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今日のブロードバンドアクセス環境を支える光アクセスシステムの研究開発の中で(1),標準化活動を通じた通信の仕事における「標準化」の意義と,国内の情報通信分野の標準化機関であるTTC(一般社団法人情報通信技術委員会:The Telecommunication Technology Committee)の「標準化」の役割と今後の展望について述べます.ここで紹介する内容は筆者の経験に基づく通信を支える仕事についての個人的見解を示すものです.
情報通信分野の標準化は,端末とネットワーク,及び通信キャリヤ相互間のインタフェースの標準規定により,端末機器同士の相互接続性の確保と一定値以上の通信の性能・品質の保証を可能にします.また,標準化により自社技術をオープンにして開発投資の効率化を狙う協調戦略をとるか,標準化しないで自社の市場競争力を確保する競争戦略をとるか,あるいは,特許ライセンスによる収入を狙うか,などの選択肢を生み出します.
主なビジネスプレーヤは,主管庁,通信キャリヤ,装置ベンダ,ユーザの四つに分類でき,それぞれの標準化の意義を見いだせます.
主管庁は,国際標準を活用し,規制やガイドラインを示すことで,ユーザの利便性の向上,公正競争の確立,一定の品質と安全の確保を推進できます.
通信キャリヤは,標準の広まりによるサービス価値の高まり,サービス市場の拡大,特定ベンダに依存しないマルチベンダ環境の構築,機器調達コストの低減と調達の安定化などが期待できます.
装置ベンダは,標準との整合による製品価値の高まり,新市場の創出,製造コストの低減などが期待できます.
ユーザは,製品とサービスの利便性の向上,製品価格と通信料金の低減の恩恵が得られ,通信キャリヤや装置ベンダの選択における自由が確保できます.
標準化活動では,自分がどのプレーヤ役の意義を重視するかを明確にし,ビジネス戦略に標準化を組み込み,標準化への継続的な投資,人材育成支援が必要です.
WTOのTBT協定(貿易の技術的障害に関する協定:Agreement on Technical Barriers to Trade)では,各国の強制規格を定める際は国際標準適用の必要性を規定しています.また,WTOの政府調達協定(2)では,政府及びその関連機関が調達する物品の技術仕様は国際標準に準拠することを規定しており,この協定の対象機関は公的機関のみならず通信分野では民間企業のNTTなどが含まれます.つまり,協定対象機関の調達仕様では,国際標準との整合性を考慮する必要があり,自社技術を国際標準に反映することが重要です.
筆者の標準化活動の始まりは,1988年4月,英国BT研究所での1年間の交換研究員研修から帰国した直後に,業務命令でITU-T(当時はCCITT.国際電気通信連合電気通信標準化部門)に参加したことです.以来30年間,通信の標準化を仕事の一部とする人生を送っています.
筆者が担当した標準化の中での主要な一つが光アクセスシステムBPON(Broadband Passive Optical Network)です.1998年10月に伝送システムの標準を扱うITU-T SG15(Study Group 15)でBPON勧告(G.983.1)の初版が承認され,その後,G-PON(Gigabit-PON),XG-PON(10 Gigabit-PON),NG-PON(Next Generation-PON)と数年ごとに発展し,伝送速度は155Mbit/sから40Gbit/sに進化し,現在では50Gbit/sまたは100Gbit/sクラスの光アクセスの検討に着手しており,ITU-TとIEEEの2系統の標準化機関で展開されています.
BPONの標準化はNTTなどの世界主要通信キャリヤと装置ベンダがFSAN(Full Services Access Networks)という有志の集まりであるフォーラムを形成し,通信キャリヤが主導してサービス要求条件と装置間インタフェース仕様を事前検討し,その検討結果をITU-T SG15に勧告草案として提案することで速やかな合意形成を図ることができました.標準が,光技術の進展を先取りした光アクセスのシステム要求条件とロードマップを示すことで研究開発の目標が明確になり,また,各国の主要通信キャリヤが商用導入への強い関心を示すことで通信産業界をけん引できたと思います.PON方式の光アクセスでは,受動部品のみで構成される光分配網(ODN: Optical Distribution Network)は変更しないでODNの両端に接続する装置を機種変更するだけで,各種光アクセスシステムが共存・発展できるようシステムごとの光波長割当をITU-TとIEEEが連携して調整することにより,システム開発の独立性と競争環境の促進を可能にします.
