論文賞贈呈

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Vol.108 No.7 (2025/7) 目次へ

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2024年度 第81回 論文賞贈呈(写真:敬称略)

 論文賞(第81回)は,2023年10月から2024年9月まで本会和文論文誌・英文論文誌に発表された論文のうちから下記の12編を選定して贈呈した.

Reducing T-Count in Quantum Circuits Using Alternate Forms of the Relative Phase Toffoli Gate

(英文論文誌A 2025年1月号掲載)

受賞者 David CLARINO 受賞者 黒田将平 受賞者 山下 茂

 量子回路設計では,Shorの素因数分解アルゴリズムなどの量子アルゴリズムを,量子コンピュータで実行可能な演算列に変換する.エラー耐性量子コンピュータは,量子ビットに発生するエラーを,量子エラー訂正符号で訂正し,任意の量子アルゴリズムを実行できると期待されている.量子エラー訂正には多くの量子ビットが必要なため,エラー耐性量子コンピュータの実現には時間がかかる見込みだが,そのデバイス実現に向けて研究が進められている.量子コンピュータの研究では,デバイス自体の大規模化だけでなく,デバイスに搭載する量子回路の規模を削減する,設計最適化が重要な研究テーマとなっている.

 量子計算では,Toffoliゲートがよく用いられる.組み合せることによって量子ビットに対して任意の論理関数を実現できるためである.Toffoliゲートは,Sゲート,CNOTゲート,Tゲートなどの物理的に実現可能な量子ゲートを使って構築されるが,Tゲートは,Sゲート,CNOTゲートと比べ,実装コストが大幅に高い.したがって,量子回路設計の最適化では,Tゲート数の削減が重要な課題となっており,本論文の目的である.

 Toffoliゲートの代替として,相対位相Toffoliゲート(RTOF:Relative-phase Toffoliゲート)が提案されている.RTOFは,Toffoliゲートと同一の論理関数を,より少ないTゲートで実現可能である.しかしながら,RTOFは,入力量子ビットの値に応じて,出力量子ビットに位相変化を引き起こすため,Toffoliゲートを単純にRTOFに置き換えられない.本論文では,量子回路中のToffoliゲートをRTOFに置き換える際に発生する位相変化を,Sゲートの適切な追加などの工夫によって,Tゲートを増やすことなく,補正する方法を提案している.実験では,多くのベンチマーク回路に対して提案手法がTゲート数を大幅に削減できることが示されている.

 本論文は,量子回路設計の最適化に大きく貢献し,今後の展開も期待できることから,本会論文賞にふさわしい論文として高く評価できる.

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Introduction to Quantum Deletion Error-Correcting Codes

(英文論文誌A 2025年3月号掲載)

受賞者 萩原 学

 最優秀論文賞(第7回)に別掲.

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Double-Stack Erasure-Filled Channel and Level-By-Level Error Correction

(英文論文誌A 2025年3月号掲載)

受賞者 内川浩典 受賞者 萩原 学

 通信路符号化は情報通信システムの重要な基盤技術の一つであり,通信路の特性に応じた符号構成と復号法が求められる.同期(挿入,削除)誤り通信路に対する符号化は理論的及び実用上の観点から重要な研究分野の一つであり,多くの研究が行われている.

 本論文では,レーストラックメモリに対する通信路モデルを定義し,これに対する誤り訂正符号化を提案している.レーストラックメモリは磁性ナノワイヤにデータを保存する大容量メモリであり,データはナノワイヤを通じてアクセスポートに転送されて読み書きされる.しかし,このデータ転送プロセスには雑音があり,誤りを引き起こす可能性がある.著者らはレーストラックメモリアレーの構造を考慮し,削除誤りが発生したときにはレーストラックの終端において対応する個数の消失シンボルが読み出されるとする,新しい通信路モデルDouble-Stack Erasure-Filled(DSEF)通信路を提案している.

