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解説
障がい者スポーツを支える技術開発
――東京パラリンピックを振り返る――
Development of Technology to Support for the Para Athletes: Tokyo Paralympics in Review
A bstract
本稿では,スポーツ庁の下で進められたハイパフォーマンスサポート事業パラリンピック研究開発プロジェクトにおいて,パラ水泳選手を支援する技術開発を行った取組みを紹介する.この支援は当初,視覚障がい水泳選手のためのトレーニング用具開発から始まった.開発はリオデジャネイロパラリンピック以前の2014年から継続して行われ,東京2020では知的障がい水泳選手も対象に加わったが,全てのサポートにおいて「聴覚」が支援技術として用いられた.この本邦における障がい者水泳競技に対する工学的支援について紹介したい.
キーワード:パラリンピック,視覚障がい,知的障がい,聴覚フィードバック
パラスポーツが厚生労働省の管轄から文部科学省に移管されたのは2014年のことであるが,その法的根拠は2011年に制定された「スポーツ基本法」(1)にある.これによって,法律施行後の2014年以降,それまでオリンピックスポーツのみが支援対象であった事業がパラスポーツにも拡充された.ハイパフォーマンスサポート事業と呼ばれるこの事業には,アスリートの直接的サポート(メンタル・栄養・フォームや試合の映像分析など),本大会時の現地支援拠点(ハイパフォーマンスサポートセンター)の運用などに加えて,選手やコーチ・アナリストを支える技術開発も含まれる(2).筆者の在籍する慶應義塾大学SFC研究所はこの技術開発に2014年以降関わってきた.リオデジャネイロパラリンピック及び東京パラリンピックに向けた機器開発のうち,パラ水泳選手の中でも視覚障がい水泳選手のパフォーマンスを向上させるための技術開発を担当した.その後,対象選手には知的障がい水泳選手も加えられたが,本稿ではその技術開発を紹介するとともに,障がい者スポーツ全般に対する技術支援の在り方について自論を展開したい.
視覚障がいのクラスを持つパラスポーツには水泳以外にも陸上,自転車,ブラインドサッカーなどが存在する.これらの視覚障がいスポーツでは健常者とともに走る・乗る場合には健常者からの声掛けや,「きずな」と呼ばれる帯状のたすきなどによる情報提供が行われる.ブラインドサッカーでは,音の鳴るボールを用いながら健常者であるキーパーの声による指示によって試合が成立している.したがって,視覚に障がいがあるスポーツの場合には,聴覚と触覚のフィードバックによってのみ競技は成立している.当たり前のことであるが,これは下肢切断といった障がいの場合,下肢そのものを代替する義足によって「失われた機能そのものを補う」ものとは大きく異なると言える.翻って水泳において,競技中の選手への情報提供がどのように行われているかといえば図1に示したようにゴール地点・ターン地点に待ち構えたサポート要員(タッパー)が棒の先に取り付けた発泡材や軟質素材で選手の後頭部や背中をたたくことで,壁の接近を知らせるのみである.「タッピング」と呼ばれるこの支援は,タッパーが選手との息の合ったタイミングでたたくことで壁への距離を知らせる,という職人技的なスキルが必要であり,それゆえ個別の選手に対して長らくトレーニング中にタッピングを行ってきたコーチやスタッフでなければ安心して任せられない.トレーニング中にももちろん壁への激突を防ぐことが最重要課題であるので,コーチはタッピングが第一優先であり,タイム計測や泳ぎの観察,更には壁に掛けられたペースクロックも選手は見ることができないため,スタートタイミングの読み上げもコーチの仕事となっており,健常水泳選手のコーチと比較するとその作業量ははるかに多い.選手1名にコーチ1名であれば,練習中に3,000m泳ぐ選手と同じくプールサイドで3,000mの距離を先行して歩かなければならない.したがって,選手の安全を確保しつつパフォーマンスも向上させるための案として,筆者らは聴覚フィードバックを存分に用いて選手とコーチのトレーニングを支える技術開発3件について着手した.「音声ペースクロック」,「泳者接近検知装置」,「無線骨伝導スピーカゴーグル」がそれらである.これらを一つ一つ紹介したい.
