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(2025年8月20日 オンラインにて開催)
出席者
甘利俊一 東京大学
植松友彦 電子情報通信学会会長 放送大学東京渋谷学習センター所長・特任教授
[植松] 本日は,神経回路網,連想記憶といった分野で数々の先駆的な業績を挙げられ,世界的にも学術に大きな影響を与えてこられた甘利俊一先生をお迎えしました.どうぞよろしくお願い致します.
[甘利] はい,どうも.

[植松] まず先生の原点に迫らせて頂きたいと思います.研究者として歩もうと決意されたのは,どのようなきっかけや体験からだったのでしょうか.
[甘利] 私が中学校のときに,湯川先生がノーベル賞を取ったんですよね.日本が騒然となって,科学者っていうのはいいもんだな,それが初めでしょうか.それから私,ずっと数学好きで通してきまして,高校は都立の戸山高校だったので,なんとなく研究者だなと憧れていました.そんな頃,東大に入りまして,学生運動だけやってて,企業に勤めるというのも抵抗感があって,研究者がやっぱり身の置きどころかな,こんなふうに思ったんじゃないでしょうか.
[植松] 湯川先生のノーベル賞は非常に参考になりました.私も子供のとき,江崎玲於奈先生がノーベル賞を取られて,工学でもノーベル賞が取れるんだと思ったのを覚えています.大学院のときにはどのようなテーマに取り組まれていましたのでしょうか.また,研究室の雰囲気や当時の議論の熱気など,印象に残っているエピソードがあれば,教えて頂きたいと思います.
[甘利] 私,学生運動みたいなことをやってまして,成績はガタ落ちなんですよ.東大の場合は,2年生の中頃から進学を決めるんですね.物理や数学,電気とか機械,こういう花形学科は点数が高くて,私の点じゃとても行けない.困ったな.こんなことを思いましたら,工学部の応用物理学科に数理コースという小さなコースがあったのです.学生定員が5名,教授,助教授は4名.ここが現代的な数学を用いて工学の諸問題を解決するんだと.これは面白そうだと思ったのですね.志望者もほとんどいません.志望すれば入れる.私,入ったんですが,それが幸運の始まりだったのですよ.と言うのは,私の先生は近藤一夫と言いますが,航空の若手のエース.もう一人,森口繁一も航空の若手のエース.この二人は,今さら航空の時代ではない,数学的な手法を工学に生かすんだということで始めたのだけども,先生が必死で研究しているわけですよ.それを間近に見て,研究ってこういうものか.先生も必死だけども,「研究は自由だぞ,自由に考えろ.」こういうことを言われまして,先生や先輩のやり方を見ながら研究したのです.
初めに考えたのは電気回路網.これに位相幾何学のホモロジー理論を使って考究すれば,新しい手法が出るのじゃないかと.これを修士のときに一生懸命やりまして,自分なりにはうまくいきました.具体的には,電気回路の一部分を電圧を変数とし,ほかの部分を電流を変数とし,そのような怪しげなミックスな変数をとって電気回路を考究すると,回路によっては非常に効率の高い解法が出る.これが修士論文で,さて,数理工学は自由である.だからもっと目を広げなきゃいけない.私の先生がやっていた塑性論,つまり連続体力学ですね.これに微分幾何を使うという理論を先生の論文で読んだけれども,不審な点がある.これをちゃんとやり直さなきゃいけない,ということで研究しまして,それなりに面白い結果になっていた.それがドクターに入っての初めの2年ぐらい.連続体力学を微分幾何を使ってやるという仕事を一生懸命やりました.
ドクターの3年になると,実は先生の方から「お前,情報の分野もやっとけ」と言われました.先生に下心があって,後に九州大学の通信工学科にお前の口を世話してやろうという策謀があったらしいのですが,そうとは知らずにシャノンの本を読んだら,あれはすごい面白いですね.もう感激しました.ということで,情報空間の変換に目をつけて,通信の信号空間の理論をやる.こんなことを1年間やりまして,それなりにうまくいったかなと思いました.大きな仕事はその三つをやって,やっぱり数理工学というのは面白い.ここに入ってよかったなと自信を深めました.
[植松] 応用数理コースは後の計測工学科ですか.
[甘利] 後に計測工学コースと数理工学コースが合体して,計数工学科という新しい学科になったのですね.その母体です.