 著者らは,DSEF通信路の通信路容量と対称情報レートを導出し,高レートの領域では通信路容量と対称情報レートとの間には大きな差がないことを明らかにしている.DSEF通信路は四元入力七元出力通信路として定義されるため,優れた誤り訂正符号を構成することは容易ではない.著者らはこの通信路を二つの二元入力三元出力通信路に分解することにより,この問題を解決している.これにより,既存の二元符号を用いて適切な誤り訂正方式を構築できることを示している.更に,提案手法において二元LDPC符号を用いた場合の誤り率について数値例を与えている.

 レーストラックメモリアレーに対して新たな通信路モデルを定義し,通信路容量を明らかにするとともに,優れた符号化法を提案している本論文の応用上の貢献は高く評価される.また,情報理論や符号理論における重要な性質や定理を適切に駆使することにより,新しい通信路にも対応できることが示唆され,学術上の貢献も高く評価される.

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LLC共振制御を用いた電気推進電源によるホールスラスタ作動実験

(和文論文誌B 2024年3月号掲載)

受賞者 近藤大将 受賞者 張 科寅 受賞者 渡邊裕樹 受賞者 艸分宏昌

 人工衛星の軌道上ミッションの高度化により,電気推進機ホールスラスタ等の高性能化が求められている.複数電源から構成される電気推進電源は,電気推進機全体のうち,占める質量割合が大きく,小形軽量化が課題である.電気推進電源の中で最も大電力高電圧を扱うアノード電源は,電源損による発熱及びスイッチング雑音が大きくなりやすい.宇宙空間での排熱設計及び電磁適合性設計は小形軽量化の阻害要因でもあり,電源効率が重要となる.共振コンバータは,ソフトスイッチング特性を有し,高効率及び低雑音である特長から,将来のアノード電源として有望である.一方で,LLC共振コンバータは負荷変動により出力電圧特性が変化するため,電気推進のようにプラズマ負荷特有の放電電流振動への耐性が懸念される.

 本論文では,共振コンバータを試作し,JAXAが別途研究開発中であるホールスラスタとのかみ合わせ試験を行い,電源性能への影響について評価を行った.共振コンバータの仕様として,スラスタからの要求値(投入電力/出力電圧=1000W/300V)をコンバータ出力とし,入力電圧は,低軌道での使用が考えられる50Vバス(#1)と,小形衛星で使用されるバッテリーバス(24V~32V間で電圧変動する入力)(#2)を想定した2種類で検討した.いずれのコンバータも漏えいインダクタンスと共振コンデンサ共振点付近を動作点とするようLLC定数を設定した.試作器はスラスタ特有の入力電流トランジェント,電流振動がありながらも正常作動に成功し,研究開発中のホールスラスタとの適合性を確認した.電力効率については,試作器#1で最大95.2%,試作器#2で最大93.1%であった.本計測結果はアノード電源単体の効率であるが,電気推進電源の中で最も大電力を扱う電源であり,効率の大半を占めることを考えると,海外の電気推進電源と競合できる有望な電源となり得る.

 本論文では従来衛星で規定される電磁適合性に関して評価を行い,一部規格に逸脱が見られた.今後の人工衛星適用への課題として,フィルタ回路等の追加及び最適化が必要であることが明らかとなった.

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水中音響通信の厳しい二重選択性伝搬環境に有効な差動OFDM

(和文論文誌B 2024年3月号掲載)

受賞者 藤田太一 受賞者 橋本宏一 受賞者 吉村拓真 受賞者 久保博嗣

 近年,水中通信の実現に関する検討が活発化してきている.水中通信の活用先としては,科学データ収集や資源探索等に加えて,Beyond 5Gのカバレージ拡張のターゲットの一つとしても注目が高まりつつある.ここで,水中通信の実現に関しては,電波,光,音が候補として挙げられる.しかし,ある程度の通信距離を確保し,移動環境を想定すると,音波による水中音響通信(UWAC)が,現時点ではほぼ唯一の候補となる.

 UWACでは伝搬速度である音速が光速の20万分の1となるため,電波による無線通信と比較して,ドップラーシフトや遅延時間が非常に大きくなる.つまり,UWACでは,時間選択性を規定するドップラーシフト広がり,周波数選択性を規定する遅延時間広がりが極めて大きい,厳しい二重選択性伝搬環境への対応が重要な課題となる.この二重選択性への対応としては,Orthogonal Frequency Division Multiplexing(OFDM)が有力な技術である.しかし,OFDMにおいて二重選択性が厳しくなると,伝送路特性を推定するためのパイロットシンボル等の追加シンボルが増加し,情報伝送の効率が低下するという課題が発生する.