競泳のトレーニングにおいては,インターバルトレーニングがその主たる時間を占めるが,視覚障がい水泳選手は壁に掛けられたペースクロックの出発時間を視認できないため,コーチがスタートの号令を声掛けしてやらなければならない.しかしながら,コーチがタッピングに専念すると,インターバルトレーニング中に次のスタートの号令を掛け忘れるといったことが頻繁に起こる.また,同様にペースクロックのタイムを視認できないため,泳ぎ終えた際のタイムの把握もコーチがストップウォッチで計測して告知してやらなければならない.そこで,視覚障がい水泳選手のための音声ペースクロックを開発した(図2)(3),(4).この開発では必要な仕様設計や機能設計は元水泳選手・コーチであった慶應義塾大学側の筆者と特任助教である谷川哲朗(現大阪国際大学講師)氏とで担当し,筑波技術大学の小林真准教授に開発責任者を担って頂いた.
音声ペースクロック本体はパラメトリックスピーカの集合体である.それら集合体であるスピーカから送り出される超音波同士の「うなり」に相当する成分が人の可聴域に相当するように調整されたものである.極めて指向性が高いため,僅かに方向を変えただけでもその音が聞こえづらくなる特徴を持つ.したがって健常者と視覚障がい水泳選手が隣り合うコースでトレーニングしているときに,視覚障がい水泳選手のレーンに方向を定めれば,健常者のコースで泳ぐ選手を困惑させることがない,と考えた.
この特徴を生かして,①あらかじめ設定したインターバルトレーニングのスタート号令を読み上げる,②泳タイムではなく,1秒ごとに経過時間を単純に読み上げる,③コーチの任意の声をスピーカから聞かせる.これら三つの機能を果たすようにハードウェア及びソフトウェアを実装した.
音声ペースクロックのハードウェアは,スピーカユニットとカウンタ生成ユニットで構成される.スピーカユニットは音声入力端子を持っており,単独でも機能する.カウンタ生成ユニットは,45秒から90秒のインターバルトレーニングのスタートを読み上げることが可能である.読み上げ音声は任意の声を収録した後,これを切り出してあらかじめ用意されたメモリ領域に格納しておくことで利用可能である.そこで選手に聞き取りやすい声として,女性のボランティアによる声を収録して用いた.スピーカユニットにはほかにもmic in端子とともにBluetoothによる入力も可能である.
音声ペースクロックは選手が泳ぐレーンのスターティングブロック後方に三脚で固定するか,あるいはスターティングブロック上に置いて利用する.このように配置すると,50m反対側であっても視覚障がい選手には声を届けられる,かつ隣接するレーンの選手たちには,スピーカからの音がそれほど聞こえない.トレーニングを行う選手自身が起動,設定できるように全ての制御ボタンは点字を併用し押下すると,何を操作したのかが音声で確認できる.電源はAC電源が用意できないプールサイドでも利用できるように充電池を備えている.この充電池にはニッケル水素電池を採用した.リチウムイオン電池やリチウムポリマー電池と比べると重量には難があるものの,海外遠征時にこれらの電池は航空機の預け荷物として禁止されているため,海外現地調達も可能である市販品ニッケル水素電池を採用した.
泳者接近検知装置は補助者がいなくとも視覚障がい水泳選手がプールでのトレーニングを実現するための装置である.すなわち,タッピングの代わりを実現する装置である(図3)(3)~(6).
泳者接近検知装置は,公式ルールで認められたレーンラインの最大直径(150mm)の円筒状をした水中カメラである.レーンラインのワイヤ上部から,壁接近検知システムをはめ込むことでレーンラインのどの位置にでも装着できる.ワイヤに固定されたカメラは,波の影響で回転する可能性があるが,最適重心設計によってカメラ位置は常に同じように仰角下向きの角度を保つように工夫されている.現在のところ,装着する位置として壁から5m地点,2m地点を想定している.
国内では水泳選手は慣習的に,レーン内を右側通行でトレーニングするため,選手の進行方向右手のレーンラインに装着して用いる.装置には水面下を監視する水中カメラに超広角レンズを採用し,カメラから見て選手が左から進入して壁に接近しカメラの直前を横切ると,水上スピーカ並びに水中スピーカから警告音を発する.音声データは任意の音声データを外部からWiFi経由で送り込むことが可能である.基本的な処理プロセスは画像処理による進入物体の認識であるが,絶え間なく揺れ続けるレーンラインとともにカメラは揺れるため単なる背景差分のみでは泳者をうまく抽出することはできない.また水上から差し込む光がプール底に映り込むことから,それらの輝度情報の変化も移動体である泳者のシルエットと同様に単純な背景差分では抽出することができない.そこで筆者らは,異なる多段フィルタリングを施すことで移動してくる泳者の速度がトレーニング中の泳速度に相当する,かつ壁に近づいて接近して来る泳者である場合にのみ検知を行うようにフィルタの変数を調整した.同じレーン内であってもカメラから見て右方向,すなわちスタート直後の泳者はカメラと泳者の距離が離れているために被写体としてごく小さくなることから取り除くことが可能であり(図4),これを無視する設定になっている.接近を検出したのちは水上・水中スピーカから警告音を報知する.詳細機能は引用文献と特許明細を参照されたい(3),(4),(6).この装置を使うことで視覚障がい水泳選手がタッピングを頼ることなくプールで往復泳を行うことが可能となる.東京2020に向けての取組みとしては,接近検知装置の基本機能は泳者が装置の横を通過したことを検知することであるため,泳者の通過時間を次章で述べる無線骨伝導スピーカゴーグルから聞こえるように改良した.応用方法としては,接近検知装置を25m位置に設置することで,25mダッシュなどの練習を自動的に行う,ということも実現できる.
