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産業構造や事業構造や社会構造までをも変革するディジタルシフトがCOVID-19で加速される中で,Beyond 5G/6Gの「制約がなくなる世界」の実現を進めていかなければいけない.テクノロジーは進化するとの認識でもって,5G/Beyond 5G/6Gの土俵に上がり,気づきから未来を創っていくことが大切である.関わる人や‘もの’が増大する特質を有することから,関わる人や‘もの’全てに共感し,つないで巻き込むカスタマーサクセス人材も事業開発や研究開発において重要となる.
キーワード:Beyond 5G, 6G,ディジタル,ディジタル変革,カスタマーサクセス
COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の拡大により,世界の経済成長率はリーマンショック時以下の下落になるといわれている.COVID-19が我々の生活やビジネスに及ぼす影響は,ソーシャルディスタンスとデカップリングの二つだ.その結果,従来のグローバル,市場,都市集中,職能型,効率(just in time)といった流れが「逆流」し,ローカル,分配(公益),地域分散(一等地が変わる),職務型,冗長性(just in case)へと転換しつつある.まさにニューノーマル(新常態)の時代で社会全体が変革のときを迎えつつある.
実際,COVID-19の前後でその機能や役目に対する見方が大きく変わったものが幾つもある.
例えば.米スターシップテクノロジーズが提供している自動配達ロボットや,ローラー台に自転車を固定して本格的なバーチャルライドを楽しめるZWIFTのサービスだ.COVID-19拡大の前は,これらのサービスをニッチなものと認識していた.しかし今では,これからの社会のあり方を考えるヒントが詰まっているサービスと認識するようになった.
COVID-19が我々に与える最も大きな影響は,このような社会観や世界観の変化だ.社会観や世界観の変化が新たな社会や産業の創出につながるためだ.例えば,1825年の蒸気機関車の登場で,人々の地理に対する経済的かつ心理的な感覚が変わり,その結果として,近代郵便,新聞,投資銀行,商業銀行などのビジネス形態が大きく変わったと言われている.
黒死病が印刷術の発明や英語の復権につながったと言われているのも同じ文脈である.黒死病によって,労働力が急激に減少し賃金上昇が起こり,省力化が各分野で進んだ.労働集約的であった造本を省力化するために登場したのがグーテンベルクの印刷機である.また,人口減少で労働力の需要が高まり,労働者の社会的地位が向上したことで,庶民の言語であった英語の使用機会が増え,英語が表舞台に登場するようになった.
COVID-19は,いま世界で起こっているディジタルシフトを加速させ,不確実性を増大させる.新常態でのディジタルによる社会や産業や経済の変化に正面から立ち向かっていくことで,新たなビジネスが生まれる.
COVID-19と時を同じくして,日本において5G(第5世代移動通信システム)サービスが始まった.将来の歴史家は,2020年のCOVID-19と5Gが時代の転換点であったと振り返ることになるかもしれない.5Gは,IoT(Internet of Things,‘もの’のインターネット)やAI(Artificial Intelligence,人工知能)とともにディジタル変革(DX:ディジタルトランスフォーメーション)を実現するための手段であり,5Gが登場したことでDXを支えるインフラが完成したといっても過言ではないためだ.
2030年には社会の至る所にセンサが埋め込まれ,インターネットに接続されることで,安全・安心な生活環境が実現されていよう(1).人口減少,高齢化,低炭素化に対応する持続可能なまちづくりも実現できていよう(2).
インターネットの登場で社会は大きく変わったものの,まだまだ初期的な段階にいるにすぎない.ディジタルが隅々にまで入り込むことで,あらゆる事業領域の変革が促され,産業構造,経済構造,社会構造までもが大きく変わっていくことになる.現在の世の中のあり方は過渡的なものであって,ディジタルで新しいビジネスの余地が必ず生まれるというマインドでもって,新しい産業や社会制度の確立を目指していかなければいけない.
Beyond 5G/6Gに向けて,制約がなくなる世界が実現されていく.「ケーブルの制約がなくなる」「端末の制約がなくなる」「身体の制約がなくなる」「物質・空間・場所の制約がなくなる」「通信接続の制約がなくなる」世界だ.
