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コンピュータシステム研究専門委員会
量子コンピュータ
従来型コンピュータ(本記事では古典コンピュータと呼ぶ)は半導体製造プロセスの微細化を背景に発展してきた.しかしながら,このトレンドを長期的に継続し,機械学習など新たなアプリケーションや増大を続ける計算ニーズに応えられるかは不透明である.そこで,量子ビットを基本構成要素とし,量子重ね合わせや量子もつれといった量子力学の現象を利用して計算を行う量子コンピュータ(QC : Quantum Computer)が期待されている.量子力学的な効果を制御可能な装置と,それを活用できるアルゴリズムを組み合わせることで,古典コンピュータで効率的に解くことが難しい問題を効率良く解くことができる.国内でも,2023年3月に第1号国産超伝導QC「叡(英語表記はA)」のクラウド利用が開始される(1)など,QCの研究開発が進められている.
量子計算に関する研究の歴史は1980年頃に端を発し,理論やアルゴリズム先行で進められた.2000年代後半から量子力学の現象を精度良く制御・測定する技術が進展し,ハードウェア開発が加速した.2010年代以降,多数の量子ビットを持つ装置が登場し,今日のQC開発へとつながっている.
QCに不可欠な構成要素は量子ビットである.ビットの名のとおり0と1を表すが,量子重ね合わせ,つまり0と1の重ね合わせ状態を持つことができる.これを物理的に実現するためには,量子2準位系と呼ばれる,エネルギー準位を二つ持つ系が必要である.これに用いることができる物理系は偏光,電子/核のスピン,電子準位など多数知られている.そのため,様々な量子ビットデバイスが探求されている.
量子ビットの利用方法は,量子シミュレーションと量子アニーリング,量子ゲート計算がある.量子シミュレーションは,人工的で制御可能な量子系を用いて,興味のある物質などの量子現象をモデル化及びマッピングし実験することで直接的な実験や測定が困難な物理系を探求する手法である.量子アニーリングは量子ビット間の相互作用をプログラム可能とすることでイジング模型を介して問題定式化し求解する.
量子ゲート計算は,プログラマブルな計算モデルの実装を試みるものである.本稿ではこれ以降,量子ゲート計算を行うものをQCとする.量子ビットが定義する量子状態を量子ゲートと呼ばれる基本操作により更新する.量子ゲートの系列は量子回路と呼ばれ,楽譜の五線譜のような形式で図示されることが多い.五線譜では線(縦軸)は音の高さを表すが,量子回路では各線はそれぞれの量子ビットを表す.横軸は左から右に順序関係を表す点では同じだが,絶対的な時間の長さとは関係ない点が異なる.
現在,量子ビットのエラー率は10-3程度と古典コンピュータで用いられるものに比べ非常に大きいため,エラーをどのように扱うかが重要である.物理量子ビットを量子回路上の1量子ビット(これを論理ビットと呼ぶ)として用いるものはNoisy Intermediate-Scale Quantum(NISQ)コンピュータと呼ばれている.一方で,量子誤り訂正符号(QEC : Quantum Error Correction)コードを用いてエラーを訂正しながら計算しようというのが誤り耐性量子計算機(FTQC : Fault-Tolerant QC)である.
NISQコンピュータは計算結果にエラーが生じるため,その影響を緩和する技術が必要である.また,ゲート操作に要する時間経過に従って指数関数的に雑音の影響が大きくなるため,1回の計算で行える量子ゲートの数(量子回路の深さ)が限定され,それに伴ってQCの規模(量子ビット数)も制限される.したがって,NISQ計算については,エラー緩和技術や浅い回路に問題をマッピング可能なアルゴリズム研究が盛んに行われている.
FTQC開発の課題は大規模化と高性能な誤り訂正機構の実現である.FTQCの価値は古典コンピュータの超越,すなわち量子加速の実現にあるが,そのためには古典ソルバの計算時間とFTQCの計算時間の交差点よりも大きなサイズの問題を解けるよう大規模化する必要がある.実用可能な問題(物性物理の問題)で実現するには,105程度の物理ビットが必要だと試算されている(2).大規模化のためのハードウェアやシステムアーキテクチャ研究のほか,量子加速の実現に必要な規模を削減するQEC符号理論やアプリケーションアルゴリズムの研究も行われている.
QCに期待されるアプリケーション分野のうち,本稿では主要なものについて概観する.図1は超伝導QC規模の増加傾向を基に外挿したものと,期待されるアプリケーションをマッピングしたものである.具体的応用を見据えたアルゴリズム開発はNISQコンピュータ向けが盛んである.量子加速が明らかなグローバやショアのアルゴリズムの実用にはFTQCが必要だと考えられている.
(1)物性物理における量子多体問題
例えば,高温超伝導など,新たな特性を持つ物質の探索に用いられる.QCにより古典コンピュータより大規模な問題や,高精度な求解に期待される.
(2)量子化学計算
特定の構造を持つ分子の基底エネルギーなどを計算することで新たな反応や物質の発見などの応用が期待される.古典コンピュータによる求解が難しい問題の一つである.
(3)量子機械学習
量子情報を対象とした機械学習が可能である.また,古典情報に対しても,量子重ね合わせによりパラメータ数を抑え汎化性能の高いモデル構築に期待される.
(4)データベース
高速な検索アルゴリズムであるグローバのアルゴリズム(3)を用いて,データベースを高速化できる.古典アルゴリズムに比べ,二次の加速が見込まれる.
(5)素因数分解
ショアのアルゴリズム(3)を用いて,素因数分解を古典解法に比べ指数加速できる.素因数分解はRSA暗号の計算量的安全性に用いられておりインパクトが大きい.
本稿では,数ある実現方法の中でも規模の観点でけん引している超伝導QCに着目する.超伝導量子ビットはLC共振回路にジョセフソン接合を用いることで非調和化し,孤立した2準位系を構成する.量子プロセッサは動作にミリケルビン環境を必要とするため,希釈冷凍機の中に設置される.集積回路に実装可能で量子ビットのパラメータを人工的に設計可能なため大規模化が比較的容易とされている.図2に現在の典型的なシステム構成を示す.システム設計の観点では,冷凍機内外を接続する配線数の増加が課題とされている.
リードするIBM社は1,121量子ビットを集積したCondorや,より低いエラー率を実現した133量子ビットのHeronなどを2023年12月に発表した(4).国内では,理化学研究所を中心とする国家プロジェクトとして,64物理ビットを搭載した「叡」が2023年3月にクラウド公開された.
実用的なアプリケーションでの量子加速はいまだ確認されておらず,長期的な開発が必要である.長距離走を全力疾走するような努力に加え,人材拡大と分業体制確立が鍵となる.
(1) 理化学研究所,産業技術総合研究所,情報通信研究機構,大阪大学,富士通株式会社,日本電信電話株式会社,“量子コンピュータを利用できる「量子計算クラウドサービス」開始―国産超伝導量子コンピュータ初号機の公開―,”2023.
https://www.riken.jp/pr/news/2023/20230324_1/(2023年12月確認)
(2) N. Yoshioka, T. Okubo, Y. Suzuki, Y. Koizumi, and W. Mizukami, “Hunting for quantum-classical crossover in condensed matter problems,” arXiv: 2210.14109v2, 2023.
(3) 中山 茂,量子アルゴリズム,技報堂出版,2014.
(4) D. Castelvecchi, IBM releases first-ever 1,000-qubit quantum chip, 2023.
https://www.nature.com/articles/d41586-023-03854-1(2023年12月確認)
(2023年12月15日受付)
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