知識の森 光周波数コム

電子情報通信学会 - IEICE会誌 試し読みサイト
Vol.106 No.7 (2023/7) 目次へ

前の記事へ次の記事へ


知識の森

超高速光エレクトロニクス特別研究専門委員会

光周波数コム

美濃島 薫(電気通信大学)

本会ハンドブック「知識の森」

https://www.ieice-hbkb.org/portal/doc_index.html

1.光周波数コムとは

 光周波数コム(コムはくし.光コムとも言う.図1)は,光周波数軸上に多数のくしの歯状のモードを持つ光であるが,近年様々な応用で注目されている光周波数コムは,単なるくしの歯構造を持つスペクトルを発する光ではない.多数の周波数モードが精密に位相関係を持って結び付いている制御性の高い高度な光である.光周波数コムによる光周波数絶対計測技術が誕生してから20年がたつが,光周波数コム技術は,当初予測のされていなかった分野へと展開を広げ,ますますの発展を見せている.それは,光周波数コムが,単に当初考えられていた「ものさし」としての計測ツールではなく,光そのものの性質を操る「光シンセサイザ」という基盤ツールだからと言える(1)

図1 光周波数コムによる「光のものさし」

2.光周波数コムの歴史:「光のものさし」の誕生

 20世紀も押し詰まった頃,時間軸上の超短パルスレーザ発生法として広く知られるモード同期レーザを,フーリエ変換で結ばれる光周波数軸上の極めて等間隔な光周波数モード列,すなわち光周波数の精密なものさし「光周波数コム」として用いる報告がなされ,瞬く間に画期的な成果が上げられていった.これによって,それまで大掛かりな国家的プロジェクトレベルであった光周波数測定が,一人の大学院生レベルの実験となり,日常的に行える“全ての人のための技術”となった.しかも,簡易にもかかわらず測定精度は圧倒的に向上し,また対象レーザが換わるごとに構成を組み替える必要がない,汎用的な“長くて正確な光のものさし”として用いることができる.光周波数コム技術は,正に光の世界のイノベーションをもたらす技術であった.その登場以来急速に進展し,20世紀中,すなわちその誕生から1~2年のうちに,ドイツ,アメリカに加えて日本(2)(4)の3か国において,相次いで光周波数の絶対計測実現に至った.

 光周波数コムの真髄は,構成するくしの歯に相当する多数の光周波数モードが極めて高精度に等間隔を保って存在することにある.そのため,図1に示すように,math番目のモードの光周波数をmathと書くと,mathのように,繰返し周波数(コム間隔)mathと,オフセット周波数(キャリヤエンベロープオフセット周波数)mathという,たった二つのパラメータを用いた一次式で全てが記述できる.すなわち,この二つの周波数パラメータを測定・制御することにより,数百THzの値を持つ光周波数が広範囲にわたり高精度に測定・制御できることを意味する.特に,広く用いられる光周波数コム光源においては,mathmathはマイクロ波帯などの既存のエレクトロニクス装置で測定できる領域にあるため,任意のレーザの光周波数が,光周波数コムのモードとビート測定するだけで,既存のエレクトロニクス装置で高精度に絶対測定できることになる.これが,「光のものさし」(「光周波数のものさし」)と呼ばれるゆえんである.

 この「光周波数のものさし」の意義を総括すると,広範な周波数帯をコヒーレントにリンクすることができるということに尽きる.それは,大きくかけ離れた電波と光波の領域をつなぎ,同時に,秒の定義(周波数標準)とメートルの定義(長さ標準)をつなぐものである.現在,全ての物理量の中で最も精密に定義されているものは「周波数」であるから,このことは,広範な科学技術や産業において大きな意義がある.同時に,逆に精密さで上回る光周波数を基準として秒を定義する光格子時計(5)に代表される光時計の実現など,周波数計測・標準の分野を一変する動きが次々と起こった.このように,光周波数コムは人類が手にした最も精密なものさしとして,2005年にノーベル物理学賞が授与された.

3.光周波数コムと超短パルス

 ここで光周波数コム技術の誕生の歴史に視点を戻すと,モード同期レーザが多数の光周波数モードを形成することは数学的にはフーリエ変換の関係として自明だが,実際のモード同期レーザにおいて,精密計測に利用価値のある高精度なモード列を得ることは容易ではなかった.そのため,科学技術分野としては,長らく,連続波レーザによる光周波数計測と,超短パルスレーザ分野は全く無縁な発展を続けてきたと言ってよい.しかし,時間軸上で安定な超短パルスを発生させるための技術的努力は,同時に光周波数コムとしても優秀な光を発生させることにほかならなかった.光周波数コムの登場によって,超短パルスレーザと超精密な連続波レーザという,相反すると思われていた性質を合わせ持つ光源技術が誕生し,時間軸の超高速と周波数軸の超精密という,従来直交して進展してきた技術分野が究極において融合するドラマチックな出来事が起きたのである.