ケーブルの制約がなくなる世界は分かりやすい.工場や銀行のATM,車など,ケーブルは至る所に張り巡らされている.このようなケーブルは少しずつ消えていく.
端末の制約がなくなる世界は,端末が画面と通信機能のみになる世界だ.代表例がクラウドゲームである.ゲーム端末性能や同期などといった制約を考える必要がなくなる.美しいグラフィックス処理や同期などをクラウド側で実行できるため,端末非依存になるとともに,ユーザの準備も不要になる.ゲームのネットフリックス化だ.ゲームを楽しむ端末は,ネットフリックスの映画やドラマを見るのと同じように,ストリーミング配信映像を表示する機能があればよい.AR(Augmented Reality)/VR(Virtual Reality)端末も,高精細映像を表示するためのGPU(Graphics Processing Unit)が不要となるため,消費電力やコストが一気に下がることが見込まれている.端末の有り様が一気に変わっていく.
身体の制約がなくなる世界は,現場からセンターに機能が移行していく世界だ.全国各地の建設機械,鉱山機械,車両などを遠隔操縦パネルから操作することが当たり前になる.現場での作業といった制約が取り外されることで,シニアや女性などの方々にも従事頂けるようになる.労働力不足解消の切り札だ.災害復旧を安全にかつ迅速に行うための切り札でもある.
物質・空間・場所の制約がなくなる世界は,ディジタルツインの世界である.物理的な資産やプロセス,業務の「ディジタルツイン」を構築しシステム全体を見える化することで,変化に対する素早い対応を可能にしたり,新たな業務プロセスの構築に威力を発揮したり,新たな価値の創出につなげたりすることができる.製造分野,エネルギー分野,都市分野などをはじめとして,地球・宇宙規模のディジタルツインが実現されれば,社会や事業に与える影響は計り知れない.
通信接続の制約がなくなる世界は,常時接続の世界だ.通信という存在を意識させない世界である.全ての‘もの’がネット接続される世界では通信が空気のような存在になり,通信利用料はサービスや端末料金の中に埋め込まれ,個別に支払うこともなくなる.現在,多くの‘もの’はネットに接続されていない.これらがネット接続し始めることで,予想もできない‘もの’の使われ方が出てくるとともに,‘もの’の価値自体も大きく変わっていくことになる.
制約のなくなる世界になることは確かであるが,どのように変わっていくかを予測することは難しい.
洗濯機の登場で,家事労働の負担が大幅に減ることは明白だったが,洗濯機が社会に与えた影響はこれにとどまらなかった.衛生観念が大きく変わったことで,毎日洗濯するようになり衣類市場が一気に増大したことも,社会に極めて大きな影響を与えた.今から振り返れば当たり前のことであるが,「洗濯機で衛生観念が変わる/衣類の需要が増える」ことを洗濯機の登場前から認識していた人は誰もいなかったろう.
特に,新常態ではその傾向は加速する.米ウーバー・テクノロジーズが設立されたのは2009年である.スマートフォンがなければ成立しない配車サービスだが,iPhoneが登場した2007年の時点で,誰も配車サービスの登場を予測していなかった.今やウーバーやリフトなどの配車サービスによって,ニューヨークの「メダリオン(正規のタクシー業務を行うための営業権)」の価格が暴落する事態になっている.
英国のフィンテック(金融と情報技術を結び付けたビジネス)ベンチャーのタンデムという企業が「銀行の窓口サービスを考えるために」作成した面白いビデオがある.
パブが銀行の窓口のようだったらどうなるかを示したビデオだ.客がビールを注文しようとすると,「番号札をお取りください」と言われるところから始まる.自分の番号がきてカウンターに行ったら,「担当者を呼んできます」と言われ,待ち時間にアンケートの記入を求められ,最後の支払い時にはビール代金に加えて手数料までとられるというビデオだ.
パブも銀行の窓口も客にサービスすることは同じであるのに,サービスの仕方が全く異なる.言われてみれば当たり前のことであるが,日常生活の中でこの違いに気づくことはない.