BPONの標準化が本格化した1995年から15年間,筆者は年間130日以上を海外出張に費やし,標準化が職場のみならず家族の支えがあって成り立つ仕事であることを痛感する日々を送りました.また,勧告のエディタや課題リーダーの経験を積み,2001年以降はFSAN議長やITU-TにおけるSG13副議長,SG15議長,Review Committee議長などの役職を経験することで標準化機関の方針決定に関わり,効率的な会議運営方針や標準化機関相互の連携強化などに貢献できました.苦労は多いですが,標準化活動での最大の喜びは,担当した標準を反映したシステムが商用導入され,その成果を同僚や家族と共有できたことだと思います.
図1の写真は2002年10月,自宅に光ケーブルが敷設される際の工事を見守ったときのもので,インターネット開通速度測定で50Mbit/s以上が実測されたときの写真で,一安心の瞬間です.
筆者は約30年間のNTTでの研究開発と標準化活動に従事した後,2010年10月,TTC専務理事として事業運営管理を担当することになり,一企業の標準化活動者の立場から,日本の国際競争力強化のための手段としての標準化活用と標準普及の推進を仕事とすることとなりました.以下では,筆者がTTCの仕事で推進した組織改革の思いを解説します.
TTCはITU-Tから情報通信分野における日本の標準化機関として認知されており,1985年,電気通信事業法が施行され,通信の自由化や電気通信事業への新規参入により複数の通信キャリヤ間の相互接続を実現する必要が生じ,電気通信全般に関する標準化とその普及を行う機関として,同年10月に「社団法人電信電話技術委員会」が設立されました.2002年6月には事業内容を「情報通信ネットワークに係る標準化」に拡大し,2011年4月に「一般社団法人情報通信技術委員会」へ移行しました.
日本ではARIB(一般社団法人電波産業会)が,通信・放送分野における電波利用システム,いわゆる無線系システムに関する標準化を担当し,TTCは有線系システムに関する標準化を担当しています.また,5Gなど有線系と無線系の融合が必要な分野では連携を図っています.
総務省情報通信審議会電気通信システム委員会の決定により,TTCはITU-Tの全SG(SG3とSG9を除く)とTSAG(電気通信標準化諮問会議)に対して,日本の対処方針案の作成と日本からの寄書提案の事前審議を行うことが付託されています.標準化では,ITU-Tに対して日本寄書を提案する手続きと,ITU-Tで制定された標準をTTC標準として国内に適用するための手続きがあります.ITU-Tへの寄書提案では,提案者はTTC会員となりSGを担当する専門委員会での技術検討に参加します.TTC標準の制定では,専門委員会で標準文書作成のための技術検討と標準案の承認が行われます.TTCの標準制定手続きは,国際標準化機関として必要なWTO規定に準拠した公正さと透明性を確保したものです.
筆者が標準化活動を始めた1990年頃,活動に必要な知識や作法について明文化された解説資料はなく,実務を通じて先輩の行動を見て学ぶしかありませんでした.経験上,OJT(On the Job Training)のみの体制では効率的な若手活動者の育成はできないと考えていましたので,これまでの活動で得た標準化活動ノウハウを標準化人材育成のための標準化テキスト(3)にまとめることをTTCの仕事の一つと位置付けました.このテキストは,我が国の戦略的標準化を進めるための若手国際標準化人材育成の取組みの一つとして総務省の請負成果の一部としてまとめ,TTCのホームページ(https://www.ttc.or.jp/)で公開し,企業研修や大学講義などでの活用を推奨しています.
この標準化テキストは,標準化に初めて接する方から標準化の現場で活躍される方まで幅広い方を対象に標準化に関わる知識を提供しており,テキストは,入門編,実践編,トピックス編の各項目ごとにダウンロード可能です.実践編の中の「使える会議英語」(https://www.ttc.or.jp/activities/sdt_text/english_text)では,国際会議の一般的な流れを解説するため,筆者の標準化会議議長の体験を基に様々な会議進行のパターンごとに典型的な英語表現,会議頻出単語やフレーズなどをe-learning形式で紹介しています.
