小特集 1. 研究の「そのとき」を考える

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Vol.106 No.12 (2023/12) 目次へ

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そのとき研究の歴史が動いた――画像認識の発展の歴史を振り返って――

小特集 1.

研究の「そのとき」を考える

Thinking about the “Moment” of Research

岩村雅一

岩村雅一 正員:シニア会員 大阪公立大学大学院情報学研究科基幹情報学専攻

Masakazu IWAMURA, Senior Member (Graduate School of Informatics, Osaka Metropolitan University, Sakai-shi, 599-8531 Japan).

電子情報通信学会誌 Vol.106 No.12 pp.1074-1077 2023年12月

©電子情報通信学会2023

Abstract

 研究を続けていると,多くの研究者に影響を与える「当たり」の研究に出会うことがある.そのような研究は,どうして当たったのであろうか? ともすれば研究内容だけに注目してしまいがちであるが,その理由の一端はそれを生み出した時代背景にあるのかもしれない.本小特集では,過去の「当たり」の研究がどのように生まれ,その後の研究シーンにどのような影響を与えたのかを,ゆかりのある研究者に解説して頂く.本稿では,その企画意図と「当たり」の研究テーマの生まれ方の一例を述べ,更に研究活動のライフサイクルという考え方を紹介する.

キーワード:研究テーマ,時代背景,そのとき歴史が動いた,ライフサイクル

1.企画意図:「そのとき」って何?

 本小特集は,2022年7月に開催された画像の認識・理解シンポジウム(MIRU2022)で実施した特別企画「過去を知り,未来を想う」に基づき,内容を発展させたものである.MIRUは画像情報学に関する我が国最大規模の学術集会であり,MIRU2022はちょうど30周年かつ第25回の節目に当たる.この記念すべき回で特別企画を任され,筆者は途方に暮れた.なぜなら,このような記念回では過去を振り返るのが定石である(と筆者は勝手に思っている)が,それでは昔話を楽しめない学生や若手研究者がかわいそうではないか.かといって,筆者のような若輩者には,一切過去に触れない勇気はない.そこで,過去を踏まえて未来の研究テーマを考える企画を模索した.

 試行錯誤の末に行き着いたのが,「過去を知り,未来を想う」というテーマであった.言外の意味を含めると,「過去の研究を知り,未来の研究を想う」である.世の中には研究が無数に存在するが,多くの人に認知され,研究シーンに大きな影響を与える「当たり」の研究は極一部である.そのような「当たり」の研究は,大多数の「当たり」ではない研究と何が違ったのか.この疑問に対して,当時の時代背景などの環境要因に注目することで答えの一端が垣間見れないかと期待した.そして,あわよくばまねしてみたいし,若手研究者にまねしてもらえたら,とも.

 この内容をまとめたのが,MIRU2022のホームページ(注1)に記載した以下の文章である.

 「必要は発明の母」というよく知られた言葉がある.我々研究者にとっては,「必要は研究の母」と言い換えても良いかも知れない.認識率の向上が必要であれば,その実現に向けて対策が講じられるであろう.やりたいことに対して計算機の能力が足りなければ,軽量なアルゴリズムが考案されるであろう.必要なものはその時々で変わるから,研究はその研究が行われた当時の時代背景と切っても切れない関係にある.

 これまでに行われてきた幾多の研究の中には,当時の研究シーンに大きな影響を与えた金字塔的な研究がある.また,従来から知られていた技術であっても,ある事がきっかけで一気に広がったものもある.このような多くの研究者に影響を与えた研究には,そうなるだけの理由があったはずである.ともすれば研究内容だけに注目してしまいがちであるが,その理由の一端はそれを生み出した時代背景にあるのではないだろうか.もし「歴史は繰り返す」のであれば,重要な研究とその時代背景を一緒に知ることで,今後我々が研究を着想するために参考になるかもしれない.

 本企画では,MIRUの研究分野の金字塔的な研究や盛り上がりを見せた研究に焦点を当てる.研究内容だけでなく,その研究が生まれた時代背景,研究の波及効果をゆかりのある研究者に語っていただく.

 実はこの企画の着想時に参考にしたのは,2000年度から2008年度にNHKで放送していた「その時歴史が動いた」というテレビ番組である.御存じない方のために説明すると,この番組では歴史のターニングポイントとなった出来事が起きた瞬間を「その時」と定義し,そこに至るまでの状況や人間模様に加えて,その後の状況を毎回紹介していた.今回の企画はその研究バージョンという位置付けである.もちろん,本稿のタイトルはこれに由来する.

2.「当たり」の研究テーマの生まれ方の一例

 この企画の構想段階で,どのような研究が「当たり」になるかを考察した.このような研究テーマの設定方法は既に検討し尽くされた可能性もあるが,すぐには見つけられなかったので,ここに記しておく.

