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博士の進路
小特集 1.
産業界における博士号取得者の役割と活躍例
The Roles and Achievements of Ph.D Holders in Industry
筆者は,2015年に光通信の研究で修士号を取得し,KDDI株式会社に入社した.その後,本社にてFTTH(Fiber To The Home)回線等の保守運用業務を経て,2016年に(株)KDDI研究所(現,(株)KDDI総合研究所)に出向し,以降は修士時代と同様に光通信関連の研究を行っている.また,企業にて研究を行う一方,社会人の身分のまま博士課程に進学し,博士号を取得した.筆者がKDDI研究所に配属された当初,上司・同僚含め,多くの諸先輩方が博士号を取得されていた.筆者の所属する部署に限った話ではあるが,1980年代から現在までに在籍された諸先輩方の中で,最終的に半数以上の方が博士号を取得されたとのことである.もちろん,それぞれの博士号取得までのキャリアは様々であるが,学会や標準化会合など,海外の場で大いに活躍されていた方も多い.実際,筆者は光通信関連の部署に在籍していることもあり,KDDI総合研究所の前身である,国際電信電話(KDD)研究所時代から現在に至るまでの,半導体光デバイスや,海底光ケーブルの研究開発及び実用化において,多くの博士号取得者が重要な役割を果たしてきたことを,聞き及んでいる.ここでは,そんな諸先輩方の御活躍と,僭越ながら筆者の博士取得に関する経験を紹介し,企業における研究文化及び大学での研究文化との違い等についての私見を述べたいと思う.
やはり企業研究の最大の特徴は,自ら考案・開発した技術をビジネスにまで発展させ得る可能性がある点だと思う.近年では,大学発のベンチャー企業も数多く存在し,大学においても社会実装に携わる機会は増しているように思われる.しかしながら企業の場合,国を超えた共闘など,大学研究ではなかなか味わえない規模で開発が進行していくこともある.例えば当時のKDD研究所では,太平洋横断光ケーブルの大容量化という一大プロジェクトを担当しており,その開発規模は大規模サービスを提供する企業ならではのスケールであった.
まず一例として,1980年代後半のKDD研究所における研究開発について紹介したいと思う.当時,波長1.3µm帯の半導体レーザを用いた,TPC-3と呼ばれる太平洋横断海底ケーブルが既に導入されていたが,光ファイバが最も低損失になることで知られている,1.55µm帯で次世代システムを構築する必要性が指摘されていた.そこで,後にKDDI研究所代表取締役所長となる秋葉重幸博士は,当時の共同研究者で,現在早稲田大学の宇高勝之教授らとともに,1/4波長シフトDFBレーザと呼ばれる,1.55µmでの光伝送に適したレーザを開発した(1),(2).秋葉博士はKDD研究所配属数年後にMIT(マサチューセッツ工科大学)に留学し,物理学者/電気工学者であったHermann Haus教授の下で研究を行っていたこともあり,そのHaus教授と議論を重ねながら,1/4波長シフトDFBレーザを発振させるに至った.1/4波長シフトDFBレーザは,原理上100%単一波長発振する構造であり,単一波長発振する可能性が余り高くない従来のDFBレーザの製造歩留りを,大幅に改善させた.更に長時間,レーザを駆動させ続ける長期寿命試験においても,安定的に単一波長動作することが確認され,TPC-3の次の世代の海底ケーブルTPC-4にて実際に商用導入されたのである.研究成果が出てから,実際の商用導入まで僅か10年程度しかたっておらず,大規模商用サービスにこれほど早く研究成果を取り込めたのは,驚きである.
その後,秋葉博士は東工大の連携教授もお務めになり,産学連携にも御尽力された.更に,大容量波長多重光海底ケーブルシステムの開発の御功績が認められ,紫綬褒章を受章された.筆者自身も東工大御在籍時に,共同研究を通してお世話になった.