無線骨伝導スピーカゴーグルはコーチの指示を音声で選手に伝える無線機器である(図5)(3)~(5),(7).このゴーグルが持つ基本的な音の伝達メカニズムは,圧電素子がゴーグルのアイカップ(レンズ)に埋め込まれており,この素子が振動することで脂肪組織の少ない眼窩を振動させ,これが骨伝導によって音を届ける仕組みである.圧電素子のドライバ回路,無線受信回路及び電源回路などはゴーグルのゴムバンドに固定するようにしてあり,後頭部がおおむね水上に出ていると考えられるクロールや平泳ぎなどで用いることができる.無線ゆえに,受信ユニットが水上に沈む背泳ぎでは残念ながら機能しない.
2016年のリオデジャネイロパラリンピックでの開発から今回の東京パラリンピックに向けては大幅な構造と機能改良を行った.リオモデルではアイカップが3Dプリンタによる成型であったが,今回開発したゴーグルは金型による成型へと変わりアイカップの素材がポリカーボネート製になったことで耐久性や精度に大幅な向上がもたらされた.また圧電素子の封入方法についても改良を図り東京2020モデルでは,圧電素子を包み込むモジュール式とし,このモジュール部分をアイカップに挿入してかん合する方式とした.これにより圧電素子部の不具合の際にはこの部分のみを交換できるという利点が生じた.ゴーグルのゴムバンドに取り付けるアンテナを内蔵した無線受信部は専用基板を設計実装したことにより,前回モデルから大幅な小形化を図り,またその防水を担うきょう体については流体力学的な観点から側面から見たときに流線形を成す形状として,スタートやターン後に生じていた乱流による「びびり振動」を回避することができた(図6).
リオモデルでは,Bluetooth Class1(到達距離100m)を用いてコーチが持つ送信側親機との1対1通信であった通信部は,2.4GHz無線LAN(IEEE 802.11n)となり,1対通信が可能になった.しかしながら,そのためプール内に無線LAN基地局の設置の必要性が生じることになった.コーチが持つ送信機である親機については,前回開発品は単なるトランシーバ送信機として,マイクロホン端子のみを有していたが,今回は大幅に改良されストップウォッチの機能を有するものへと進化した.コーチはこのストップウォッチ型送信機にヘッドセットをつないで声を届ける.泳タイム,すなわち1本ごとのタイムはコーチがストップウォッチのラップボタンを押すことで,選手のゴーグルに機械音声によって報知される仕組みとなっている.すなわち選手はゴーグルを通して泳タイムを聴くことができる.同時に泳タイムは自動的にタブレット端末に送信され,トレーニング後には選手ごとの泳タイムを一覧でき,そのタイムはCSVファイルとなってダウンロードできるコーチング支援機能も有する.
泳者接近検知装置は水中または水上にスピーカで音を放出することで,壁への接近の危険を報知する.この泳者接近検知装置の開発の過程で明らかになったのは,泳者の水中聴覚の不思議である.極めて大音量と感じられる音が水上・水中から放出されているにもかかわらず,時として「聞こえない」という反応を得たことから,筆者らはそもそも泳者が水中でどのような音を聞いているのか,ハイドロホンを用いて計測を行った.その結果,普段の練習中であっても,泳者自身が泳ぎによって発生させる音が非常に大きなものであることを確認した.筆者をはじめ開発に関わった我々の多くは元・現水泳選手であり,水泳中にそのような騒音下でトレーニングを行っているなどとは感じたこともなかった.むしろ静寂の中で泳いでいると言ってもよい感覚を持っていたため,この事実は衝撃的であったとも言える.そこで,僅かに水中音響スペクトル成分に空隙の見られる,3kHzを挟む帯域でのアラート音を放出するように設計を見直した.
