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Vol.107 No.10 (2024/10) 目次へ

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知識の森

メディアエクスペリエンス・バーチャル環境基礎研究専門委員会

デザインリサーチ

新井田 統(KDDI総合研究所)

本会ハンドブック「知識の森」

https://www.ieice-hbkb.org/portal/doc_index.html

1.デザインリサーチとは

 デザインリサーチは,デザインに関わるリサーチ(研究や調査)活動のことである.デザインの実践者の間で広く用いられている用法は,デザイン活動の初期にユーザ若しくは潜在ユーザの状況を理解するために実施される調査という意味である(1).しかし,デザインリサーチは本来より広い意味を含む用語であり,デザインに関わる多岐にわたる研究を包含し,やや定義も曖昧なものである(2).本稿ではその歴史的経緯を説明し,その分類と今後の展望について述べる.

2.デザインリサーチの歴史

 デザインリサーチという言葉は,1960年代にデザイン手法に関する研究が進められる中で生まれ,1966年のDesign Research Society(DRS)の発足とともに広く使われるようになった.使いやすい製品をデザインするための手法やその法則性の解明,デザイン活動のための知識の体系化など,「科学としてのデザインリサーチ」を探究する学際的な学術分野を指していた.それまでの経済的合理性に基づく売るためのデザインへの批判から生まれたものであり,人の生活を向上させる優れたデザインを実現するプロセスを,実証的かつ再現可能な形で提示することを目的としていた.

 1970年代になると,上記の科学的なデザイン方法論に対して批判が高まった.デザインリサーチの研究活動で生み出された知見が,実際のデザイン活動に役立っていないというものである.H. Rittelは,デザインが扱う現実世界の問題は厄介な問題(若しくは意地悪な問題:Wicked Problem)であり(3),複雑な人間社会で望まれる文脈依存性の強いデザインを合理性で導き出すことはできないとして,機能主義に傾倒していた方法論を批判した.これは当時のデザインリサーチの方向性そのものに対する疑義であり,これを機にデザインリサーチは大きく方向転換をした.

 1980年代にはデザインプロセスの中でユーザとの対話を行い,ユーザの活動を深く理解することで厄介な問題に対応する実践的な方法が議論された.その中で,ユーザをデザインプロセスに巻き込む方法に二つの潮流が生まれた.一つは認知心理学や認知科学に基づくアプローチで,もう一つが人類学に基づくアプローチである.

 認知心理学・認知科学に基づくアプローチが生まれた背景には,コンピュータの一般社会への普及があった.コンピュータをはじめとする電子機器は,ユーザの入力と機器の出力との間の自由度が高く,必ずしも直感的な関係となっていない.このためコンピュータの利用体験(ユーザエクスペリエンス(4))のデザインに注目が集まり,人と人工物の間の相互作用をデザインするインタラクションデザインが,人の認知特性を考慮する研究分野で発展した.

 人類学に基づくアプローチは,文化人類学や社会学で使われていた定性的なフィールド調査手法であるエスノグラフィーの産業応用という形でデザインリサーチの領域に広まった.この手法に注目が集まった理由は,未知の地域を調査するために発展してきた手法を,サービス提供者にとって未知の領域であるユーザの生活調査に援用することで,本質的なニーズを捉えることができると期待されたためである.この手法の有用性が社会の中で注目されたことで,マーケティングリサーチと対置する形でデザインリサーチという言葉がユーザ調査の手法を示す言葉として認知されるようになった.

 学際的なアプローチとして様々な学問領域を巻き込んで発展してきたのは,デザインの対象が“もの”から“こと”へと拡張し,ユーザ体験が複雑な人間社会に埋め込まれた活動として捉えるべきという流れがあったためと言えるだろう.

3.人間中心設計とデザイン思考

 こうしてデザインリサーチ領域の研究が進む中で,D. A. Normanらが提唱した「Human-Centred Design(HCD:人間中心設計)」がデザインプロセスのフレームとして広く認知されるようになった.HCDは,ユーザの状態の理解に基づくシステムの設計プロセスで,国際標準化まで行われている(5).人間中心設計は技術中心設計と比較され,シーズベースからニーズベースのイノベーション戦略の変化を促すものとして期待され,デザインの実践家に広まっていった.

 HCDと同じくデザインプロセスのフレームワークとして知られているのが“デザイン思考”(Design Thinking)である.元々デザイン思考という用語は,1960年代に進められた科学としてのデザインリサーチの中で,デザイナーがデザイン活動で用いる特有の認知活動を指す言葉であった.デザイナーの思考を分析することで,デザインをセンスによるものではなく教育可能なスキルとして定義しようとしていた.そうした中で,スタンフォード大学のd. schoolなどで行われていたデザイナー教育が広く知れわたり,デザインコンサルティング会社のIDEOがビジネスに適用することにより世界中でデザイン思考に注目が集まることとなった.その考え方が普及する中で,デザイン思考を象徴するものとして五つのステップに分けられた図(図1(6))が有名になり,この図に示されたプロセスがデザイン思考であるという理解(誤解)が広まり,この図とともにバズワード化していった.

