2-1 応用研究に取り組む通信系の研究所(株式会社NTT ドコモ)

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Vol.103 No.2 (2020/2) 目次へ

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2. 応用技術の通信の「仕事」─基盤技術から生まれる応用技術─ 2-1 応用研究に取り組む通信系の研究所(株式会社NTT ドコモ) 松村祐輝 5G無線アクセス技術の国際標準化

松村祐輝 (株)NTTドコモ5Gイノベーション推進室

Yuki MATSUMURA, Nonmember (5G Laboratories, NTT DOCOMO, INC., Yokosuka-shi, 239-8536 Japan).

電子情報通信学会誌 Vol.103 No.2別冊 pp.208-211 2020年2月

©電子情報通信学会2020

01 は じ め に

 NTTドコモでは,2020年春に第5世代移動通信システム(5G)の商用サービス開始を予定している(1).NTTドコモは通信事業者であり,国から割り当てられた周波数の電波を用いて,お客様に移動通信サービスを提供している.また,世界に先駆けた移動通信システムを創り上げるため,研究開発にも力を入れている.研究開発の一環として,移動通信システムの国際標準化にも貢献している.

 近年の移動通信システムは,国際標準化されることが多い.標準化とは,異なるメーカの製品間で相互運用を可能とするため,業界内で統一規格を作成する取組みであり,移動通信システムでは,周波数,無線技術,通信手順や信号インタフェースなどを統一化する取組みが該当する.標準仕様に従って端末を製造すれば,国内で使用しているスマートフォンを,海外に持って行っても,現地のネットワークに接続して使用できる.また,同一規格の製品を世界中で製造することで,端末や基地局装置を共通化でき,価格を下げられる.

 本稿では,通信事業者として,5G無線アクセス技術(NR: New Radio access technology)の国際標準化に携わっている筆者の立場から,通信系の応用技術の研究の中で,特に5G NRの国際標準化の仕事を紹介する.

02 5G NR国際標準化の仕事

 仕事の内容を理解して頂くために,5G NRが目指す世界と,移動通信システムの標準化活動を行っている3GPP(3rd Generation Partnership Project)における標準仕様策定方法について述べる.

2.1 5G NRが目指す世界

 5G NRにより,臨場感のある遠隔スポーツ観戦や,建設機械の遠隔操作,遠隔医療検診,などの様々な移動通信サービスの実現が期待できる(1)図1に5G NRが目指す世界を示す.5G NRでは,最大データレートや通信遅延,端末同時接続数などで,高い目標を掲げている.これらを同時に満たすのは難しいが,5G NRでは利用形態ごとに選択的に性能向上を行うため,三つの利用形態を想定して要求条件が設定された(2).高速・大容量端末は,基地局から端末へのダウンリンクの最大データレートが20Gbit/s,端末から基地局へのアップリンクの最大データレートが10Gbit/sである.また,高信頼低遅延端末は,無線区間の通信遅延1ms以内,ブロック誤り率(BLER: BLock Error Rate)10-5で,32バイトのユーザデータを送受信する.多接続端末は,1km2当り100万端末接続を可能にする.

図1 5G NRが目指す世界

2.2 3GPPにおける標準仕様策定方法

 第1世代,第2世代の移動通信システムは,国や地域ごとに独自規格が開発されたので,異なる規格間の互換性はなかった.国際標準化を行う利点が注目され,第3世代の移動通信システム(3G)の国際標準化のために,3GPPが1998年12月に発足した.3GPPは,移動通信システムにおける,世界最大の標準化団体である.3GPPにおいて,3Gの標準化が完了した後,第4世代移動通信システム(4G,またはLTE: Long Term Evolution)や,5Gの標準化が行われている.

 筆者は,3GPPにおいて,各企業が直接参加して技術仕様の策定作業を行う技術仕様化グループ(TSG: Technical Specification Group)のうち,特に物理層(通信機能を階層構造に分割したモデルであるOSI(Open Systems Interconnection)参照モデルにおける第1層)の無線アクセスネットワーク(RAN: Radio Access Network)技術の国際標準化を行うワーキンググループ(WG: Working Group)のTSG-RAN WG1に参加している.TSG-RAN WG1では,1年に約6~7回の会合を行い,標準仕様化に必要な合意事項を取り決める.合意事項に従って,およそ1年半ごとに,一つの標準仕様書を完成させる.(この期間を,一つの標準仕様書のリリース期間と呼ぶ.)会合は,アジア,ヨーロッパ,北米の持ち回りで開催される.開催期間は,1会合当り5日間程度で,大規模なホテルなどの会議室で行う場合が多い.図2に,2017年10月の3GPP TSG-RAN WG1会合の様子を示す.部屋の数か所にスタンドマイクが置かれ,発言を希望する者は,挙手をして議長から指名されるのを待ち,指名されると発言権を得る.発言が終わると,議長が次の発言者を指名し,順次各企業の担当者が発言する.議論が白熱すると,スタンドマイクの周りに,人だかりができる場合もある.

