本会ハンドブック「知識の森」
1. 音場再生・制御とは
音場再生・制御とは,複数のスピーカを用いて空間内に所望の音の物理量(音圧や粒子速度など)の連続的な分布を作り出すための技術分野である.ある空間内に,別の場所の音場を再現することや,望ましくない音を抑圧し,望ましい音を強調することなどを目的としており,音のバーチャルリアリティ(1),室内の残響などの音響調整(2),音のゾーニングによるパーソナル音響(3),騒音抑圧(4)などへ応用されている.
このような技術は1960年代頃から議論されてきたが,より具体的な理論体系として整備されたのは2010年代以降であるため,以前の記事(5)からの進展が大きく,応用分野も広がりを見せている.これには市販の計算機や入出力装置を用いて,多チャネルの音響信号を容易に取り扱うことが可能となったことが大きい.その後,統計的信号処理や数理最適化などの技術を取り入れる形で発展し,最近では機械学習の分野においても大きな注目を集めている(6).
2. 音場再生・制御技術の基本的枠組み
音場再生・制御技術の基本的な枠組みを解説するため,図1に示すように,三次元空間内の対象領域の内部おいて,外部に配置した
個のスピーカ(以降,二次音源と呼ぶ)を用いて,所望の音場を合成することを考える.周波数領域における既知の所望音圧分布を
と表す.ただし,
は位置ベクトル,
は角周波数である.読者の中には,二次音源の位置
における所望音圧
を,各二次音源から出力すればよいと思われる方もいるかもしれない.しかしこのような単純な方法では,所望音場の音の到来方向とは逆方向の二次音源からも音が出力されることになり,合成音場は所望音場と一致しない.音場再生・制御を実現するには,所望音場を合成するための二次音源の駆動信号を得る,一種の逆問題を解く必要がある.
二次音源の駆動信号を,二次音源から位置
までの伝達関数を
とすると,合成音場
はこれらの重ね合わせとして,以下のように表現できる.
以降,角周波数は省略して表記する.今,所望音場
は既知としているので,
が
に一致するような駆動信号
を求めればよいことになるが,その方法は解析的アプローチと数値的アプローチの二つに分類できる.

2.1 解析的アプローチ
解析的アプローチは,音場の境界値積分表現に基づく.対象領域を内部に含む領域をとし,二次音源が
の境界面
に連続的に分布していると仮定する.
内の音源を含まない任意の音場は単層ポテンシャル(Single-layer Potential)と呼ばれる以下の式で表現できることが知られている(7).
ここで,はモノポール(点音源)の伝達関数であり,
は密度と呼ばれる.したがって,式(2)に基けば,二次音源を点音源として近似できる場合
,
上に密に配置した二次音源を
として駆動することにより,任意の音場が合成できることになる.しかしながら,
の解析的表現が得られるのは,
が平面や球面のような単純な形状の場合に限られる(8).
を平面とした場合,式(2)は第1種レイリー積分と呼ばれる式に帰着され,波面合成法(Wave Field Synthesis)と呼ばれる手法に対応する.
を球面とし,音場の球波動関数展開表現(7)を用いた場合には,高次アンビソニックス(Higher-order Ambisonics)呼ばれる手法と等価な式が得られる.対象領域を二次元平面とし,直線あるいは円形の二次音源分布を用いる近似法なども検討されている.
単純な形状の二次音源分布や自由空間の仮定から,実用性の高いアプローチとは言えないものの,解析的表現を用いた様々な理論解析が可能となる.
2.2 数値的アプローチ
数値的アプローチでは,合成音場の誤差最小化に基づき二次音源の駆動信号を得る.多くの場合,以下のように内での二乗誤差が最小化されるように
を求める.
しかしながら,領域積分によってこの最小化問題をこのままの形で解くことは難しく,何らかの形で目的関数を近似することが必要となる.最も単純な方法は,
を離散化し,各離散点(制御点と呼ぶ)における音圧が所望の音圧と一致するように
を求めるというものであり,音圧マッチング(Pressure Matching)法と呼ばれる.音場の境界値積分表現に基づけば,制御点を対象領域の境界面上のみに配置すればよいように思われるかもしれないが,この場合は禁止周波数の問題によって解が一意に得られない周波数が生じるため,
内部にも制御点を配置することが必要となる(9).また,
と
を球波動関数展開によって近似する方法もよく用いられ,展開係数が所望のものと一致するように二次音源信号を求める,モードマッチング(Mode Matching)法と呼ばれる手法に帰着する.これらの手法を一般化し,より精度の高い近似を行う,重み付き音圧マッチング法,重み付きモードマッチング法も提案されており,これらの手法間の理論的な関係についても明らかになっている(10).
数値的アプローチは,解析的アプローチと異なり,任意に配置した二次音源を用いることや,残響環境下においても適用可能であることから,より実用性の高い手法と言えるが,二次音源や制御点の配置によっては数値的な不安定性に対処する必要がある.