経営学者のピーター・ドラッカーの言葉に,「イノベーションに対する最高の賛辞は,『なぜ自分は思いつかなかった』である」というものがある.言われてみれば当たり前であることに,人間はなかなか気づかないものだ.
フィリップ・コトラーは「賢明なマーケターは,まだ満たされていない隠れたニーズを発見,これを具体的に定義できる存在である」と述べているが,隠れたニーズに気づくことは容易ではない.容易ではないと認識しながら,社内外の現場に出向き,顧客に深く入り込み,ディジタル化すべきプロセスを見いだす努力をし続けるしかない.
身近なところにもディジタルが有効となるフィールドはあるはずだ.現場に出向き,顧客を深く観察しながら,これらを見いだす活動を積極的に行うことが欠かせない.
サービスが開始された5Gに対して,「5Gならではのサービスがない.4Gの品質で十分なものも多い.5Gを使う必要性を感じない」「いろいろな実証実験を見ても,ビジネスになるようなものが見当たらない.投資することは難しい」「期待していたけど,結局何をやればよいか分からず,静観せざるを得ない」などの声も多く聞かれる.
このような声は間違ってはいない.確かに,現時点では5Gならではというキラーサービスが登場していないため,5Gが世界や産業を激変させるほどの強烈なインパクトを有すると実感することは難しい.
しかし,将来を見据えると,5Gがディジタルシフトを加速して世界を一変させてしまう可能性が高い.通信インフラは進化し続けるためである.10年前に始まった4Gも,この10年間で性能は飛躍的に向上した.5Gの性能も,継続的に向上していく.その上,2030年代にはBeyond 5G/6Gが登場する.
Beyond 5G/6Gの明確な定義などはまだなく,どのようなものになるのか不透明である.しかしながら,少なくとも確実に言えることは,2030年には,ディジタルが医療・介護・ヘルスケア,教育,都市,農林水産,製造,土木,建設,小売,物流などのあらゆる産業領域に浸透していることだ.Beyond 5G/6Gは,このような社会をより高度化するために必要となる.
通信に対する要求には際限がない.簡単に低コストで‘もの’をネットワークに接続できるのであれば,ありとあらゆる‘もの’をネットワークにつなげたくなる.同じ条件であれば,低解像度の映像ではなく高解像度の映像を見たい.このような際限のない要求を満たすように,Beyond 5G/6Gの技術開発がこれから始まる.
そもそも,ディジタルに向き合うにあたって必要となるのが,「土俵に上がる」という意識である.新しいテクノロジーは新しいビジネスの余地を生み出すためである.まずは,フットワーク軽く試してみるという意識がディジタルの起点となる.
同様に,5G/Beyond 5G/6Gにおいても,まずは土俵に上がらなければいけない.誰よりも先に深く将来を洞察し,企業の競争力を高めることにつなげることが大切である.
新しい技術が出るたびに,こんなものは必要ない,金を払ってまで使わないなどの懐疑的な声が上がるのが常だ.しかし,2Gのときにはiモードが登場した.3Gのときにはスマートフォンが登場した.4Gでは動画像広告やシェアリングサービスが当たり前になった.
今では映像ストリーミング配信事業会社として有名な米ネットフリックスは2007年に勝負に出た.コアビジネスを,ビデオレンタルサービスからビデオオンデマンド方式によるストリーミング配信サービスに移行したのだ.
2007年当時,ネットフリックスがストリーミング配信で今のような成功を収めるとは,ほとんどの人が予想していなかった.当時のインターネットの速度が極めて遅かったためである.コンテンツ業界がネットフリックスに与えた配信権が破格の安さであったことも,コンテンツ業界がネットフリックスを過小評価していたことを裏付ける.
ネットフリックスの成功の秘訣は,通信速度が速くなったらどのような世界になるのか,通信速度が速い世界では消費者はどのようなサービスを望むのかに関して,誰よりも先に深く洞察していたことにある.
5Gも同じだ.4Gで実現できるものでも,5Gで更に花開くかもしれない.中国では露天の不法営業を5Gで監視するサービスが始まっているが,このようなサービスは4Gでも実現できる.だが,5Gで監視を行うことで大量の映像を遅延なく取得でき,新しい切り口のビジネスが生まれるかもしれない.