 本論文では,UWACの厳しい二重選択性伝搬環境に有効,かつ,情報伝送効率が低下しない差動OFDMを提案している.本差動OFDMの特徴は,(1)追加シンボルによる情報伝送効率の低下のない,OFDMのサブキャリヤごとに位相オフセットを与える技術,(2)伝搬環境の時間変動を高精度に予測できる多重遅延検波,(3)移動に伴うドップラー効果に起因する時間の圧縮と伸長を高精度に補償できる,並列処理にてあらかじめ既知の信号なくリサンプリング率を選択する技術,を提案・採用したことにある.加えて,本論文では,これらの技術を搭載した差動OFDMをソフトウェアモデムとして実装している.次に,簡易なUWACチャネルシミュレーションと浅海環境におけるUWAC移動実験により,本差動OFDMの有効性を明らかにしている.以上のことから,本会論文賞にふさわしい論文として高く評価できる.

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Traffic Reduction for Speculative Video Transmission in Cloud Gaming Systems

(英文論文誌B 2024年5月号掲載)

受賞者 石岡卓将 受賞者 福井達也 受賞者 藤原稔久 受賞者 成川 聖 受賞者 藤橋卓也 受賞者 猿渡俊介 受賞者 渡辺 尚

 近年,ネットワークの高度化に伴い,クラウドゲーミングシステムが注目されている.クラウドゲーミングシステムでは,ゲーム処理をクラウド上で実行し,ゲーム映像のみをユーザに伝送することで,場所を問わず高度なゲーム体験を実現する.ただし,ユーザの入力から映像が表示されるまでの応答遅延は,特に遅延に敏感なゲームにおいては没入感を損なう課題となる.この課題に対して著者らは,投機的クラウドゲーミングシステムを提案している.

 本システムでは,複数の入力パターンに対する予測フレームを投機的に生成して事前に送信することで,実際の入力に対応する映像をユーザ側で即座に表示する.これにより,ユーザ視点であたかも応答遅延がゼロであるかのような操作体験を実現する.しかしながら,入力パターン数に比例して投機的に処理する予測フレームの数が増えるため,トラヒック量の増加が顕著となる.また,予測フレーム群は分岐した複数の入力パターンに対して時刻的に並列に生成されるため,従来の差分符号化をリアルタイムに適用できず,各フレームを独立に送信する必要がある.

 本研究では,投機的映像伝送におけるフレーム間の冗長性に着目したタイル単位差分検出(tile-wise delta detection)を提案している.提案手法では,基準フレームと各予測フレームの類似度をpHash(perceptual Hash)で評価し,類似度の低いタイルのみを送信することで,差分符号化を用いることなくトラヒック量を削減する.市販の複数ジャンルのゲームにおいて10パターンの入力に基づく予測フレームを生成し,トラヒック量と映像品質(SSIM)を評価した結果,提案手法によって最大で約50%のトラヒック量削減を視認上の劣化を抑制しつつ達成できることが示された.

 本論文は,クラウドゲーミングにおける応答遅延の課題に対して,投機的処理という新たな視点を導入し,運用上の課題とその解決に向けた方向性を示すものであり,本会論文賞に値する成果であると考えられる.

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160 Gbaud超級デジタルコヒーレント通信用超高速ドライバ集積InP変調器

(和文論文誌C 2024年6月号掲載)

受賞者 尾崎常祐 受賞者 小木曽義弘 受賞者 山崎裕史 受賞者 橋詰泰彰 受賞者 長島和哉 受賞者 石川光映 受賞者 布谷伸浩

 増大する通信トラヒックに対応するため,ディジタルコヒーレント光通信システムの伝送容量の増加が求められている.高ボーレート化は,cost/bitや伝送距離の観点から,光通信システムの大容量化を実現する上で最も有用な手法として知られている.本論文では,高ボーレートな光伝送システムを実現するための最重要デバイスの一つである超高速なドライバ集積InP変調器(HB-CDM)に関する特性及び実現するための各要素部材の特性やその接続・実装方法について体系的にまとめられており,学術貢献度の非常に高い論文となっており,本論文賞にふさわしい論文と言える.