[植松] 分かりました.ホモロジーと電気回路の話は興味深く,私の恩師が岸 源也先生で,元々混合解析をやられており,グラフの基本分割というのを言い出されたのですけど,変数の数を最小にするのが難しい問題だというのを教わったのをよく覚えています.連続体の力学に微分幾何を使うという話は,初めて聞かせて頂きまして,そういうことまでされていたのだと驚きました.
[甘利] 微分幾何はいい勉強になりました.
[植松] 学生だった頃を振り返って頂いて,どのようなタイプの学生だったとかお感じになりますか.今の若い研究者に重なるような姿はあったのでしょうか.
[甘利] そうですね.あの時代,平和活動というか,特に社会系の活動は非常に盛んだったのですよね.私もそれに引かれて,いわゆる歌声運動,歌声で平和をもたらす活動をずっとやっていて,そのおかげで成績がガタ落ち,という話はしました.しかしその後もですね,世界の平和とか社会の公平とかを考えていて,工学部の時代には工学部学生自治会の委員長までやって,砂川基地拡張反対闘争は現地に泊まり込むことまでやっていました.それと同時に,数理工学は面白いということで,そっちも一生懸命やっていたのですね.
[植松] 先生は今から言うとやんちゃな学生さんだったのですね.
[甘利] いえいえ.
[植松] テーマを変えさせて頂きまして,独創的な研究について少しお聞きしたいと思っています.最初に,先生はなぜ神経回路網を研究されようと思われたのか,教えて頂ければと思います.
[甘利] 当時大学院を終わって九大に行きましてね,九大の通信工学科で大野克郎先生というすごく偉い教授がいまして,この人も非常におおらかな人で,甘利さん,研究は好き放題,自由にやりたまえ,こういうタイプの先生でした.その頃,パーセプトロン(図1)がはやり始めて,新しい発想でコンピュータ作れるのじゃないかとか言われていたので,私もちょっと勉強したら大変面白い.まだまだやることは一杯ある.パーセプトロンはある意味で脳をモデルとして作り上げた装置なので,脳の情報処理の仕組みにも迫れるのじゃないかと,考えたのですね.好き勝手に研究していいということで,かなり興味を持っていろいろと取り組んできました.

[植松] 大野先生自身は確か回路網理論の専門家でおられますね.
[甘利] はい.怖い.優しい先生だけれども,学問に対しては怖い先生でした.
[植松] 私は大野先生の教科書で回路網理論を勉強したのを覚えています.神経回路網は,当時その分野の流行りがあったのですね.
[甘利] パーセプトロンは流行ってましたけれども,神経回路網として何かやろう,脳と結び付けようという話は余りなかったのですよね.私は脳に興味を持って,脳の仕組みを調べたい.パーセプトロンのもっと効率の良い学習法を出したい.このように両刀使いというか両方向に構えていたということですね.
[植松] 甘利先生の業績というのは,3層パーセプトロン(図2)でどうやって重みを学習すればいいかという問題で,有名な確率的勾配降下法という仕事です.もう一つ先生の有名な仕事が,甘利・ホップフィールドネットワーク(図3)というもので,完全結合をしているニューラルネットワークを考えて,0と1のパターンを複数,このネットワークの中に記憶させる連想記憶と呼ばれているものですね.


この確率的勾配法,あるいは甘利・ホップフィールドネットワークのような連想記憶のモデルというのは,独創的な研究だと思っています.こうした発想は,どのような場面,あるいは思考の流れの中から生まれたものかお聞きしたいと思います.