図2 3GPP TSG-RAN WG1会合

 3GPPでは,基本的に全会一致による意思決定が行われる.各社は意見や懸念を自由に発言でき,中央のスクリーンに表示される提案に対して,反対者がいなくなるまで議論が続けられる.オンラインと呼ばれる全社が参加する公式の会議の場において,全社が合意すると提案が合意される.このほか,オフライン議論と呼ばれる,いわゆる「根回し」に近い非公式な議論を行うこともあり,この場で各社の主張をすり合わせていく.1回の会合の中で,オンラインとオフライン議論を何度も繰り返しながら,標準仕様化に必要な合意をしていく.ここで,無言でいることは同意とみなされる.したがって,提案内容に懸念があれば,反対意見を述べなければいけない.反対意見を述べる場合は,反対理由を論理的に示す必要があるが,もし1社だけが反対し,残りの全社は賛成している状況では,反対し続けることは難しい場合がある.会議の前に,各社の主張を分析し,自社提案に賛成してくれそうな企業を見極めることも重要となる.

 TSG-RAN WG1では,1会合当りおよそ2,000件の寄書(提案書)が提出される.全ての寄書をオンラインの会議時間内に取り扱うことはできないので,議長が指定した一部の寄書が取り扱われ,各社はその寄書の提案に対して質問,コメントをして意見を表明する.その場で全社が合意すれば,寄書の提案が合意されるが,TSG-RAN WG1会合では,提案内容がそのまま合意されることは少ない.各社から様々な意見が出ると,会議室の外でオフライン議論を行うことになる.

 オフライン議論により各社の提案内容をすり合わせ,提案を修正した後,再度オンラインで議論する.また,近年は会議の効率化のため,細分化した技術分野ごとに,議長がリーダーを任命し,各リーダーがそれぞれの技術分野のオフライン議論を取りまとめる場合もある.リーダーは,自分の担当する技術分野の全社の寄書を読み,論点を整理し,それぞれの論点について各社の主張を整理する.会合中は,リーダーを中心に,eメールや対面でオフライン議論が行われる.

03 国際標準化の社会との関わり

 通信事業者は,自社のネットワークでお客様に移動通信サービスを提供しているので,お客様から直接御指摘や御要望を頂く機会も多い.また,自社のネットワークを運用する立場から,運用上の課題も知ることができる.得られた知見を生かして,将来目指すべき移動通信システムの方向性を検討し,提案することができる.提案した技術は,標準仕様に採用されることで,より多くのお客様に提供できる.例えば,LTEの標準仕様で採用された緊急地震速報を端末に瞬時に通知する機能は,地震や津波など,自然災害の多い日本特有の課題に対し,日本の企業が中心となって,標準化を提案したものである.標準仕様に採用されることで,多くのお客様が携帯する端末に,地震発生の情報を瞬時に通知でき,お客様に安心安全を提供できる.

 一方,標準化された技術の全てが実際のネットワークで利用可能というわけではない.標準仕様に採用された機能は,標準化会合で機能ごとに必須機能と選択機能に分類される.必須機能に分類された機能は,全ての端末が実装しなければならないが,選択機能に分類された機能を実装するかどうかは,端末メーカの自由である.例えば,ある機能がないとシステムが動かないような重要な機能は必須機能になるが,それ以外は選択機能になる場合が多い.端末メーカは,世界中の通信事業者や基地局メーカのニーズも考慮し,どの選択機能をいつ実装するかを決定する.通信事業者は,特に選択機能について,自社のネットワークでお客様に提供したい機能を端末メーカや基地局メーカに実装してもらえるよう,働き掛ける.しかし,自社では必要だと思っていても,世界の主流とは異なる機能を開発すると,開発コストが高くなり,通信コストの増加につながるので,他社の動向を調査し,選択機能のどの機能が「事実上の世界標準」になるかを見極めていくことも重要である.

04 国際標準化の中での発見

 筆者が標準化の業務に携わり始めたのは,2015年からであった.翌年に始まる5G NRの技術検討期間(Study Item)に向けて,シミュレーション環境を構築することろから,最初の標準化の業務がスタートした.学生時代に簡単なシミュレーションを経験していたものの,標準化議論で用いるシミュレーション諸元や評価条件の多さに驚いたことを記憶している.

 標準化議論では,各社の提案技術を公平に比較するために,評価諸元を議論し決定する場合がある.まず,想定する環境が都市部なのか郊外なのか,セル半径(基地局の設置密度)は幾つか,などを議論し,その環境において想定する評価諸元を決定する.評価諸元は,端末と基地局それぞれのアンテナ数,アンテナ利得,アンテナの高さや,データトラヒックモデル,端末配置など,多岐にわたる.

 構築したシミュレーション環境を用いて,5G NRの送信フレーム構成の検討を行った.これは,時間,周波数領域のデータ割当の最小単位を決定するもので,搬送波周波数帯ごとの特性の影響を確認しながら決定する必要がある.高周波の5G NR伝搬路モデルや,5G NR評価諸元の標準化議論が完了してから評価や検討を開始したのでは標準化スケジュールに間に合わないので,5G NR伝搬路モデルや評価諸元の標準化議論の結果を見ながら,シミュレータを更新し,評価結果を更新する必要があった.2016年4~8月の会合で,送信フレーム構成の検討結果を寄書に入れた.会合ごとに,評価諸元が更新されていく中で,どの会社も評価結果を更新しながら標準化議論を支えていた.筆者も,自分の評価結果が,今後10年程度は使われるであろう5G NRの送信フレームの決定に影響する,責任ある仕事をしていると実感したことを覚えている.

