知識の森 グラフ信号処理

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Vol.108 No.12 (2025/12) 目次へ

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知識の森

画像工学研究専門委員会

グラフ信号処理

田中雄一(大阪大学)

本会ハンドブック「知識の森」

https://www.ieice-hbkb.org/portal/doc_index.html

1.グラフ信号処理とは

 ディジタル信号処理(1)は,音声や画像に代表されるディジタル信号の圧縮・伝送・保存等のために利用される.従来のディジタル信号処理は信号の「構造」がサンプリング周波数で自動的に決められていた.あるいは,自動的に決められると仮定していた.これは物理的なデータをA-D変換器で計測するという性質上,ある意味当然であった.この場合,ディジタル信号の信号値は等間隔で整列していることになる.

 一方で,信号が必ずしも整列しておらず,空間上に複雑・非均一に分布するデータを解析する需要も多い.このような複雑な構造を持つデータは,しばしば信号値間の関係がネットワークとして与えられる場合がある.ネットワークの代表的な例は,交通網や社会的ネットワーク,脳ネットワークである.このようなネットワーク上に存在する信号の場合,信号値間の関係は均一でないことが多い.ソーシャルネットワーキングサービスでのフォロワーの数が良い例である.

 ネットワーク上のデータを解析するために必要な信号処理技術がグラフ信号処理(2)(4)である.グラフ信号処理は,信号の定義域をネットワーク(グラフ)の頂点上に持つ信号(グラフ信号)を解析するための信号処理技術の一群であるのみならず,グラフニューラルネットワーク等の機械学習・AI技術の基盤理論でもある.誤解を恐れず言えば,グラフ信号処理は「信号の構造に対して何を知っていて,何を知らないのか」を起点とした,信号処理を再定義する試みの一環である.

 グラフとグラフ信号は様々な工学・科学分野で用いられている.例えば道路網はグラフであり,グラフ上の信号は車両の台数である.大脳皮質の機能領域と機能領域同士のつながりもまたグラフとして表され,脳波や脳磁図といった多チャネル信号はグラフ信号として見ることができる.ディジタル信号処理での代表的な研究対象である画像信号においても,各画素を頂点とし,画素間を辺で結ぶことで,画素値はグラフ信号とみなすことが可能となる.

 グラフ信号処理の目的は,それら様々なグラフ信号に対し,グラフフーリエ変換やフィルタリング,サンプリングなどの基盤技術を提供すると同時に,その応用としてグラフ信号の効率的な保存・伝送・解析手段を実現することにある.理論的な側面から言えば,グラフ信号処理は,グラフ理論―特にスペクトルグラフ理論(5)―の知見を,調和解析・信号処理へ統合していく過程であると言える(注1)

 本稿では,グラフ信号処理をできるだけ平易にかつ工学者に向けて解説する.

2.グラフとグラフ信号

2.1 グラフ

 グラフは頂点と辺から成るデータ構造であり,頂点間の何らかの相対的な関係を表すために用いられる.グラフの例を図1に示す.数学や計算機科学の分野ではグラフ理論は非常に古くから研究されていると同時に,今なお中心的なトピックである.

図1 Petersenグラフと呼ばれるグラフの例  円が頂点を,実線が辺を表す.

 グラフmathは頂点集合mathと辺集合mathmathを用いて以下で定義される.

math

(1)

 例として,代表的な物理的ネットワークである交通網を考えよう.このとき,交差点を頂点,道路を辺とすればグラフとして道路網が表現できる.同様に,鉄道網の場合には,駅を頂点とし,線路を辺とすれば鉄道網のグラフが表現できる.また,農場や工場の気温や気圧などの環境データを多数のセンサで計測し,データを集約する通信ネットワークを考える.この場合,センサを頂点,伝送ネットワークを辺とすれば,無線センサネットワークはグラフとして表現できる.ほかにも,様々なネットワークがグラフとして表現可能である.

2.2 グラフ信号

 グラフ信号は,グラフmathの頂点mathを定義域にもつ関数mathである.つまり,グラフ信号とは定義域を(時間軸上ではなく)グラフの頂点上に持つ有限長離散時間信号の一種である.直感的には,math次元ベクトルmathmath番目の要素mathが,頂点/mathに対応付けられていると考えればよい.模式図を図2に示す.

図2 グラフ信号の模式図  白円が頂点を,点線が辺を,黒の実線が信号値を表す(実線の長さが絶対値を表す:上が正の方向).

 任意の離散時間信号は適切にグラフを与えることでグラフ信号として捉えることができるが,直感的には,不均一な構造(分布)を持つ離散時間信号を想像すればよい.前項で挙げたグラフの例に対応させると,

交通網:交差点の車両数や駅の乗降客数

センサネットワーク:センサで計測された気温や気圧等の環境データ

がグラフ信号の例である.上記の例以外にも,社会的ネットワークや脳ネットワークなど,様々なネットワーク上のデータをグラフ信号として表現することができる.