[甘利] 確率的勾配降下法について言えば,パーセプトロンは,元々中間層がたくさんあって,入力信号が何度も何度も変換されて,一番最後に至って答えを出すニューロンに至る.ローゼンブラットが考えたのは,最後のところで学習すれば,正解が出るようになるではないか.ところが,1個のニューロンだけで学習すれば線形分離,つまり線形にパターンが分けられるような状況でなければ,学習しようがしまいが答えがうまく出ないという限界があったわけですよね.ローゼンブラットさんが考えたのは,中間層を一杯置くことで,最後の方には線形分離可能になるんじゃないか.これは卓見で,実は本当なのです.今でもエクストリームマシーンなんていうのが時々出てくるのですけれども,それは中間層をランダムにつないでおいて非常に大きくしておけば,最後は何でも線形分離可能になってしまうんだということなのです.なぜそんなことが起こるかというと,次元のマジックで,初めの信号次元とありましたけれども,中間層が例えば
個あれば
次元になるわけですよね.信号を非常に高い次元の空間に移して表現する.これを繰り返すことによって信号が実はまばらになっていって,そうなれば線形分離可能になるんだ.これがローゼンブラットの発想です.それはそれでいいのだけど,中間層を非常に多くしてランダムに決めるということをしないで,学習すればもっと効率が上がるのじゃないか.これは誰しも思い付くことです.誰しも思い付くのに,なぜそれはできなかったかというと,当時のパーセプトロンはいわゆるマカロック・ピッツ系,つまり興奮するかしないか,ゼロイチの入出力を持つ論理素子だったんですね.論理素子の場合,中間層の素子の特性をちょっとだけ変えようとしても,0が1に変わるか1が0に変わる.ガタンと変わっちゃうんですよ.そこが変わると,最後の出力にどういう影響を及ぼすかっていうのは,計算がもう不可能になってくるわけです.そこでふっと気が付いたのはアナログニューロン,ニューロンの入力も出力も全部アナログ値じゃないですか.そうすると何が起こるかっていうと,中間層の素子の重みをちょっと変えれば,結果がどうなるか微分で出ちゃうっていうことですね.パラメータが一杯ありますから,それ全体で偏微分したのが勾配です.だから出力層で出る教師信号との誤差,誤差関数をその中間層の重みで偏微分して,それでその偏微分のマイナス,減る方向に重みを少しずつ変えていけば,結局うまくいくのじゃないかと.これ当たり前のことなのですよね.アナログニューロンを使う,こういう発想に至れば当たり前です.これを定式化して,試しに簡単な例題で,線形分離可能でないパターンを分離するような実験をやってみまして,うまくいきました.多分,これが世界で初めての,深層回路網の確率的勾配降下法のシミュレーション例であると,まあ思ってます.15,16年遅れて,第二次ニューロブームの頃に,ルンメルハルトたちが唱えたバックプロパゲーションも,全く同じ考えで,アナログニューロンを使って勾配でパラメータを変える方法,まあこういうことなのですね.
もう一つの,いわゆる連想記憶の方は,東大に戻ってきてからの,1972年の4月ですけれども,私の同僚の中野 馨先生が論理モデルを基にして,連想記憶みたいなものができるという話を持ってきまして,私がそれを見て,「いやいや,これはニューロンのモデルとしたら,もっともっと面白い発想の別のものになるよ」と言ったのですが,中野さんは頑固で自分の考えを曲げない.ハードウェアでこういう装置を作って,アソシアトロンという名前で発表しました.それを受けて私は,それをニューロンのモデルとしてもっとスマートにやってみよう,ということで連想系のモデルを作って,その数学的な能力を解析した.これもそれから10年遅れてホップフィールドが,私の数学的に表現したものと全く同じモデルを出してきて,物理学者がこれは面白いというので,第二次ニューロブームの花形の一つとなったわけです.こんな経緯で,やっぱり神経回路モデルの情報処理の仕組みと,できれば脳の仕組みの解明と,この二つが絡まり合ってこの頃の研究が進んでいったのです.
[植松] パーセプトロンについては,中間層でアナログニューロンを使ったというのが一番大きかったのですね.
[甘利] そうですね.アナログニューロンを使っていれば誰でもできることなのです.
[植松] 連想記憶のモデルですけど,中野先生が考えられたものと甘利先生が考えられたモデルとはどこに違いがあったのでしょうか.
[甘利] 僕のはね,0,1の2値の,それこそマカロック・ピッツニューロン.中野さんは1,0,-1の3値のモデルにこだわったのですね.そこが違うのかな.中野さんは理論解析ではなくて,実際にハードウェアで作ってみせるという方向に進んだし,私は数理的な解析でその能力をちゃんと示すという方向に進んだのですね.
[植松] 連想記憶では何の能力を調べようとされたのですか.
[甘利] どういうときにうまくいくのか,どういうときにうまくいかないのか.こういうことを数理的に調べて,初期状態から覚えているパターンに行き着くのに成功するのかしないのか,そのような解析を具体的にやったのです.
[植松] 中野先生はどちらかというと実用的な面を研究されて,先生がいわゆる理論的な面を研究された.
[甘利] そうですね.
[植松] 問題に対してどういうアプローチをするかというのは若い人に参考になると思います.