 HB-CDMは,高周波パッケージ,変調器チップ,ドライバの三つのキーコンポーネントから構成されている.超広帯域なHB-CDMを実現するために,高周波パッケージにはRFインタフェースとしてフレキシブルプリント基板を採用し,従来のリードピン型の表面実装型(SMT)パッケージで課題となっていた帯域制限を打破した.これにより,SMTに比べ30GHz以上のロールオフ周波数の改善に成功し,ロールオフ周波数は100GHz超を実現した.パッケージ内に実装される変調器及びドライバには,高速性に優れたn-i-p-n構造から成る差動容量負荷型進行波電極を有したInP変調器チップ(電気光学(EO)3dB帯域:≧72GHz)と,オープンコレクタ構成の4チャネル・リニアSiGe BiCMOSドライバIC(3dB帯域:≧95GHz)を用いた.また,広帯域性を実現するためには,変調器とドライバを接続するワイヤインダクタンスは小さいほど望ましいことを明らかにし,実際に100pH以下の低インダクタンスのワイヤによる接続を実現した.これらの技術を組み合わせることで,論文投稿時点での世界最大のEO3dB帯域90GHz超のHB-CDMを実証した.

 更に,本HB-CDMを用いて,論文投稿時点でのHB-CDMを用いたIQ変調実験としては最も高ボーレートなバックツーバック伝送での168 Gbaud偏波多重16直交振幅変調動作を実証し,本HB-CDMが160 Gbaud超級動作を前提とした次世代の1Tb/s/λ超級光伝送システムへ適用可能であることを示した.

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水蒸気を用いたALD-Al2O3欠陥低減と絶縁ゲート構造への応用

(和文論文誌C 2024年9月号掲載)

受賞者 尾崎史朗 受賞者 熊崎祐介 受賞者 岡本直哉 受賞者 中舍安宏 受賞者 多木俊裕 受賞者 原 直紀

 InPやGaN等の化合物半導体を用いた高電子移動度トランジスタ(HEMT: High Electron Mobility Transistor)は,高い飽和速度に加え,ヘテロ接合で誘起される二次元電子ガスにより高い電子密度と電子移動度が得られ,無線通信やレーダ用途で用いられるパワーアンプの高出力化と高周波化を両立できる.近年,HEMTの更なる高出力化に向け,Al2O3等の高誘電率膜を用いた絶縁ゲート型HEMTの開発が進められている.Al2O3は高い誘電率(~9.0),広いバンドギャップ(~7.0eV),高い絶縁耐圧(10-30MV/cm)を有するため,ゲート絶縁膜として有望な材料である.また,ゲート絶縁膜をHEMT等の高周波デバイスに適用する際には,ゲートとチャネル間の距離を短く保ち相互コンダクタンスの低下を抑制するため,極薄膜が求められる.そこで,Al2O3の成膜手法としては,膜厚の制御性に優れた原子層堆積(ALD: Atomic Layer Deposition)法が適している.

 本論文では,ALD-Al2O3の原料ガスであるトリメチルアルミニウム(TMA: Trimethylaluminum)に起因した炭素系不純物を低減するため,メチル基(-CH3)の酸化反応に着目し,酸素原料の残留不純物への影響を調査した.その結果,酸素原料としてO2プラズマを用いた際には,-CH3の酸化分解によってカルボニル化合物が生成し,ALD-Al2O3中に炭素系不純物が残留することを見いだした.一方,加水分解反応により-CH3を低減可能なH2O蒸気は,ALD後に水酸基(-OH)は生成するものの,過熱水蒸気を用いたH2O蒸気アニールを施すことで,Al-OHの脱水縮合反応を促進でき,新たなAl-O結合の形成により,酸素空孔等の欠陥低減に有効であることを明らかにした.これらの技術をALD-Al2O3を用いた絶縁ゲート型InP系HEMTに適用し,DC特性の向上に有効であることを実証した.以上のことから,本会論文賞に値する論文として高く評価できる.