 その後は,端末から基地局に報告するアップリンクの制御情報(例えば,ダウンリンクのデータの肯定・否定応答や,端末が測定した通信品質情報など)の送信方法の検討に従事した.LTEでは,アップリンクの制御情報は14シンボルで送信され,データシンボルと復調用参照信号シンボルは時間分割多重され,それぞれピーク対平均電力比(PAPR: Peak to Average Power Ratio)の小さい送信信号波形が用いられた.5G NRでは,低遅延でアップリンクの制御情報を報告するため,最小1シンボルでアップリンクの制御情報を送信しなければならない.直交周波数分割多重(OFDM: Orthogonal Frequency Division Multiplex)を用いれば,データと復調用参照信号を周波数分割多重により1シンボル内で多重して送信できるが,OFDMでは一般的にPAPRは大きくなり,電力増幅器の線形性を保てる送信電力は限定される.そこで,筆者らは1シンボル内でアップリンクの制御情報を低いPAPRで送信する方法について検討した.複数の低いPAPRな送信信号系列を端末に割り当て,端末がアップリンクの制御情報に応じて送信信号系列を選択する方法(3)を提案した.当時,五つ以上の方法が標準化に提案され,その中から一つに絞る議論になった.それぞれの提案に良い部分があり,公平に比較するため,どの観点で比較をすべきかを検討した.提案した手法は,ビット誤り率やリンクバジェット計算によるカバレージ比較では他の提案より良い特性を示したが,端末多重容量では他の提案の方が良かった.それらを公平に比較した結果に基づき,他社担当者と議論した.その結果,筆者らの提案は,5G NRの上り制御チャネルの標準仕様に採用された(4)

 2017年11月の会合のオフライン議論の様子を図3に示す.この会合は,5G NRの初期リリースの標準仕様決定のための最後の会合であったため,決定すべき事項が多く,毎日深夜まで議論が続いた.同時並行で10を超えるオフライン議論が行われ,当然のように部屋が不足したので,誰かが持参したプロジェクタを使って,廊下の壁に投影して議論した.皆で一つのものを創り上げていこうという雰囲気があり,まるで文化祭の前日に,クラスのメンバーと準備を行うような一体感があった.図4は,同じ技術分野の他社担当者と,会合後に撮影した写真である.会合期間中は,朝から晩まで,同じ技術分野の他社担当者と議論を行った.

図3 3GPP会合のオフライン議論

図4 3GPP会合後に他社担当者と

 標準化の仕事を経験した筆者が,その経験を通じて学んだことがある.標準化会合の場では,各社の提案がそれぞれ良い面と悪い面がある.各社の提案の利点,欠点を公平に分析,比較し,他社提案とも真摯に向き合いながら,技術的な観点でより良いシステムを作り上げていく姿勢がまず重要であることを学んだ.また,標準化会合では,基地局メーカ,端末メーカ,通信事業者,大学や研究機関など,様々な立場の参加者がいる.時には,それぞれの利害が対立することがあるが,自社の主張をするだけではなく,他社の主張や懸念に誠意を持って向き合うことの重要性も学ぶことができた.今,世界は多くの競争にさらされているが,この相互理解,相互尊重の考え方は,標準化の仕事だけではなく,他者,他企業と仕事を進め,世の中を進歩させていくためには,極めて重要であると実感した.

05 お わ り に

 本稿では,通信事業者として,5G NRの国際標準化に携わっている筆者の立場から,5G NRの国際標準化の仕事を紹介した.

文     献

(1) 吉澤和弘,“5Gでより豊かな未来を,”(株) NTTドコモ,Oct. 2018,
http://www.soumu.go.jp/main_content/000579866.pdf

(2) ITU-R M. 2083, “IMT Vision-Framework and overall objectives of the future development of IMT for 2020 and beyond,” Sept. 2015.

(3) Y. Matsumura, L. Wang, K. Takeda, and S. Nagata, “5G new RAT uplink control channel for small payloads,” proc. IEEE International Conference on Signal Processing and Communication Systems (ICSPCS), Dec. 2017.

(4) “NR; Physical channels and modulation,” TS38.211, ver.15.5.0, sect.6.3.2.3, p.29, 3GPP, March 2019.

(5) 3GPP RAN WG1 Chairman, “Status Report for RAN WG1 to TSG-RAN#84,” RP-190777, 3GPP TSG RAN#84, Dec. 2017.

(2019年6月27日受付 2019年7月17日最終受付) 

松村 祐輝

(まつ)(むら) (ゆう)()

 平24東北大・工卒.平26同大学院修士課程了.同年(株)NTTドコモ入社.以来,5G無線アクセス技術の研究開発に従事.平29から,3GPP TSG-RAN WG1標準化会合に参加.


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