テクノロジーは進化する.5Gも進化し,2030年にはBeyond 5G/6Gが登場する.その中で新しいビジネスが生まれる余地が生じる.ネットフリックスのように,将来に先べんをつけ,いち早く取り組んだものが勝者となる.まずは新しいテクノロジーの土俵に上がることが重要だ.
5GからBeyond 5G/6Gに向けて,顧客(カスタマー,関わる人や‘もの’)は増大する.人に限らず‘もの’も常時接続状態になるため,ディジタルが第1次産業から第3次産業まで全ての産業領域に入り込んでいくことによる.4Gまでは人へのサービスが中心であり消費者向けのB2C(Business to Consumer)が主であったのに対し,5GではB2B(Business to Business)に顧客が広がる.製造プロセス,モビリティ,医療・健康,インフラなどのあらゆる事業領域が対象となり,関わる人・‘もの’全てを考えなければいけない.
例えば,サプライチェーンでは,製造,在庫管理,配送,販売,消費など全てがカスタマーとなる.MaaS(Mobility as a Service)では,住民,交通,制度,観光,商業,自治体などがカスタマーだ.
関わる人・‘もの’全てがwin-winとなる持続可能なエコシステム(生態系)こそが,事業や研究開発の成功につながる.そのためには,関わる人や‘もの’全てに共感し,つないで巻き込む力が重要だ.
顧客(カスタマー)視点の事業開発や研究開発のことを,カスタマーサクセスと呼ぶ.カスタマーサクセスを実現するためには,「共感」と「利他」が必要だ.現場に深く共感し,現場の隠れたニーズを利他の心でもって引き出す.このような人材が,事業開発のみならず研究開発においても必要となる.現場とテクノロジーをつなぐ人材と言ってもよい.必ずしもテクノロジーに精通している必要はない.つなぐことで価値を創出することのできる人材をきちんと評価することでディジタルが花開く.
そして,カスタマーサクセスにつながる気づきを得るためには,多様性が必須である.いろいろなバックグラウンドの人たちが集まることで,「気づき」が得やすくなる.グーグルのカスタマーサクセスチームのリーダーであったMaya Capurは,カスタマーサクセス人材としてテクノロジーに疎い人を採用すると明言している.プロダクトを客観視し,本質的なレベルでカスタマーの「ペイン」を感じ取るためには,テクノロジーに疎いことが大切だと喝破している(3).
多様性はイノベーションに不可欠の要素だと言われ続けているが,今のような不確実な世の中においてこそ,重要性が高まる.多様性を確保しながら,カスタマーサクセスの視点でもって事業開発や研究開発を進めていかなければいけない.
ディジタルは経済の構造を過酷なまでに変えていく.COVID-19で今まで当然と考えていた土台が崩れ落ち,テレワーク,オンライン講義,遠隔診療などディジタルを用いたいろいろな試みがなされている.未来を先取りしたディジタル社会の壮大な実験が始まり,ディジタルシフトが加速している.
このような時代に必要となるのは,「最も強いものが生き残るのではなく,最も賢い者が生き延びるのでもない.唯一生き残るのは変化できるものである」という認識だ.
後戻りすることなく,ディジタルシフトを加速し,社会や産業や経済の仕組みそのものの再定義を進めていかなければいけない.Beyond 5G/6Gに資するチャレンジングな研究開発をも進めていかなければいけない.COVID-19で得られた「気づき」をも大切にしながら5G/Beyond 5G/6Gの土俵に上がって,将来を深く洞察し,テクノロジーで新しい社会や事業の構築につなげていきたい.
(1) 森川博之,“ディジタルが社会・産業・生活・地方を変える,”信学誌,vol.100, no.11, pp.1163-1168, Nov. 2017.
(2) 森川博之,“ディジタルが開く地方創生,”信学誌,vol.101, no.10, pp.968-972, Oct. 2018.
(3) M. Capur, “To succeed at customer success, hire technology laggards.”
https://medium.com/to-succeed-at-customer-success-hire-technology/to-succeed-at-customer-success-hire-technology-laggards-f70fd78f71b8
(2020年12月3日受付 2020年12月12日最終受付)
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