[植松] 先ほどのパーセプトロンの勾配降下法の論文は,当初余り引用されなかったとお聞きしております.その頃,先生はどのようなお気持ちで研究を続けられたのでしょうか.また,その経験というのは後の研究人生にどういう影響を及ぼしたとお考えでしょうか.
[甘利] 当時,いわゆるニューロンにある神経情報処理を基にした人工知能,この種の研究は役に立たないというので,1960年代後半から1970年代は欧米では研究者の数が随分減っちゃったのですよ.予算も減っちゃった.ところが日本ではそれほど下火にならなかったのですよ.当時予算もない代わりに研究は自由,勝手気ままにやっていい.まあこういう時代で,僕らは当時NHKにいた福島邦彦さんとも話し合って神経情報処理の研究をいろいろ好き勝手にしてみよう,ということで始めたのですね.それが1980年代に入って突如のニューロブームでびっくりしました.みんなパーセプトロンみたいなものを使って,すごい情報処理ができるかもしれない.国際会議も開かれるようになって,当時まだ我々は国際会議に行こうにも予算がなかったのですね.国立大学の先生は勝手に自費で行くということは許されなかったのですよ.こういう時代でもあったのですが,アメリカから電話がかかってきて,「お前の旅費は全部持つから,是非学会に来て発表してほしい」.そういう話になって,私も意気揚々と乗り込んで,神経回路の情報処理の分野では日本はもう先進国でしたから,大手を振るって,「何だお前ら,レベルが低いな」と,こう見ながら行きました.まあそんなところですね.
[植松] 先生が確率的勾配降下法を出された頃が冬の時代だったのですか.
[甘利] そうですね.欧米で研究者の数が減っちゃったから,論文を出してもほとんど反響がない.そういう時代でした.
[植松] 1980年代のニューロブームになるまでそれが続いていたために,埋もれてしまったっていうのが本当のところですか.
[甘利] そうですね.ルンメルハルトがバックプロパゲーションでその同じことを再現したのですよね.それが大いに受けて.こういう歴史的な事情になります.
[植松] 研究で時々,壁にぶつかることもあると思います.そういったときに,どうやって突破口を見いだしてこられましたか.また,御自身の打開の方法とか,日常の中でアイデアを磨く工夫があれば,是非教えて頂きたいと思います.
[甘利] これは難しい質問で,私は割合広く研究テーマを持ってましたから,一つ,研究テーマを広げて,もうちょっと別の分野というか別の方法で考えていこうということと,もう一つ,行き詰まった研究は悔しいから,しばらくお蔵入りして,だけどもう一度やるぞ.中にはもう一度やるぞで,ずっと解決のつかない問題もあります.
[植松] 将棋で,「困ったときは戦線を拡大しろ」と言われています.私も考えても分からない問題は,しばらく脳の奥にしまっておいて,発酵されるのを待つしかないと思っています.別の問題を解いているときに,「あ,これは使えるな」と思い,そのとき解けるというのはよく感じます.
[甘利] いまだに満足ゆく答えが出ないやつがいわゆる多端子情報理論で,この間亡くなりましたトビー・バーガーが私のところに来たときに問題を教えてもらい,面白いと思って,しかも簡単そうに思えてね.何遍も何遍も何遍もやりました.10年置きに一度くらい解いてみて,1か月くらい夢中になって.もちろん予備的というか補助的な研究で論文を書けるのですが,本物は落ちない.いまだに落ちていません.
[植松] あの問題は難しい問題で,いわゆる多端子の符号化問題と統計的推論を組み合わせた問題です.甘利先生も確か一部解かれていると私は思っています.
[甘利] 部分的には答えは出ているけどね.韓さんも随分一生懸命やって,今一番良い線出しているのは韓さんじゃないかな.
[植松] これも40年ぐらい解かれていない問題ですね.
[植松] 学際的な研究に移させて頂きたいと思います.情報幾何(図4)というのは正に新しい研究領域を生み出す挑戦だったと思っています.最初のアイデアはどのようにして生まれて,その後どのような議論やあるいは試行錯誤を経て,理論として確立されていったのか,情報幾何学の歩みについて教えて頂ければと思います.