図1 d.schoolの示す5ステップのデザインプロセス

4.デザインリサーチの分類

 ここまで,デザインリサーチの歴史的な流れを追ってきた.デザインリサーチは学際的な研究領域であり,学術的な活動に加えて企業などにおける実践的な活動を含む多様なアプローチやメソッド,ツールが存在している.4.では,それらを整理するための分類について述べる.

 一つ目は,E.B.N. Sandersが示したアプローチの分類である(7)図2).2.で示したとおり,1980年代以降に議論されてきたデザインプロセスへのユーザの巻き込み方として,デザインの専門家が行うデザイン活動にユーザを被験者として巻き込む形(Expert Mindset)と,デザイン活動の主体的なパートナとして巻き込む形(Participatory Mindset)で横軸を区別している.縦軸は,活動を主導するのがリサーチである場合(Research-Led)とデザインである場合(Design-Led)で分けられている.3.で説明した人間中心設計は第3象限に含まれており,専門家が中心となるデザイン活動をリサーチ主導で進めるアプローチと理解できる.

図2 デザインリサーチの分類

 二つ目は,C. Fraylingが示した三つの分類(8)を元にしたものである.「Research into Design」はデザイン活動を分析対象として理論的観点から行われる研究である.デザイン史や事例分析に基づくデザイン理論の研究が含まれる.「Research through Design」は,デザイン活動を通じて新規な知見を生み出す研究である.デザイン活動を手段とした研究活動と言える.「Research for Design」は,デザイン活動を支えるために行われる研究・調査活動である.調査やツールの作成が含まれ,1.に書いたユーザ調査としてのデザインリサーチはここに含まれると言えるだろう.

5.デザインリサーチの今後の展開

 2024年現在,R. Ackermannの論説(9)を中心にデザインリサーチにおいて大きな影響を及ぼした“デザイン思考”に批判が集まっており,これからデザインリサーチは新たな展開を迎えると考えられる.

 4.で示したE.B.N. Sandersによる分類で,Participatory Mindsetのアプローチとして書かれた参加型デザインは,今後更に注目を浴びると考えらえる.参加型デザイン自体は新しい概念ではなく,その起源は1970年代に行われた労働者がデザイン活動に参加するという運動にまで遡ることができる.また類似のアプローチとして,デザイン活動から排除されていた障碍者をデザイン活動に巻き込むというインクルーシブデザインというアプローチもある.更に,サービスデザインの現場において共創という概念が注目され,多くのステークホルダがデザインプロセスに参加することが望ましいとされてきている.その中で,企業,行政,大学等の複数のステークホルダが協働で課題に取り組むリビングラボを自治体や企業が運営するようになってきており,今後更に増加すると考えられる.また図2にDesign-Ledとして示されたCritical DesignやSpeculative Designなどのアプローチも今後増えてくると考えられる.

 また,C. Fraylingの分類で示した「Research through Design」は現在大きな注目を浴びており,その名を冠した国際学術会議が開催されている.複数のデザイン活動を通じてリサーチクエスチョンに取り組むアプローチは,デザイン対象がプロダクトからインタラクション,システム,社会,コミュニティと広がっていく中で,一つの実践では課題を解決できないような大きなテーマを設定する際に有効なアプローチとなると考えられる.

文     献

(1) 木浦幹雄,“デザインリサーチの教科書,”ビー・エヌ・エヌ新社,2020.

(2) V. Margolin, “Design research : What is it? What is it for?,” Design research society, 2016.

(3) H.W.J. Rittel and M.M. Webber, “Dilemmas in a general theory of planning,” Policy sciences, vol.4, no.2, pp.155-169, 1973.

(4) 東條直也,“ユーザエクスペリエンス,”知識の森,電子情報通信学会,2023.
https://www.ieice-hbkb.org/portal/wp-content/uploads/2023/11/k106_10_949.pdf

(5) ISO, “ISO 9241-210 : 2019 Ergonomics of human-system interaction―Part 210 : Human-centred design for interactive systems,” 2019.

(6) H. Plattner, “An introduction to design thinking process guide,” The Institute of Design at Stanford. Stanford, 2010.
https://web.stanford.edu/~mshanks/MichaelShanks/files/509554.pdf(参照 June 24, 2024).

(7) E.B.N. Sanders and P.J. Stappers, “Co-creation and the new landscapes of design,” Co-design, vol.4, no.1, pp.5-18, 2008.

(8) C. Frayling, “Research in art and design,” Design : Royal College of Art Research Paper, vol.1, no.1, 1993.

(9) R. Ackermann, “Design thinking was supposed to fix the world. Where did it go wrong?,” MIT Technology Review, 2023.

(2024年6月24日受付) 


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