知識の森 ユーザエクスペリエンス

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Vol.106 No.10 (2023/10) 目次へ

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知識の森

メディアエクスペリエンス・バーチャル環境基礎研究専門委員会

ユーザエクスペリエンス

東條直也(KDDI総合研究所)

本会ハンドブック「知識の森」

https://www.ieice-hbkb.org/portal/doc_index.html

1.ユーザエクスペリエンスとは

 製品やサービスの価値は,市場の成熟に伴い,機能や流通経路から利用者の価値観との対応へと変化し,消費者のニーズはテクノロジーから体験へと遷移する(1).一方,情報通信技術の発展により,製品のインタラクティビティは日々高まっており,市場の焦点は売り切りを前提とした製品販売から継続的に消費者と関わるサービス提供へと移行した.このような背景から,ユーザエクスペリエンス(UX : User Experience)が注目されるようになった.UXは,特定の対象を扱う際に,人々の体験を中心に据える考え方である.UXの対象は製品や工学システム,施設を含む有形物の場合も,サービスや組織,コミュニケーションを含む無形物の場合もある.

 より良いUXの実現に向けた活動は,UXデザイン/デザイナーと,UXリサーチ/リサーチャーの二輪によって推進される(2)図1).UXデザイン(UXD)は,ユーザに関する理解を使用して,UX要件を満たす成果物の作成を担う.例えば,エンジニアやプロダクトデザイナーがUXDを推進する.UXの要件を実現するために用いるツールやインタフェースにUXDと情報通信技術との接点がある.UXリサーチは,成果物が満たすべきUX要件を定義するための系統的な調査を担う.デザインリサーチの文脈では,「リサーチ」を大文字のR(Research)と小文字のr(research)とに区別して考えることがある(3).“research”は既に存在する知識を探す行為であり,「調査」に近い意味の活動である.広義には,UXDがUXrを含む場合もある.前述の実務的なUXリサーチはこれに当たる.例えば,社会科学や行動科学の知識を持つ専門家が,UXリサーチャーとしてデータの収集と分析を行う.ユーザを理解するために用いるデバイスや環境構築に,UXrと情報通信技術との接点がある.そして,“Research”は新たな知識を探求する行為であり,「研究」に近い意味の活動である.

図1 UXデザインとUXリサーチのサイクル  UXプロジェクトはUXデザイン(UXD)とUXリサーチ(UXr)から成るUXの実践によって推進され,UXの研究(UXR)によって高度化及び形式知化される.

2.ユーザエクスペリエンスの曖昧さ

 UXは多義的である.UXは幅広い議論がなされており,広狭に様々な定義がある.Experience Research Societyのウェブサイトでは,ISO 9241-210やNielsen Norman Groupによる代表的な定義をはじめとして,27の定義を一覧できる(4).ISO 9241-210に対応するJIS Z 8530は,ユーザエクスペリエンスを「製品,システム又はサービスの使用及び/又は使用を想定したことによって生じる個人の知覚及び反応」と定義している(5).この多義性から,UXは多くの類似概念と隣接する.例えば,UXに関する議論は,ユーザビリティやユーザインタフェース,ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI : Human-Computer Interaction),ヒューマンファクタ,ユーザ中心デザイン,サービスデザイン,インタラクションデザイン,ユニバーサルデザイン,顧客体験などに接続されることがある.ユーザビリティの先駆者であるJ. Nielsenは,このような語彙のインフレーションについて,これらの98%は同じようなことを示しており,異なるのは2%だけであると述べた(6).UXが他の隣接概念と異なる2%は,冒頭で述べた考え方である.付け加えると,UXは特定のインタフェースや個別の問題に縛られず,時に「うれしい」や「楽しい」といった感情に直接取り組みながら,ユーザがより良い体験を得られるようにすることに焦点を当てる.

 UXは様々な観点から議論がなされている.例えば,デザイン,工学,経営学,心理学,社会学などの学術領域やマーケティングや製品開発,商品企画などの実践領域がその学際性を形成している.このように,UXは多義的で分野横断的であり,捉えどころのない概念とも言える.UXに関する議論では,自身がどのような意味でUXという言葉を使用しているか,また,自分以外の議論の参加者がどのような意味でUXを捉えているかについて留意する必要がある.

 様々な定義と観点が存在する中で作成されたUX白書(7)は,UXに関する議論を整理し,そのコアコンセプトとなる汎用的な観点をまとめている.例えば,時系列の観点がある.UXのライフサイクルは,人々が製品あるいはサービスを想像し,予期する使用前の体験(Anticipated UX),正に使用しているときどきの体験(Momentary UX),過去を振り返る使用後の体験(Episodic UX),そしてこれら全体を通して累積的に形成される体験(Cumulative UX)に対応する四つの期間で見ることができる.つまり,UXの議論は,製品あるいはサービスを使用する前の人々や,使用から離れた人々など,「ユーザ」ではない人々を含むことになる.

 UXの影響要因の観点もまとめられている.UXには様々な要因が複雑に影響し合うが,UX白書は主要な三つのカテゴリーを提示している.一つはユーザとシステムを取り巻く「文脈」である.これは社会的文脈,物理的文脈,タスク文脈,技術と情報の文脈の組合せからなる.次に,体験の主体としての動的な「ユーザ」である.ユーザの動機,気分,心身のリソース,期待などの状態がUXに影響を与え,動的なものとする.三つ目はユーザが体験する対象としての「システム」である.動的なユーザが知覚するシステムの特性は必然的にUXに影響を与えることになる.

