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スマート無線研究専門委員会
電波マップ
電波マップ(Radio Map)とは,無線通信システムにおける通信品質の面的な情報を可視化したマップである(1).可視化対象は様々であり,例えば平均受信電力や平均伝搬損,平均スループットがある.図1に,電波マップの例を記す.このようなマップをあらかじめ何らかの方法で構築し,無線通信設計における補助情報として活用することで,伝送レートや送信電力をはじめとした無線端末の諸パラメータを適応化し,無線通信システムの諸性能を向上できる.
本技術は,2000~2010年代にかけて注目された,既存割当済み周波数の空き帯域の二次利用に関する議論の中で多くの知見が積み重ねられてきた.テレビ帯域において,経験則電波伝搬モデルに基づくマップのデータベースが公開されるなど,一定の成功を収めたと言える(2).近年は深層学習の進展もあいまって,第6世代移動通信(6G)に向けた周波数利用効率の抜本的改善を実現する要素技術として注目されている.
なお,本技術は関連する用語が乱立している状態にある.電波マップ(Radio Map)(3), (4)に加え,通信路知識マップ(CKM : Channel Knowledge Map)(1),電波環境マップ(REM : Radio Environment Map)(5)などが存在するが,いずれも多くの場合は平均受信電力若しくは平均伝搬損に関するマップであり,それぞれの間に理論の互換がある.
ここでは,受信電力可視化を対象とした電波マップについて述べる.電波マップの構築法は,主に次の三つに分類できる.
・経験則電波伝搬モデルに基づく手法
・実測値と空間内挿に基づく手法
・レイトレーシングに基づく手法
一つ目の手法は,奥村―秦式に代表される電波伝搬モデルを用いた手法である.推定対象となる環境のおおよその分類(例:都市,郊外)や使用周波数,送受信アンテナ高などの条件に応じて適切なモデルを選択すればよい.簡易に広域のマップを構築できるが,サイトスペシフィックな変動の推定には限界がある.
二つ目の手法では,スマートフォンや車両が通信・観測した無線環境情報を遠隔のサーバに集約し,その結果から電波マップを生成する.観測値が得られないエリアの特性は,ガウス過程回帰に代表される回帰分析手法を用いて空間軸で内挿を施すことで対応する.構造物の遮蔽の影響まで高い精度で推定可能であり,限られたデータ数でも一つ目の手法と比較して精度良く電波マップを構築できることが実験的に知られている.一方で,観測方法が端末依存であるという特徴から,特に一般ユーザが所有する端末に観測を依頼する場合,アンテナ高や観測位置,信頼度などの観点からデータの取扱いに注意が必要である.
三つ目の手法では,通信エリアに存在する地形や構造物に関する情報を補助情報に,電波の反射・回折・透過を詳細に計算することで電波伝搬特性を推定する.補助情報が正確であり,反射回数等のパラメータが十分に確保できれば精度良く電波マップを構築できる.ただし,高精度な構造物のベクタデータの入手が困難である上,演算量が他の二つの手法と比較して非常に高い.
それぞれの特徴を表1にまとめる.使用可能な情報や推定対象に応じた構築手法の選定が重要である.
電波マップは,その定義の簡素さから幅広い応用検討がなされている.代表的な活用例は,無線リソース制御である.例えば,周波数共用においては既存周波数割当済みシステムへの干渉電力を一定値以下に抑えた周波数共用設計が不可欠である.そこで,あらかじめ既存システムの通信品質に着目した電波マップを構築し,周波数二次利用者側に持たせる.二次利用者は,得られたマップと自身の座標から周波数二次利用を実施した際の既存システムへの干渉電力を予想し,許容干渉電力の範囲内で自身の通信品質を最適化すればよい.電波マップが高精度であるほど干渉予測の精度も向上するため,結果として,空き帯域をより効率的に活用できる(5).
周波数共用に限らず,自システム内の無線リソース制御においても効果的である.例として,セルラに電波マップを用いることで,端末座標に応じた信号対雑音電力比を予測できる.その予測結果とシャノンの通信路容量から伝送レートを設計することで,高信頼かつ高速な信号伝送設計が実現可能であり,高信頼低遅延通信(URLLC : Ultra-Reliable and Low Latency Communications)に向けた要素技術として注目されている(3).
ほかには,端末の位置推定が代表的な活用例である.あらかじめ無線LAN等のアクセスポイント(AP : Access Point)の受信電力に着目した電波マップを用意する.ある端末がAPからの下り通信を受信した後,得られた受信電力をAPにフィードバックし,AP側でその値と電波マップを照合することで,端末のおおよその位置を推定できる(6).