[甘利] 情報幾何学らしきことを考えたのは修士の頃でね.当時統計学セミナーという,何か学部を超えて工学部,経済学部,医学部,農学部,このような人たちが集まって統計学のセミナーをしようということがあったのです.そこに出て行ったときに,その時代にちょうど,カルバックの「Information and Statistics」という本が出版されたのです.Kullback-Leibler(KL)divergenceをはじめ,それが統計学にどう役に立つかという本ですね.そのときに経済学部の大学院の学生だった竹内 啓,日本で一番確率・統計のできる人です.この人がこの本面白いので,このセミナーでみんなに話しましょうと言って一連のレクチャーを始めたのです.そこで確率分布と
の間の距離みたいなものをいわゆるカルバックライブラーのダイバージェンスで測るのですけど,
と
が近いときにはテイラー展開することによって,ダイバージェンスが二次形式になるのですね.その二次形式の行列が実はフィッシャー情報行列.これは統計学で一番使われている基本的な行列になるのだから,それをリーマン空間として見れば,確率分布の空間は実はリーマン空間なんだ,まあこういう話になったのです.それで修士の頃,単位の欲しい人はレポートを書いて出せと言われて,ちょうど微分幾何を勉強している最中だったので,確率分布として正規分布を取り上げて,正規分布は平均と分散がパラメータだから二次元の空間です.その間のリーマン距離,つまりフィッシャー情報量を計算する.これは簡単に達成され,測地線はどうなるのだ,更に曲率はどうなるのだという計算をやったのです.ところが驚いたことに曲率が至るところ-1/2と負の定曲率の空間になって,曲率が-1/2の空間というのは有名なボリアイ・ロバチェフスキーが非ユークリッド幾何を唱えたときに出てきた空間なのですね.こんなきれいな空間があるには,多分統計学上でもこの曲率は非常に大きな意味があるのだろう,こう考えたのですが,私の力では全く出てこなかったのです.しょうがないからこれもお蔵入りだけど,ずっと関心を持っていたのです.時代はそれから10年20年ぐらいたった頃,大学院の統計学をやっている修士の学生が,甘利先生,先生は何か曲率には意味があるぞとかぼやいてましたが,「統計学と曲率」という論文があるのですよ,とエフロンの論文を持ってきた.その論文を読んだところが難しくてさっぱり分からない.それで大学院の学生に統計学の講義をしてもらって,その問題を私なりに微分幾何の立場から極めてみたい.こう考えたのが2回目の出発点です.2年ぐらいかかりましたね.もうそればかりやってまして,その当時は碁とその問題ばかり考えたけど,何とかまとまってきたような気がして論文に書き上げました.それと同時に,あの竹内 啓さんがやってきて「おい甘利さん,お前が新しいことをやったと聞いた」と.統計の難しい話はその辺にいる統計学者は分からんだろうから,私がその真贋を判定してやると言うので,竹内 啓の前で話した.竹内先生が大いに気に入って「うん,これは面白い.新しい考え方だ」と.それで,日本では彼が広めてくれたんですよ.ところが,統計の大家コックスを竹内 啓が呼んで,甘利さん,コックスの前でちょっと話をしてやってくれと言たので,あの大コックス先生のところで話をしたら,コックスは不思議そうな顔をして黙って聞いてました.そしたら,2か月後に手紙が来て,統計学に確率の微分幾何を持ち込むというアイデアは,新しい方向を統計学に導くかもしれないから,国際的に吟味する必要がある.よってロンドンで国際ワークショップを開く.お前是非やって来いというので呼ばれて行きまして,そこで1週間にわたって情報幾何に関するいろいろな議論をしました.エフロンも来たし,ラオも来たし,名だたる統計学者が結構みんな来まして,私は統計の世界では大変ハッピーなスタートを切った.その後コックスが応援してくれて,統計の国際会議があると必ずコックスがレクチャーの講演者に推薦してくれて,結構国際会議でもしゃべるようになりました.この情報幾何というのは非常にハッピーなスタートを切ったと私はこう思っています.
[植松] 元は大学院の時代の統計学セミナーから話がスタートしていて,そのときにきれいな結果が出たけれどもよく分からなかったということでお蔵入りになって,その後エフロンの論文が出てきて,日の目を見たと考えてよろしいですか.
[甘利] ええ,そうですね.
[植松] 「碁を打って,合間,合間に考える」という先生の名言がございますけれど,ちょうどそれを実現されていたわけですね.