3.グラフフーリエ変換

 グラフ信号の周波数解析には,グラフフーリエ変換が用いられる.グラフmathに対応するグラフ作用素(用語)を固有値分解すると正規直交固有ベクトルmathが得られる.このとき,頂点math上のグラフ信号mathに対するグラフフーリエ変換は,mathmathの内積として以下のように定義される.

math

(2)

mathmath番目のグラフフーリエ係数と呼ぶ.また,逆グラフフーリエ変換は以下で定義される.

math

(3)

 ここでグラフフーリエ変換の例を見てみよう.人工的に作成したセンサネットワーク上のグラフ信号を図3に示す.図3から,辺で接続された頂点同士の信号値は似通っていることが分かる.すなわち,グラフ上で信号値が滑らかに変動している.この信号のグラフフーリエ係数のエネルギーを図4に示す.図から分かるように,小さいmath(低グラフ周波数(用語))にエネルギーが集中している.つまり,グラフフーリエ変換を行うことでグラフフーリエ係数―グラフ信号のスペクトルの情報―から空間的な信号の特徴が理解できる.

図3 グラフ信号の例  人工的に作成した頂点数256のセンサネットワーク上の頂点に信号値を配置した.

図4 グラフフーリエ係数のエネルギー  横軸はグラフ周波数のインデックスを,縦軸はグラフフーリエ係数のエネルギー|x[i]|2を表す.

4.まとめ

 本稿ではグラフ信号処理に関する初歩的な事項の解説を行った.グラフフーリエ変換を基盤として,基礎的な構成要素としてグラフ信号のフィルタリング(2)やサンプリング(6)が,発展的な要素としてグラフウェーブレットフィルタバンク(7)やグラフ学習(8)がある.また,上記の構成要素を組合せることで,グラフ信号の修復や圧縮,分類,認識等も実現することができる.グラフニューラルネットワーク(9)の本質も訓練データを用いたグラフフィルタ係数の学習である.センサネットワークや脳情報データ解析をはじめとしてグラフ信号処理の応用は幅広い.興味を持った読者は文献(4)等を参照してほしい.

文     献

(1) https://www.ieice-hbkb.org/portal/01-2/01_09-2/(2025年10月確認)

(2) D.I. Shuman, S.K. Narang, P. Frossard, A. Ortega, and P. Vandergheynst, “The emerging field of signal processing on graphs : Extending high-dimensional data analysis to networks and other irregular domains,”IEEE Signal Process. Mag., vol.30, no.3, pp.83-98, Oct. 2013.

(3) A. Ortega, P. Frossard, J. Kovačević, J.M.F. Moura, and P. Vandergheynst, “Graph signal processing : Overview, challenges, and applications,”Proc. IEEE, vol.106, no.5, pp.808-828, May 2018.

(4) 田中雄一,グラフ信号処理の基礎と応用:ネットワーク上データのフーリエ変換,フィルタリング,学習,コロナ社,2023.

(5) F.R.K. Chung, Spectral Graph Theory(CBMS Regional Conference Series in Mathematics, No.92). American Mathematical Society, 1997.

(6) Y. Tanaka, Y.C. Eldar, A. Ortega, and G. Cheung, “Sampling signals on graphs : From theory to applications,”IEEE Signal Process. Mag., vol.37, no.6, pp.14-30, 2020.

(7) D.K. Hammond, P. Vandergheynst, and R. Gribonval, “Wavelets on graphs via spectral graph theory,”Applied and Computational Harmonic Analysis, vol.30, no.2, pp.129-150, March 2011.

(8) X. Dong, D. Thanou, M. Rabbat, and P. Frossard, “Learning graphs from data : A signal representation perspective,”IEEE Signal Process. Mag., vol.36, no.3, pp.44-63, 2019.

(9) M.M. Bronstein, J. Bruna, Y. LeCun, A. Szlam, and P. Vandergheynst, “Geometric deep learning : Going beyond euclidean data,”IEEE Signal Process. Mag., vol.34, no.4, pp.18-42, July 2017.

(2025年9月24日受付) 

――― 用語解説 ―――

グラフ作用素
:グラフを表現した行列.隣接行列やグラフラプラシアンが代表的である.辺に方向がない無向グラフの場合,グラフ作用素は対称行列となり,直交行列で固有値分解することができる.
グラフ周波数
:グラフ作用素の固有値.グラフラプラシアンの場合,小さい固有値が低グラフ周波数に,大きい固有値が高グラフ周波数に対応する.

(注1) (スペクトル)グラフ理論の研究対象は専らグラフ自体の解析が中心であり,グラフの頂点上に配置された信号の解析を行うことを主目的とするグラフ信号処理とは相補的な関係にある.


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