TTC会員の標準化議論の場は専門委員会であり,図2に示すように,通信網のレイヤ構造に基づく五つの技術領域(部門)に対し,18の専門委員会を構成し,技術分野やテーマ別に最新の技術・市場動向について情報収集・交換を行うとともに標準化に関連する議論を行います.専門委員会以外にはサブワーキング,アドホックグループ,連絡会があります.専門委員会の構成については,IoTスマートシティ,AI応用,コネクテッドカーなど通信を活用したアプリケーション系の専門委員会を近年新設しましたが,新しい技術・市場動向に柔軟に対応できるよう企画戦略委員会で重点課題の選定と専門委員会の新設・再編について戦略立案をしています.
TTCには通信キャリヤや装置ベンダ等の企業・団体が会員として参加していますが,情報通信分野以外の会員の参加と将来新規テーマへの柔軟な対応を可能とするために,正会員と賛助会員に加え,2016年度から情報通信分野以外の事業や情報通信の利活用による事業を主とする「準会員」と,中小企業,大学等を対象とする「協力会員」の新たな会員種別を追加し,より幅広い分野からの専門家が参加できる会員制度を導入しました.
IoT,ビッグデータ,AIなど技術進化と異業種連携などが加速し,既存事業のディジタル化のみならず,ディジタルを活用したビジネスモデルの転換を意味する「ディジタルトランスフォーメーション」が進展しており,これに適した標準化課題の検討が求められています.自社の経営資源にこだわり,技術開発から標準化を経て商品化を図る従来手法から,今後は,自社単独ではなく,企業の枠を超えたサービス創出を目指すオープンイノベーションを志向し,ユーザ課題からサービスを考えるユーザ起点の開発体制にシフトしていく必要があります.
これに伴い,TTCの役割は通信技術だけでなく,マーケティングやビジネス共創の面から企業が集まり意見交換を行える場を提供することと考えます.TTCでは,新たな試みとして,オープンイノベーション的アプローチでユースケースを創出する「サービス革新のためのイノベーション研究会」を企画しています.
国際連合が2015年に採択したSDGs(持続可能な開発目標)は,気候変動対策や再生エネルギーの普及,経済成長,貧困の解消など持続可能な世界を実現するための17のゴールと169のターゲットから構成され,各国の企業が2030年までに達成する国際目標で,グローバル市場の共通認識となると考えます.TTCではSDGsの社会課題の解決に向け,政府のSDGs実施指針の八つの優先課題に基づき,TTCの主な標準化活動とSDGsの関係性を整理し,会員企業が社会貢献策を明確にできるようSDGsの検討を推進しています.
ITU-Tは「Smart ABC(AはAI,BはBanking,CはCities)により情報通信技術を革新的に利用して生活の質,サービスの効率性,競争力を向上させていく」というスローガンを掲げ関連の標準化を推進しています.TTCはこれらの動向を注視し,今後議論が本格化すると想定される課題をセミナーなどで積極的に発信していきます.
近年の標準化動向を踏まえると,5Gや2030年に向けたネットワーク,ネットワークのソフト化・仮想化,QoS(サービス品質)とQoE(ユーザ体感品質)評価法,量子通信などのネットワーク関連課題に加え,遠隔医療やパーソナルヘルスを含むEヘルス,障害者や高齢者に優しいアクセシビリティ,高臨場感メディア通信,ディジタル通貨,モビリティサービス,スマートシティなどのアプリケーション関連の標準化課題が想定されます.
今後,ITU-Tなどの標準化活動を通じ,最新の技術・市場動向を収集し,TTCでのタイムリーなセミナー企画や標準化活動を推進したいと思います.
通信における標準化の仕事を通じて,改めて標準化の意義を考えてみました.日本企業は情報通信分野のグローバル市場において,近年,競争力を確保するための標準化活用について遅れをとっている懸念があります.
革新的サービス開発,グローバル市場への展開,オープンイノベーションの推進には,標準化の場の活用が望まれます.TTCでの議論が更に活発に行われることを期待しています.
(1) T. Hatano, J. Kani, and Y. Maeda, “Standardization and technology trends in optical, wireless and virtualized access systems,” IEICE Trans. Commun., vol.E102-B, no.7, pp.1263-1269, July 2019.
(2) WTO政府調達協定,
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/wto/chotatu.html
(3) 標準化テキスト,
https://www.ttc.or.jp/activities/sdt_text
(2019年6月27日受付 2019年8月13日最終受付)
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