[甘利] 全くそのとおりで,当時,大学も大らかで1年2年,論文がなくても誰も文句言わないんですよ.今だと雑用が多い,論文を書かないといけない.大変な時代になりましたよね.
[植松] 本当に大らかな時代だったので,こういうことができたと思います.その後,竹内先生の御真贋にかなって,その後コックスに紹介して頂けたという幸運もあるのですね.
[植松] 情報幾何の考え方自身は,統計や機械学習のみならず,様々な分野にも広がりを見せていると思うのですが,先生自身はこの理論が今後どのような分野に応用されていくと期待されていますか.
[甘利] はい,作った初めは統計学の幾何学だったのですけれども,もっと広く情報と幾何を結ぶ何か新しいものが構築できる.名前を大きく付けた方がいいと言うので「情報幾何」.名を付けちゃった以上しょうがないから,私も頑張っていろいろな分野に広げようとしました.今一番はやっているのは機械学習ですよね.情報幾何は確率分布族の基本構造を解明するところから出発して作った理論だから,確率が出てくるところには何でも役に立つと思っています.いろいろな分野で確率と名の付くところにはどこでも出てくるのだろうと考えています.
[植松] 情報幾何学のような,いわゆる異分野の融合あるいは新しい分野を切り開く際に大きな勇気や柔軟性が要求されると思います.先生はどのような姿勢で取り組んでこられたのか,心構えがあれば是非教えて頂きたいです.
[甘利] これは難しいですが,私は数理工学,つまり数理的な手法を持って工学及び工学以外で諸問題を解明したい.そういう方向論がもっともっと広がるべきなのに,日本では数学と言えば純粋数学を頂点にしてずっと構築されてきたんです.だから数学者は数学の応用などというのは下の下と見ていた.この風潮を何とか正したい.数理で考える面白さというのは,別に純粋数学だけではなくて,いろいろな分野で全部そうなんだろう.こういう考えから何か大きな風潮を作りたい.こう思って研究を続けてきて,これが自分のアイデンティティというか大きなモチベーションになりました.今,時代が変わって数学者も変わって,やっぱり数理的な仕組みを調べるのは非常に大事なことなのだということがしっかり定着してきましたので,皆さんももっともっとやりやすくなってきた.こういうふうに思っています.
[植松] 数理で考えるというのが先生の基本になっているというのがよく分かりました.確かに1980年代の数学は純粋の方向に走っていたというのがありますね.最近の数学は,もっと実用化の方に対して目を向けないと駄目だという考え方に移ってきたので,今良い時代になってきたというのはよく分かりました,
今度は少し研究哲学のお話をして頂きたいと思います.これまで長年にわたって取り組んでこられた研究テーマはどのようにして見つけ出されたものなのでしょうか.それから良い研究テーマを見いだすために大切にされてきた視点とか考え方というのがもしあったら教えて頂きたいと思います.
[甘利] 情報幾何に関しては統計学セミナーです.別に統計学やりたいと思ってセミナーに出たのではないのだけど,単位がないと大学も卒業できない.意外と面白いアイデアに出会って,いろいろな人と議論ができるようになって,こういうふうに実ったということです.パーセプトロンにしても,たまたま当時はやっていて面白いのがあると言って論文を読んで,そのうちにその構想の大きさというか,これはもっともっと大きくなるのじゃないかと.そこから広がって,うまくいけば脳の仕組みの解明にまでいくんじゃないかと.そうすると自分の構想をどんどん広げたくなる.自分独自の考え方を中心に据えて構想を広げていく.こういうことでやっぱりその人の研究の,言わばライフワークができていくのかなと思っています.
[植松] 情報幾何については統計学セミナーがきっかけになっているし,バーセプトロンというのは当時の流行から始めたのだけど,実はその中には奥深いものがあるんじゃないかというのに気付かれて,脳の解明まで広く使えるんじゃないかというのに気付いて取り組んできたということですね.
[甘利] 研究しているときは無我夢中でよく分からないのだけども,何となくこの線をついていけばもっと奥深いところに行き着くのではなかろうかという勘ですよね.その勘がいつも正しいとは限りませんし,うまくいかない場合も多いのだけども,でもやっぱり自分の信じた道を行けるところまで突き詰める.これが大事だと思います.
[植松] 自分の信じた道を突き詰める,行けるところまで行くというのは大変名言だと思います.先生にとって良い研究というのはどのような研究でしょうか.例えば理論的な美しさとか社会的な意義であるとか,人の心を動かすものであるとか,あるいは自分の興味のあるものとか,どういった要素が大切だと考えられていますか.