同様に,端末の経路設計の検討もある.車両や無人飛行機(UAV : Unmanned Aerial Vehicle)など,無線基地局との接続性と目的地の移動の両立が重要となるアプリケーションがある.電波マップを用いて端末の移動先の通信品質を予測することで,基地局との接続性に関する制約を条件とした最短経路探索問題を設計できる(4).
このように,電波マップは幅広い領域での活用が期待されている.一方,電波マップの活用先で得られる性能が電波マップの特性に大きく依存する点は,直感的にも想像がつく.ここでは,電波マップ構築の効率化・高精度化に焦点を当てた研究動向を述べる.
近年の本分野における一つの潮流は,レイトレーシングに基づく方式の効率化である.通信環境に関する情報さえ得ることができれば精度良く電波伝搬特性を推定できるという本方式は,高精度化の観点で魅力的だが,やはり無数の反射・透過・回折の演算に伴う計算時間がネックである.そこで,通信環境情報の俯瞰画像を入力,レイトレーシング結果を出力とした深層学習に基づくレイトレーシングの近似計算法が検討されている.信号処理分野におけるフラッグシップ国際会議ICASSPで関連データセットを用いたコンペが開催されるなど,大きな盛り上がりを見せており(7),今後,電波マップ構築における主要な方式の一つとなる可能性は高い.
レイトレーシングの効率化の観点で,通信環境情報の取得に要するコストの削減を目指したイメージセンサ応用に関する報告が増加している.ライダ(LiDAR)を搭載したスマートフォンが増加していることからも分かるように,3Dスキャン可能なセンサが身近になった.これらを用いて通信環境をモデリングし,レイトレーシングの補助情報として活用しようという動きである.このようなセンサによる観測情報は,まず点群として得られる.点群をレイトレーシングシミュレータに入力可能な情報に変換することで,環境情報の準備に要するコストを大幅に削減できる(8)~(10).
実測値に基づく方式においては,端末側での測位を不要とする動きがある.例として,Channel Charting(11)では,基地局が端末との通信時に得られた通信路状態情報の無数の時系列データと位置関係から,端末との相対的な位置関係を推測する.相対座標上で空間内挿を施すことで,端末側の測位に頼ることなくマップを構築できる.
このように,電波マップ構築について広い観点から議論されている.3.で述べたように活用先は様々であり,今後,更なる検討がなされることが予想される.
(1) Y. Zeng, et al., “A tutorial on environment-aware communications via channel knowledge map for 6G,” IEEE Commun. Surv. Tuts., vol.26, no.3, pp.1478-1519, 3Q 2024.
(2) S. Bhattarai, et al., “An overview of dynamic spectrum sharing : Ongoing initiatives, challenges, and a roadmap for future research,” IEEE Trans. Cogn. Commun. Netw., vol.2, no.2, pp.110-128, June 2016.
(3) T. Kallehauge, et al., “Delivering ultra-reliable low-latency communications via statistical radio maps,” IEEE Wireless Commun., vol.30, no.2, pp.14-20, April 2023.
(4) S. Zhang and R. Zhang, “Radio map-based 3D path planning for cellular-connected UAV,” IEEE Trans. Wireless Commun., vol.20, no.3, pp.1975-1989, March 2021.
(5) K. Sato and T. Fujii, “Kriging-based interference power constraint : Integrated design of the radio environment map and transmission power,” IEEE Trans. Cogn. Commun. Netw., vol.3, no.1, pp.13-25, March 2017.
(6) X. Zhu, et al., “Indoor intelligent fingerprint-based localization : Principles, approaches and challenges,” IEEE Commun. Surv. Tuts., vol.22, no.4, pp.2634-2657, 4Q 2020.
(7) Ç. Yapar, et al., “Overview of the first pathloss radio map prediction challenge,” IEEE Open J. Signal Process., vol.5, pp.948-963, 2024.
(8) P. Koivumäki, et al., “Impacts of point cloud modeling on the accuracy of ray-based multipath propagation simulations,” IEEE Trans. Antennas Propag., vol.69, no.8, pp.4737-4747, Aug. 2021.
(9) 吉敷由起子,ほか,“CPSワイヤレスエミュレータのためのレイトレーシングレイヤの電波伝搬モデル,”信学論(B),vol.J105-B, no.11, pp.862-871, Nov. 2022.
(10) N. Suga, et al., “Indoor radio map construction via ray tracing with RGB-D sensor-based 3D reconstruction : Concept and experiments in WLAN systems,” IEEE Access, vol.11, pp.24863-24874, 2023.
(11) C. Studer, et al., “Channel charting : Locating users within the radio environment using channel state information,” IEEE Access, vol.6, pp.47682-47698, 2018.
(2024年10月20日受付)
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