,分析すると三つに分類できる(図8).
それは,第1に狭義の「臨場感の拡大」であり,目や耳で得る情報における現実の再現性,リアリティを極限まで高めることである.高精細大画面はその典型例である.
第2に欲しい情報に瞬時に到達できる「アクセス感の向上」である.スタジアムなどの現場にいれば,自分の視線を動かせば瞬時に見たいものが目に入るが,従来の映像中継ではそうはいかなかった.
第3にまるで現場にいるがごとく進行の行方に関与できる双方向性,すなわち「参加感の演出」である(図9).
映像の高度化は住宅の壁などの生活空間,車,商業施設の壁,都市空間のあらゆる場のインテリアやエクステリアの電子ディスプレイ化,ソフトウェアデファインド化につながると見られている.既にライブのステージでは大形電子ディスプレイ化やプロジェクションマッピングによる大道具のソフトウェアデファインド化が進んでいる.
これらの映像高度化の感性価値を更に高めるのがVR・AR・MRである.
既にゲームにおいては,かつてのビデオ化~3D化~実写風化~実写化に続いて,現在,VR・AR化が急速に進んでいる.現段階ではまず,ヘッドマウントディスプレイによるパーソナライズされた全方向視認が商用化されている.
VRでは全天周の映像表示や,全周囲視点からの撮影の表示などが開発されており,やがて実空間丸ごとを映像情報として伝送して表示再現する方向に進むと思われ,技術標準化も進んでいる.このことは芸術・エンタテインメントにおいても大きな進化になる.
2010年代後半から2020年代の最大の変化は,IoT・ビッグデータ・人工知能・ロボットによる第四次産業革命であり,それによる第5世代目の社会「Society5.0」の登場と,その時代の消費生活をそっと後押しする「おもてなし」の新たなエレクトロニクス産業である(図10).
(1) K. Shimada, “Customer value creation in the information explosion era,” 2014 Symposia on VLSI Technology and Circuits, Plenary, June 2014.
(2) 島田啓一郎,“IoT時代のビジネスモデル創造,”2016信学総大,no.TK-7-2, March 2016.
(3) 島田啓一郎,“IoT・サイバーフィジカルシステムの産業化に向けた取り組みと期待,”2015信学ソ大,no.BT-1-2, Sept. 2015.
(4) 島田啓一郎,“臨場感・アクセス感・参加感,”IEEE Metro Area Workshop in Tokyo, May 2015.
(5) 島田啓一郎,“暮らしの文化と電波需要の爆発的拡大,”電波の日記念講演会,電波産業会,May 2014.
(6) 島田啓一郎,“4K映像技術の進展とネットワークへの期待,”光ネットワーク超低エネルギー化技術拠点シンポジウム,産総研,Nov. 2015.
(7) 島田啓一郎,“5Gの用途想定の課題と用途創出に向けた提案,”電波政策2020モバイルサービスTF,総務省,Feb. 2016.
(8) 島田啓一郎,“サイバーフィジカルシステム(CPS)の産業化のためのビジネスモデル創造,”技術戦略シンポジウム,JEITA, Dec. 2014.
(9) 島田啓一郎,“IoT・ビッグデータ・AI時代の顧客価値創造,”技術戦略シンポジウム,JEITA, Dec. 2016.
(平成29年3月30日受付 平成29年4月19日最終受付)
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