[甘利] 今おっしゃったこと全部が大事だと思いますけれども,できれば大きな構想に発展するのが研究.研究の取っ掛かりはある特定の問題かもしれない.でもその方法を突き詰めていけば,実はそれを含むもっと大きな分野に発展していく.そういう研究が良い研究なのかなと思います.
[植松] 大きな構想に発展する研究っていいですね.
[甘利] 研究の始まりはやっぱり,ある意味小さい問題をうまく解くことから出るわけですよね.できればそれに止まらないでその先がずっと続く.そういう研究をしたいですね.
[植松] 優れた研究者になるために若いうちに心掛けておくべきことは何だと思うでしょうか.
[甘利] やっぱり研究は自由であるということ.つまり言われたことをやるのではなくて自分で面白いと思ったことをやる.自分自身の発想をやっぱり大切にすることが重要なんじゃないかな,こう思うのですよね.やっぱりいろいろ先生に言われたり,お前これちょっとやってみろと.そこからいい研究が広がることも当然ありますけれども,でも自分でやっぱりこれは面白い,これを追求してみたいと思ったことは,失敗しても失敗しても,それこそ1年2年お蔵入りしてもやっぱり頑張ってみる.この執念が必要なのじゃないか,こういうふうに思います.
[植松] 研究は自由で面白いものをやることが一番.自分の発想を大切にして,一度始めたら執念をもって追求するというのは非常に良いことだと思います.
[植松] 国際的に活躍するには,語学力やネットワークという実務的な面に加えて,どのような姿勢や準備が必要だと思いますか.
[甘利] これが難しい問題.私自身も成功したとは思えないけど,私は英語が下手くそなんですよ.英語で会議に出て,まくし立てられると,さっと即応できない.だから今の皆さんは私と違って英語力達者でしょう.そのときにやっぱり自分の言いたいこと信念を絶対に曲げないで,はっきり主張する.これが大切だと思いますね.
[植松] 先生の英語を聞いたことあるのですけど,先生は伝えようとされてますよね.自分の意図が伝わればいいんだという英語を話しているとお見受けしてるのですけど,いかがですか.
[甘利] いやまあそうですね.英語はコミュニケーションの手段ですから,やっぱり自分で言いたいこと,本当に言いたいことが相手に伝わればいい.こういうことでしょうね.
[植松] これからの時代ですね,研究者が果たすべき社会的な役割について,どういうお考えでしょうか.
[甘利] 私ね,無我夢中で自分の理論を好き勝手にやってきました.もし,みんなと連携できて,その技術的な実用化まで考えていたら,こんなにねAIで日本が取り残されることもなかったかもしれない.こういうふうに思います.だからもっと視野を広げて仲間を作って,自分の研究だけでない方向にも発展していく,ということが一つの方向だったのかな,というのが一点です.もう一点はやはり今のこのAIブームで,これひょっとすると人類の文明がおかしくなってしまうかもしれない.AIが進んでみんながAIに頼り過ぎれば,これは人間がどんどん馬鹿になっていく,ということですし,これは人類の家畜化に通じる道でもあるんですね.その前にAIを悪用する人,AIを戦争に利用する人,こういう人もどんどん増えてくるでしょうから,やはりこういう科学技術に携わる人はその自分の役割の社会的な帰結,社会的な責任というのをしっかりとわきまえていってほしい.こういうふうに思います.
[植松] 視点を広く持って仲間を作ってほしい,研究者は社会的な責任をわきまえる必要があるということですね.AIブームというのは,AIをどう使うかという方が問題になってくる.正しく在りたいと思う研究者としての意識の問題という理解でよろしいですか.
[甘利] いやそうですね.
[植松] 以上で私の方からお聞きしたいことの全てです.大変興味深く伺うことができました.本当にありがとうございます.
[植松] 最後に,これから研究を志す若い世代の方に向けて,一言メッセージをお願いします.
[甘利] はい,あの研究は自由です.好き勝手に自由自在に自分の信念を貫いてやって下さい.
[植松] 本日は本当にありがとうございました.甘利先生の御活躍と御健勝をお祈り致します.
| 対談の様子は,学会YouTubeチャネル https://www.youtube.com/@ieice6986 で御覧頂けます. | ![]() |
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