もう一名,博士号取得者の活躍例について紹介したいと思う.後にKDDI研究所取締役副所長となる鈴木正敏博士は,大学時代に信号処理関連の分野で博士号を取得され,入社後KDD研究所に配属となった.配属後は,大きく研究分野を変える形で,電界吸収形(EA: Electro Absorption)変調器などの半導体集積光デバイスや,分散制御ソリトンなどの光伝送技術の分野で御活躍なさり,これら研究開発の商用化に多大なる御貢献をされた(3).鈴木博士は配属後,まずEA変調器及びEA変調器とDFBレーザを一体集積した,EA-DFBレーザの研究開発に従事された.複数の機能を有する素子を一体集積した光デバイスというのは,今でこそ当たり前となっているが,その当時まだほとんど報告されておらず,後の研究開発にも大きく影響を与えるものであった(4).信号処理の分野で博士号を取得なさったにもかかわらず,入社後はクリーンルームで結晶成長をするという,まさに異例のキャリアの中で,このような成果を上げられたのである.その後単体EA変調器は,1990年代後半からKDDグループが運用する,太平洋/大西洋横断含む多くの10Gbit/s波長多重システムベースの海底ケーブルに,またEA-DFBレーザは日本列島を環状に取り囲む2.5Gbit/s波長多重システムベースの光海底ケーブルや,アジアを経由する日欧海底ケーブル等に商用導入されたのである.
更に鈴木博士は,半導体光デバイスの部署から,光ファイバ伝送の部署へと異動され,ここでも新たに分散制御ソリトンという方式を発明された(5).これは,従来の光ソリトン伝送を制限する主たる要因であった,Gordon-Hausジッタを抑圧するという画期的なもので,瞬く間に世界中で広まり,一時期の光通信の学会は分散制御一色に染まった.鈴木博士は,分散制御ソリトンの概念を初めて国際学会に投稿した際,なかなか実験結果に納得できず,投稿締切の前日にようやく原稿の執筆を開始したそうである.ところが,その内容がそれまでの常識を大きく逸脱しており,当時その発表を聞いた研究者たちの多くは懐疑的であった.しかしAston大学のとある教授は,「全く同じことを考えていたが,先を越された」と,発表直後に鈴木博士の下に駆け寄ってきたそうだ.まさに研究者が紙一重の差で成果を出し合うような,非常に競争的な状況の中での発明であった.以降,分散制御ソリトンにて確立された技術を基に,波長多重光海底ケーブルの大容量化が更に進み,後に鈴木博士も本件による業績で,紫綬褒章を受章された.
また鈴木博士自身も,海外の博士号取得者には大いに刺激を受けていたようである.例えば,上記の大容量波長多重海底ケーブルを商用導入するに先立って,KDDとアメリカ側の共同開発先のAT&Tは,新横浜に構築した大規模テストベッドを用いて,長期信頼性試験を実施することとなった.その際,アメリカ側からはベル研の研究者が来日し,共にテストベッド試験を行った.来日したメンバは皆スター研究者で,鈴木博士いわく,彼らの優秀さには大変驚かされた,とのことである.ベル研のメンバは,無論全員が博士号取得者であり,そんな彼らと日々昼夜を共にすることで,海外の研究者のレベルの高さに,KDD側の研究者も大いに刺激を受けた.以降,これをきっかけに海外の研究機関との共同研究も,積極的に推進なさった.
最後に僭越ながら,筆者が博士を取得するまでの過程と,それが現在の業務にどう生きているかについて,簡単に紹介したいと思う.KDDI研究所配属後,筆者は光アクセスネットワークと呼ばれる,FTTHなどの,よりコンシューマーに近い光回線の研究開発を行うグループに配属となった.コンシューマーに身近な通信手段といえば,やはり無線が最もメジャーではあるものの,光アクセス回線もその一種ということで,当時筆者の配属となったグループは,無線関連の部署の配下に存在していた.そのため,幸運にも無線関連の研究者と交流する機会も多く,自然に新たな知見を広めることができた.
一方で,筆者の研究グループでは,当時幾つかの大学との共同研究も行っていて,韓国のKAIST(Korea Advanced Institute of Science and Technology)にて光通信を御研究されているYun C. Chung教授のグループとも,精力的に技術交流を図っていた.鈴木博士がChung教授と旧知の仲だったこともあり,また海外との共同研究を通して若手に刺激を与えたいとの思いで,スタートしたものであったが,筆者にとってはそれまで国際的な共同研究の経験はなく,それ自体大変刺激的なものであった.