陸上,すなわち大気中の音響工学は古くから研究が行われており,スピーカをはじめとする音響機器や建築設計への応用がなされてきている.また超音波を代表とする水中音響についても,確立された分野と言ってもよい.しかしながら,人が水表面付近に存在する場合の「音の聞こえ」についての知見は,世界中を見渡してもほぼ存在しないということを知るに至った.水中作業に従事する職業ダイバーに対する水中聴覚の研究は過去に事例があるが,この場合聴覚入力はほぼ骨導によるものであり,研究成果をそのまま転用できないと考えられた.
また,無線骨伝導スピーカゴーグルの開発でもコーチが指示した声を聞き取りにくいことも散見された.例えば選手が全く想像・想定していないような泳ぎの指導を無線骨伝導スピーカゴーグルを通じてコーチから指示された場合,「え? 今なんて言ったの」という状況が頻発する.これは文脈の理解がない場合の日常会話でもよく起こる事実と似ている.したがって,実運用上はあらかじめ,どのような指示が出される可能性があるのか? ということをコーチと選手が申し合わせておくことが重要であることを認めざるを得なかった.これらの事実は,用具・装置の開発がうまく達成されたと開発側が考えていても,普段の我々の振舞いには意識の下での暗黙の了解が存在し意思疎通がなされているということを意味している.爆音とも言ってもよい音圧を生みながら水泳トレーニングを行う選手たちが自分が放出している音をほとんど認識していないことは,自らの音に対するマスキング効果という生理学的特異性が存在する可能性も示唆され,現在は泳者の水中聴覚について研究を始めたところである.
こうしてパラアスリートを支える技術開発に携わってみると実は人の営みの中で無意識の下で行われている高度な情報処理過程が垣間見え,サイエンスの面白さが感じ取れるという研究者として嬉しい発見が幾つも得られたことが一つの収穫であったといえる.
最後になるが,本稿で紹介した聴覚フィードバック装置の開発にあたっては,基礎データの取得や開発途中品の性能評価などを全てパラ水泳選手の協力を得て行ってきた.パラアスリートを支える技術開発に対して献身的に協力をして頂いた選手,コーチの方々に深く感謝する次第である.
パラスポーツの支援技術の多くは,実は選手に対して「安心・安全」を確保しながらどのような方法で選手のパフォーマンスを向上させるのかを考えることであり,それは将来的に障がい者や弱者のスポーツ活動や生活を支える要素技術の一つになる可能性を秘めているという自信を抱くことができるようになったことも自身の収穫である.こうした貴重な機会を得ることができたことに感謝したい.
付記 本取組みは,スポーツ庁委託事業/独立行政法人日本スポーツ振興センター再委託事業の下で行われました.
(1) 文部科学省,スポーツ基本法.
https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/kihonhou/index.htm, (2022年3月28日閲覧)
(2) スポーツ庁,トップアスリートの強化活動を支援する(競技力向上事業,ハイパフォーマンス・サポート事業).
https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/sports/mcatetop07/list/detail/1372076.htm (2022年3月28日閲覧)
(3) 仰木裕嗣,谷川哲朗,小林 真,鈴木完爾,塚本昂佑,山本 明,野崎基範,寺田雅裕,生田泰志,野口智博,“ハイパフォーマンスサポート事業パラリンピック研究開発の報告,”日本水泳水中運動学会2016年年次大会抄録集,pp.106-109, 2016.
(4) 仰木裕嗣,谷川哲朗,小林 真,鈴木完爾,塚本昂佑,山本 明,野崎基範,寺田雅裕,生田泰志,野口智博,“視覚障がいスイマーのためのトレーニング支援装置の開発,”日本機械学会〔no.16-40〕シンポジウム:スポーツ工学・ヒューマンダイナミクス2016, USB抄録集,2016.
(5) 仰木裕嗣,成田健造,錦見 綾,石塚辰郎,花岡奈菜,生田泰志,立 正伸,谷口裕美子,岸本太一,“ハイパフォーマンスサポート事業東京2020パラリンピック研究開発の報告,”日本水泳水中運動学会2021年年次大会抄録集,pp.33-36, 2021.
(6) 特許第6760599号,“プール内撮影装置,警報音発生方法及び警報音発生用プログラム.”
(7) 特許第4714818号,“ゴーグル.”
(2022年3月29日受付 2022年4月21日最終受付)
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