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Millimeter-Wave Transceiver Utilizing On-Chip Butler Matrix for Simultaneous 5G Relay Communication and Wireless Power Transfer

(英文論文誌C 2024年10月号掲載)

受賞者 湯浅景斗 受賞者 井出倫滉 受賞者 加藤星凪 受賞者 岡田健一 受賞者 白根篤史

 5G通信技術は,世界中で研究開発が進められており,高速・大容量通信への応用が期待されている.しかし,5Gの周波数帯は電波の伝搬損が大きく,建物などの障害物による減衰の影響を受けやすいため,通信エリアのカバー範囲が十分でない.この問題を解決するため,アンテナ利得を高め,特定の方向に電波を集中させるビームフォーミングを活用したフェイズドアレー通信が重要である.また,通信範囲を広げ,安定した接続を維持するためには,中継機の大量配備が不可欠である.

 従来の中継機は内蔵アンプを利用して受信した電波を増幅し,目標となるユーザ端末(UE)に向けたビームフォーミングを行うことで,伝搬損を補償することが可能である.一方で外部電源が必要であり,電源配線の引き回しや定期的なメンテナンスが求められるため,運用コストの増大が課題であった.そこで無線電力伝送(WPT)を利用した無線給電型中継機が提案されている.WPTを導入することで,外部電源を不要とし,通信及び電力生成の全ての回路ブロックを一つのICに統合することが可能となる.従来の無線給電型中継機は,スイッチング型位相制御や外部位相器に依存しており,起動時にビームフォーミングを行うための制御が必要であった.本研究では,新たにバトラーマトリックスを導入し,±45°,±15°のビーム角に対応させることで,4方向の送受信を可能とする.更に送受信(TRX)と電力生成を同時に行うため,5G通信のカバレージ拡大と電力給電を実現するアプローチとして有望である.通信性能は28GHz 64QAM帯域幅100MHzを担保し,WPTの性能は,24GHzのWPT信号を用いて最大でRF-DC変換効率12.2%を達成している.

 本論文は,5G通信のカバレージ拡大と起動時における効率的な無線給電の実現を目的とした,無線給電型中継機を提案している.設置や運用の自由度が高まり,中継機の大量配備に適した実用性の高い技術となることから,本会論文賞にふさわしい論文として高く評価することができる.

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項目反応理論に基づく難易度調整可能な読解問題自動生成手法

(和文論文誌D 2024年2月号掲載)

受賞者 富川雄斗 受賞者 鈴木彩香 受賞者 宇都雅輝

 国際的な学習到達度調査であるPISAでは,数学的リテラシー,科学的リテラシーと読解力の三つの分野について調査を行っており,読解力が重要な能力の一つと考えられていることが分かる.読解力を育成するためには,与えられた文章に関する問題に解答する形式の読解問題を解く必要がある.しかし,多数の文章から多様な読解問題を作成するためには,大きな労力がかかるため,読解問題を自動生成する技術が必要とされる.

 これまでに,読解問題を自動生成する手法が多く提案されている.特に近年の深層学習や大規模言語モデルの発展に伴い,これらの技術を用いた読解問題の自動生成が実現されている.また,読解問題を解く学習者の能力に合わせた出題を実現するために,生成する問題の難易度を調整する自動生成手法についても提案されている.しかし,従来手法では読解対象の文章と解答を用意する必要があることと,学習者の能力と問題の難易度の対応が明確ではないという問題があった.

 本論文では,項目反応理論(IRT)を用いて問題の難易度を定量的に推定し,読解対象の文章から設定した難易度になるような問題と解答を生成する手法を提案した.このことにより,学習者の能力にあった読解問題を適応的に出題することを実現した.また,IRTを用いて難易度を推定するためには,多くの解答者による解答データが必要になるが,本論文では言語モデルを用いた精度の異なる質問応答システム(QAシステム)による解答によってデータセットを構築する手法についても提案している.これらの提案手法の有効性について,QAシステムを用いた評価と人間による評価を行い,設定した難易度に沿った出題がなされたことを確認している.また,学習者の能力を適切に推定し適応的な出題を実現したことも確認している.