その共同研究の枠組みでのとある技術会合にて,KAISTにて共同実験をしましょう,ということになった.そのため筆者は,韓国の内陸に位置するDaejeon(大田)にキャンパスを構えるKAISTへと赴いた.時期は1月くらいであったが,真冬のDaejeonは氷点下になることも珍しくなく,非常に寒かったのを今でも覚えている.そこで,KAIST側の担当者として,当時博士課程に在籍していた学生とともに,日々実験をこなす毎日を送った.彼は筆者より1~2歳年上であったと記憶しているが,兵役を終えてから博士課程に進学しており,とてつもなく研究に精力的だったことに非常に驚かされた.また学術的にも多くの知見を有しており,実験テクニックなども含めて,多くのことを彼から学ぶことができた.また彼以外にも,多くの優秀な博士課程在学者が在籍していて,毎日昼食・夕食を共にしていたこともあり,皆と仲良くなることができた.その後何名かは大学の教員になっていて,今でも学会などで交流している.ここで得られた経験は,後に博士号を取得する大きなきっかけにもなった.
翌年,筆者は社会人の身分のまま博士課程に進学し,東大で半導体集積光デバイスを御研究されている,種村拓夫准教授及び中野義昭教授の下で研究させて頂くこととなった.種村准教授は,筆者が修士号取得時にお世話になった,東大の菊池和朗名誉教授の下で博士を取得された先輩でもあったが,御研究分野自体は光デバイスに変えられていた.そこで,筆者自身も知見を広げるべく,業務内容とは多少異なる分野での博士号取得を目指した.新分野での研究では大いに悪戦苦闘したが,少しでも知見を広げられたことは,大変に良かったと思う.
ところで,上述の諸先輩方の偉大な功績の後も,KDDI研究所では光デバイスの研究を続けていたが,それも15年ほど前に完全にストップし,クリーンルームも閉鎖した.それ以降は光ファイバ伝送や光ネットワークなど,システム系の研究に注力していた.ところが,ちょうど筆者が博士号を取得して少したった後くらいに,再度光デバイスの研究を立ち上げてはどうか,という話になり,そのために新しいグループが設立された.そして,筆者自身も全く予想もしていなかったことであるが,そのグループに配属されることになったのである.現在もグループの立ち上げで悪戦苦闘しているものの,博士課程での経験が現在では大変に役立っている.
本稿では,KDDI総合研究所の前身である,KDD研究所時代から現在に至るまでの,半導体光デバイスや海底光ケーブルの研究開発及び実用化において,重要な役割を果たされた博士号取得者の方々の活躍を紹介した.また僭越ながら,筆者自身の博士取得時の経験についても紹介させて頂いた.諸先輩方の活躍をまとめる中で,博士号取得者として日々研鑽に励む必要があると,改めて感じた次第である.
最後に,本稿を執筆するにあたり,元KDDI研究所取締役副所長で,現早稲田大学の鈴木正敏特任教授及び,元KDDI総合研究所執行役員で,現KDDI総合研究所コアリサーチャーの田中英明博士に,KDD研究所時代の様子をヒアリングさせて頂いた.改めて感謝を申し上げたい.
(1) 秋葉重幸,“私の研究者歴 半導体レーザから光海底ケーブルへ,”信学通誌,2022年冬号(no.55),pp.272-280, Dec. 2020.
(2) S. Akiba, M. Usami, and K. Utaka, “1.5-µm λ/4-shifted InGaAsP/InP DFB lasers,” J. Lightwave Technol., vol.5, no.11, pp.1564-1573, 1987.
(3) 鈴木正敏,森田逸郎,秋葉重幸,長距離光ファイバ通信システム,オプトロニクス社,東京,2019.
(4) M. Suzuki, Y. Noda, H. Tanaka, S. Akiba, Y. Kushiro, and H. Isshiki, “Monolithic integration of InGaAsP/InP distributed feedback laser and electro-absorption modulator by vapor phase epitaxy,” J. Lightwave Technol., vol.5, no.9, pp.1277-1285, 1987.
(5) M. Suzuki, I. Morita, S. Yamamoto, N. Edagawa, H. Taga, and S. Akiba, “Timing jitter reduction by periodic dispersion compensation in soliton transmission,” Optical Fiber Communication Conference (OFC) 1995, paper PD20, 1995.
(2024年1月4日受付 2024年2月12日最終受付)
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