3. 音場再生・制御の発展的話題
音場再生・制御を空間音響再生技術として見れば,従来のステレオ/サラウンド方式やバイノーラル再生技術に比べて,広い受聴領域を実現できるという優位性がある.しかしながら,再現可能な周波数の上限が,二次音源の数・配置と対象領域の大きさによって決まり,それ以上の周波数においては空間エイリアシングと呼ばれる誤差が生じることが知られている.二次音源配置を最適化する手法(9)なども検討されているものの,現実的なシステムでは利用できるスピーカ数は限られており,可聴域全体で精度を高く保つことは困難である.よって,高周波数帯域では知覚特性に基づいて近似する手法などが検討されている.例えば,高周波数帯域では両耳の位相差よりも振幅差が音像定位のための優位な手掛かりとなることが知られているため,位相分布を任意として振幅分布のみを所望の分布と一致させる手法などが提案されている(11).
複数の対象領域において,異なる音場を合成する,マルチゾーン音場合成(3)も注目されている応用技術の一つである.近接した複数の領域で別々の音を再生することで,車室内におけるパーソナル音響再生などへの応用が期待されている.
また,外部から到来する騒音を二次音源の信号を用いて抑圧する,アクティブノイズコントロール(ANC : Active Noise Control) 12)にも応用が広がっている.従来のANCでは,誤差マイク位置において騒音パワーが小さくなるように適応フィルタを更新し,二次音源信号を得ていたため,局所的な領域においてのみ騒音が低減可能であった.空間ANC(13)では,対象領域内の音圧分布を誤差マイク信号から予測し,内部の音響ポテンシャルエネルギーが小さくなるように二次音源信号を得ることで,対象領域全体に渡って騒音を低減可能となる.
音場再生・制御の技術は,複数のセンサを用いて音場を推定・解析する技術とも表裏一体の関係にあり,近年の機械学習を用いた音場推定技術の発展は目覚ましい(14).これに伴い,機械学習技術を更に取り入れる形での発展や,様々な知覚特性を考慮した音場再生・制御技術の発展が今後も期待される.
文 献
(1)S. Spors, H. Wierstorf, A. Raake, F. Melchior, M. Frank, and F. Zotter, “Spatial sound with loudspeakers and its perception : A review of the current state,” Proc. IEEE, vol. 101, no. 9, pp. 1920-1938, 2013.
(2)S. Cecchi,A. Carini, and S. Spors, “Room response equalization―a review,” Applied Sciences, vol. 8, no. 1, 2018.
(3)T. Betlehem, W. Zhang, M.A. Poletti, and T.D. Abhayapala, “Personal sound zones : Delivering interface-free audio to multiple listeners,” IEEE Signal Process. Mag., vol. 32, no. 2, pp. 81-91, 2015.
(4)P.N. Samarasinghe, W. Zhang, and T.D. Abhayapala, “Recent advances in active noise control inside automobile cabins : toward quieter cars,” IEEE Signal Process. Mag., vol. 33, no. 6, pp. 61-73, 2016.
(5)https://www.ieice-hbkb.org/files/ad_base/view_pdf.html?p=/files/02/02gun_06hen_07.pdf (2025年8月確認)
(6)S. Koyama, E.D. Sena, P. Samarasinghe, M.R.P. Thomas, and F. Antonacci, “Past, present, and future of spatial audio and room acoustics,” Proc. IEEE Int. Conf. Acoust., Speech, Signal Process. (ICASSP), Hyderabad, April 2025.
(7)D. Colton and R. Kress, Inverse acoustic and electromagnetic scattering theory, springer, New York, USA, 2013.
(8)小山翔一,“音場再現技術における数理問題:波面合成・高次アンビソニックスの数理(〈小特集〉近年の音響信号処理における数理科学の進展),”音響誌,vol. 68, no. 11, pp. 584-589, 2012.
(9)S. Koyama, G. Chardon, and L. Daudet, “Optimizing source and sensor placement for sound field control : An overview,” IEEE/ACM Trans. Audio, Speech, Lang. Process., vol. 28, pp. 686-714, 2020.
(10)S. Koyama, K. Kimura, and N. Ueno, “Weighted pressure and mode matching for sound field reproduction : Theoretical and experimental comparisons,” J. Audio Eng. Soc., vol. 71, no. 4, pp. 173-185, 2023.
(11)K. Kimura, S. Koyama, and H. Saruwatari, “Perceptual quality enhancement of sound field synthesis based on combination of pressure and amplitude matching,” Proc. IEEE Int. Workshop Appl. Signal Process. Audio Acoust. (WASPAA), Oct. 2023.
(12)https://www.ieice-hbkb.org/files/ad_base/view_pdf.html?p=/portal/wp-content/uploads/2024/08/k107_8_828.pdf (2025年8月確認)
(13)小山翔一,“空間アクティブ騒音制御の基礎―点の制御から領域の制御へ―(〈小特集〉アクティブ制御の今),”音響誌,vol. 80, no. 5, pp. 274-281, 2024.
(14)S. Koyama, J.G.C. Ribeiro, T. Nakamura, N. Ueno, and M. Pezzoli, “Physics-informed machine learning for sound field estimation : Fundamentals, state of the art, and challenges,” IEEE Signal Process. Mag., vol. 41, no. 6, pp. 60-71, 2025.