4.「周波数ものさし」を超えて発展

 このように光周波数コムは,異分野融合の側面を本質的に有するからこそ,単に周波数計測分野に恩恵をもたらしただけでなく,広範な科学技術分野に進展を続けていると言える.実際,光周波数コムの応用は,当初の予想をはるかに超えて拡大し続けており,現在も多くの未開拓分野で期待されている.「周波数」は,全物理量の中で最も精密で大きなダイナミックレンジを持ち,かつ成熟したエレクトロニクスの装置や手法によって扱うことができる.光周波数コムは,電波と光という単なる周波数リンクのツールではなく,光技術とエレクトロニクス技術の垣根を取り払い,「異なる科学技術分野同士のコヒーレントなリンク」を実現するツールと言える.これにより,光波の位相レベルの制御技術が革命的に進展し,様々な応用分野で,従来実現できなかったレベルの精密さに加え,圧倒的なダイナミックレンジが利用できるようになってきた.

 まず,圧倒的な高精度性を持つ光周波数コムを,異なる物理量同士の変換ツールとして用いることによって,これまで別々に進展してきた分野の技術同士が高精度かつ相互に乗り入れることができる.例えば,光によるセンシング技術において,エレクトロニクス分野の成熟した信号処理技術を駆使して,自在な処理や高精度性,広帯域性を導入できる.正に,光を電気のように自在に使うことができるのである.更に,精度に圧倒的な余裕のある周波数計測に基づいて,他の物理量を扱えることは,単に高精度測定が可能ということにとどまらない.光周波数コムの応用について,往々にしてこれほどの高精度を必要としていないと言われることがあるが,それはポテンシャルを十分活用できていないことにほかならない.その精度の余裕を活用することで,例えば,従来は精度と速度のトレードオフによって制限されていたリアルタイム性の付与,精度を犠牲にすることなく新たな制御性を導入するなどの高機能性を実現できる.

 次に,周波数軸上の光周波数コムは,フーリエ変換の関係で時間軸上の超短パルス列と精密に結び付く.周波数軸上で,HzからPHzまでの広範囲で,お互いにコヒーレントにリンクする精密な多数の基準を有する性質は,時間軸上ではアト秒からミリ秒レベル,光の伝搬する空間距離ではピコからキロメートルに相当する.このように,光周波数コムの多次元性によって,空間・時間・周波数の多次元物理量の間で相互に変換可能で,しかも,各々が高精度かつ制御性を持った多重レンジの基準が生まれる(図2).つまり,いずれかの性質を測定・制御しようと思ったときに,必ずしもそれ自体を用いる必要はなく,極限的な精密性を失わずに別の都合の良い量を用いることができる.このような次元変換の性質を利用すると従来技術の制限要因を回避した多彩な応用が可能となる.そして,これらの軸にとどまらず,強度,偏光,横モード,角度などの広範な物理量に拡張可能であり,実際にその可能性が示され始めている.すなわち,光周波数コムは,単なるものさしでなく,光を自由自在に制御・操作するツール「光シンセサイザ」である.つまり,光周波数コムは光の楽器であり,究極の夢のツールである.

図2 光周波数コムの内包する広ダイナミックレンジの多次元性

 以上のような光周波数コムの魅力的な性質を用いると,材料,環境,医療,イメージング,防災,産業,宇宙,天文など広範な分野において,多くの革新的な応用が開かれると期待される.実際,ノーベル賞当時の「光周波数のものさし」からは想像できなかった広範な応用がこの15年余りで次々と誕生し現在も拡大を続けている.

文     献

(1) 美濃島 薫,“光周波数コムの開発の歴史と革新的応用への展開,”信学誌,vol.103, no.11, pp.1072-1081, Nov. 2020.

(2) T. Udem, J. Reichert, R. Holzwarth, and T.W. Hansch, “Absolute optical frequency measurement of the cesium D-1 line with a mode-locked laser,” Phys. Rev. Lett., vol.82, no.18, pp.3568-3571, 1999.

(3) D.J. Jones, S.A. Diddams, J.K. Ranka, A. Stentz, R.S. Windeler, J.L. Hall, and S.T. Cundiff, “Carrier-envelope phase control of femtosecond mode-locked lasers and direct optical frequency synthesis,” Science, vol.288, 5466, pp.635-639, April 2000.

(4) K. Sugiyama, A. Onae, T. Ikegami, S.N. Slyusarev, F.L. Hong, K. Minoshima, H. Matsumoto, J.C. Knight, W.J. Wadsworth, and P.S. Russell, “Frequency control of a chirped-mirror-dispersion-controlled mode-locked Ti : Al2O3 laser for comparison between microwave and optical frequencies,” Proc. SPIE, pp.95-104, 2001.

(5) H. Katori, M. Takamoto, V.G. Pal’chikov, and V.D. Ovsiannikov, “Ultrastable Optical Clock with Neutral Atoms in an Engineered Light Shift Trap,” Phys. Rev. Lett., vol.91, no.17, 173005, Oct. 2003.

(2023年2月27日受付) 


オープンアクセス以外の記事を読みたい方は、以下のリンクより電子情報通信学会の学会誌の購読もしくは学会に入会登録することで読めるようになります。 また、会員になると豊富な豪華特典が付いてきます。


続きを読む(PDF)   バックナンバーを購入する    入会登録

  

電子情報通信学会 - IEICE会誌はモバイルでお読みいただけます。

電子情報通信学会誌 会誌アプリのお知らせ

電子情報通信学会 - IEICE会誌アプリをダウンロード

  Google Play で手に入れよう

本サイトでは会誌記事の一部を試し読み用として提供しています。