 UXプロジェクトでは様々な手法が利用可能である.例えば,UXデザインの教科書(8)やNielsen Norman GroupのWebサイト(9)では,ユーザビリティテストやインタビュー調査をはじめとするUXDとUXrの代表的な手法がそれぞれプロセスや目的ごとに紹介されている.UXプロジェクトは文脈的で制約的であるため,プロジェクトが採用するツールやプロセスを事前に調整し,状況に応じて手法を選択するマルチメソッドなアプローチが望まれる.

3.議論の展開と今後の展望

 UXを扱う主要な国際会議にはCHIやHCII,EPICなどがあり,UXとHCIとの交点にもなっている.ここでの議論の焦点は,最高の技術の構築ではなく,特定の技術が特定の文脈で機能するかどうかや,特定の技術を特定の文脈に適用した場合に生じる結果にある(10).最高の技術を構築しても,それが誰かのニーズを満たさなければその技術は採用されず,技術開発の努力は報われない結果となる.また,HCIコミュニティの研究者や実践者の仕事はELSI(Ethical, Legal and Social Issues)への対応を伴うようになり,UXへの配慮がより顕在化している.

 UXは人々の体験を中心に据えてきたが,2000年代以降には新たな展開も見られるようになった.UXの延長にある概念がCo-experienceである(11).Co-experienceの概念は個人の体験だけでなく,社会的相互作用の中で他者とともに作り上げられる体験の側面を強調しており,より大規模な情報通信システムやインフラ,コミュニティのデザインや研究に体験を関連付ける場合に,UXを補完したより包括的な視点を提供する.また,前述のとおり,UXの議論は「ユーザ」以外の人々も含むことから,Experience DesignやEmotional Designなどの研究スレッドが派生している.一方,他の隣接概念との接近と分立の中で,議論の中心が人間から移行する流れもある.例えば,脱人間中心/ポスト人間中心は,20世紀後半以降の環境問題やELSIの顕在化や,脱植民地主義の台頭に伴って生まれた考え方である.このように,学術領域では,UXは既にユーザ以外を包摂した概念であり,更には人間以外も包摂した議論も展開されている.

 最後に,図2とあわせて今後の展望を述べる.上記の動向に照らしてみると,HCIコミュニティには,人と技術との個別のインタラクションにとどまらず,それを取り巻くUXやCo-experience,更には人間以外の様々なアクターを含めたエコシステムの観点で,デザインと研究の機会がある.その際,UXの役割は,個人の体験や個人間の関係,複数の人々からなる集団の体験や他の個人や集団との関係,より大規模な社会や文化,更には多様性や持続可能性などがUXの範囲に含まれることになるかもしれない.UXDとUXrを含む実践領域では,SDGs(Sustainable Development Goals)やESG(Environment, Social, Governance)などの言葉を耳にするようになり,議論の焦点の移り変わりの兆しがある.今後,学術だけでなくUXの実務でも,ユーザや消費者,人間だけにとどまらず,自然や動植物,その他のアクターとの連続性を含めて捉えることが求められるようになるかもしれない.

図2 ユーザエクスペリエンスが扱う範囲の展望  研究者と実践者が扱う対象の大規模化に伴い,UXの範囲も広がりを見せつつある.

文     献

(1) マーク・スティックドーン,ヤコブ・シュナイダー,This is service design thinking. Basics-Tools-Cases:領域横断的アプローチによるビジネスモデルの設計,ビー・エヌ・エヌ新社,東京,2013.

(2) A. Karr, “UX research vs. UX design,” interactions, vol.22, iss.6, p.7, 2015.

(3) C. Frayling, “Research in art and design,” Royal College of Art Research Papers, vol.1, no.1, pp.1-5, Royal College of Art, London, 1993.

(4) Experience Research Society, “UX definitions,” (ref. Jun. 20, 2023).
https://experienceresearchsociety.org/ux/ux-definitions/

(5) 日本産業標準調査会,“人間工学―人とシステムとのインタラクション―インタラクティブシステムの人間中心設計,”JIS Z 8530:2019,日本規格協会,2019.

(6) J. Nielsen, “The immutable rules of UX (Jakob Nielsen keynote),” NNgroup, 2019 (ref. Jun. 20, 2023).
https://www.youtube.com/watch?v=OtBeg5eyEHU

(7) User experience white paper : Bringing clarity to the concept of user experience, V. Roto, E.C. Law, A.P. Vermeeren, and J. Hoonhout, eds., Outcome of Dagstuhl Seminar 10373 : Demarcating User Experience, 2011 (ref. Jun. 20, 2023).
https://experienceresearchsociety.org/ux-whitepaper/

(8) 安藤昌也,UXデザインの教科書,丸善出版,東京,2016.

(9) C. Rohrer, A guide to using user-experience research methods, Nielsen Norman Group, 2017.

(10) E.F. Churchill, “HCI and UX as translational research,” interactions, vol.27, iss.5, pp.22-23, 2020.

(11) K. Battarbee and I. Koskinen, “Co-experience : user experience as interaction,” CoDesign, vol.1, no.1, p.5-18, 2005.

(2023年6月21日受付) 


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