 本論文で提案された手法は,従来手法に比べて問題生成の労力を小さくするとともに,学習者に対してより適切な問題を出題することを実現し,読解力の向上に資する非常に有用な研究である.そのため,本会論文賞にふさわしい論文として高く評価できる.

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VAEを用いた視覚-運動変換モデルによる多指ロボットハンドでのコップの把持運動制御

(和文論文誌D 2024年2月号掲載)

受賞者 松田 基 受賞者 片山 哲 受賞者 福村直博

 福村直博氏の研究室では,‘ひと’などの生体は視覚などの感覚器官から得た多くの感覚情報を統合して外界の情報を知覚し,それを基に柔軟な運動を行うことで,外界の状況に対処しています,と考えている.このような生体の脳の高次機能である感覚―運動情報統合の機能を計算論的神経科学の立場から理解する事を目指し,対象物認知の過程やその認知に基づく手や腕の運動を計測する心理物理実験を行っている.更に生理学的な知見も取り入れてそれらの情報処理機能を再現する数理モデルを構築することで,‘ひと’の持つ柔軟な情報処理の仕組みを探っている.更にその数理モデルを応用した,柔軟で人に優しいシステムの実現を目指している.(ホームページから抜粋)

 このような背景を持つ本論文は,ロボットによる障がい者のケアを想定し,その際に必要となる把持動作の獲得に特化した研究である.視覚によって得た情報を運動指令に変換するためのシステムを視覚用VAEと運動用VAEを用いることにより実現している.本研究の特徴は,把持のための特徴量をVAEの潜在変数として抽出する点,潜在変数の次元数を三つの動作,コップの把持問題がコップ直径,取っ手の長さ,把持タイプに対応付けた点にある.これにより,意味のある特徴が潜在変数により表現され,未知のコップ形状に対応するための把持姿勢の生成が可能となった.

 昨今の,「解くべき問題の特性を考えることなく,多数のデータをより複雑なモデルに与えて学習し,抽出される特徴量の汎化性に強く期待する傾向に偏りつつある機械学習」に対して著者らは警鐘を鳴らすとともに,問題の持つ特徴量の表現系をあらかじめ調査し,モデルに取り込むことで,特徴量の汎化性能を高め,かつ説明性を向上させることを示した点が高く評価できる.

区切


Agreement Loss:削減率に対して頑健なData Pruning Metric

(和文論文誌D 2024年4月号掲載)

受賞者 東 遼太 受賞者 和田俊和

 学習データを大幅に削減して効率的に高精度の深層学習モデルを構築することは,近年重要な研究課題となっている.Data Pruning(DP)は,学習後の精度を維持しつつ学習データセットを削減する手法である.DPの手法の多くは,学習サンプルの難しさをスコアとして測定し,そのスコア順にサンプルを選択するHardest-First Sampling(HFS)に基づいている.しかし,HFSでは高い削減率でランダム選択の精度を下回るという問題があった.これは,極端に難しいサンプルを偏って学習したモデルが,全サンプルから学習したモデルとは大きく異なる特徴空間を獲得するためである.

 この課題に対し,本論文では,削減率の増加に対して頑健な新しいデータ削減指標Agreement Loss(AL)が提案されている.ALは,元のデータセットを分割して学習させた二つの分類器の出力を利用する.具体的には,あるサンプルに対する二つの分類器の予測損失の加重和に,予測の一致・不一致に応じて正・負の符号を与えることでALのスコアとする.これにより,予測が一致しない極端に難しいサンプル(Noisy Hard)の優先度を下げ,予測が一致する程度に識別境界から離れたサンプルを優先的に選択する.更に,Noisy Hardの判定に予測の確信度を導入することで,そのサンプルの割合を調整可能とする拡張も図られている.

 複数の画像分類データセットを用いた実験により,ALに基づくDPは,高い削減率においてもその有効性が顕著であることが示されている.また,データセットを分割して二つのモデルで学習させることの有効性や,ALのパラメータ設定が精度に与える影響についても詳細な分析が行われている.深層学習における重要な課題に対して合理的かつ独創的な解決策を提供する本研究の貢献は大きく,本会論文賞にふさわしい論文として高く評価できる.

区切


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