 世の中には「できたらうれしいこと(ニーズ)」が無数に存在するが,技術レベルや使用できるリソース(人材,資金,設備など)の制約により,実現できることはその一部のみである.ここでは「できたらうれしいこと」と「できること」の関係に基づいて,研究テーマを三つに大別した.図1中の(a)のように,ニーズはあるものの,実現が難しい研究は,相当チャレンジングであり,なかなか実らない.反対に,(c)のように実現は容易であってもニーズがなく,価値の低い研究もあり得る.必然的に,論文になる研究の多くは(b)のように,価値が高く,実現性も高い研究になるであろう.

図1 研究の実現可能性と価値  世の中にはできたらうれしいこと(ニーズ)が無数にあるが,技術的あるいはリソースの制約により,実現できることが限られる.

 技術的なイノベーションや環境の変化(例えば,計算リソースの強大化や低廉化)によって,これまで実現できなかったことが急にできるようになることがある.昨今世間をにぎわせている生成系AIも研究シーンに地殻変動的な影響を及ぼしている.図1において,このように新たにできることが増える場面を図示したのが図2である.そのタイミングで,そのことにいち早く気づいた人によって,新しい研究が実施される.その際,重要な研究・技術・応用をどれだけたくさん実現できる土壌が整備されるかを,図2では波及効果と呼んでいる.もしこの状況が特定の研究によってもたらされたとすれば,それは「当たり」の研究と言えるし,そのタイミングが研究史のターニングポイント,つまり「そのとき」になる.ただし,これは一例であり,これ以外にも「当たり」と呼べる研究が生み出される状況は存在し得る.

図2 新たに生まれる研究の波及効果  「できたらうれしいこと」が「できる」ようになるタイミングで,新しい研究・技術・応用が生まれる.大きな波及効果を生み出す研究が「当たり」の研究とも言える.

3.研究活動のライフサイクル

 前章の内容を考える過程で,研究活動のライフサイクルという考え(1)(4)に出会い,感銘を受けた.ライフサイクルとは,例えば,研究の専門分野がどのように始まり,どのように終わるかという過程である.本稿に関係するところでは,専門分野の形成過程において,論文数,研究者数,研究費の額といった研究活動の指標の推移に幾つかの類型があることが定量的な解析により明らかにされた(1),(2),(注2)

 本稿では分かりやすさの観点から,文献(1)に基づいて文献(4)の著者が独自にアレンジを施した「白楽の研究栄枯盛衰6段階説」(4)を,図3を参照しながら紹介する.Webページに記載の原文が簡潔にまとまっているので,興味のある読者には原文を読んで頂くことをお勧めする.なお,文献(4)での研究者数や論文数などはあくまで目安であり,具体的な事例に基づいていないことを申し添えておく.

図3 白楽の研究栄枯盛衰6段階説(文献(4)から転載)  潜伏期や始動期に基幹的な発見・発明があり,それから遅れて論文数(や研究費,研究者数)が立ち上がる.

潜伏期と始動期

ごく少数の先見の明がある研究者,異端視される研究者が,従来解明できなかった問題や従来問題と認識されていなかった問題に対して,基幹的な発見・発明をする.ただし,初期の頃は,研究費,参入研究者,メディア報道はとても少ない.

発展期と成熟期

多くの研究者がその価値に気づき,様々な問題に基幹的な発見・発明を導入する.しかし,基幹的な発見はない.研究者と論文数,研究費は増える.研究ジャーナルや学会も立ち上がり,大きくなる.基幹的な発見・発明をした研究者は学界ボスになり,「○○学の父」「○○学のパイオニア」として称賛される.産業応用が増え,大学院生が研究室に殺到する.

衰退期とすっかり衰退期

基幹的な発見はなく,論文数は減少するが,研究者がたくさんいて,研究費も多い.最先端研究者から見ると「衰退期」だが,発展期に貢献した研究者がノーベル賞などの科学賞を授与され,メディアが取り上げ,学界以外の世間的な評価は高い.

上記の議論はあくまでも専門分野など,比較的粒度の大きい対象に関するものである.そのため,本小特集で取り上げる個別の研究にはなじまない部分もあるかもしれないが,研究のトレンドを俯瞰する際には参考になると思う.

4.む  す  び

 今回,MIRU2022で実施した企画を本会誌の小特集でも取り上げたのは,ひょっとしたら画像の認識・理解以外の分野でも同様の試みをすると面白いかもしれないと思ったからである.この企画が,読者の皆様の分野でも何らかの形で役立てば幸甚である.

 MIRU2022では,画像の認識・理解分野の「そのとき」について,5名の方々にお話頂いた.本小特集では,更に1名を加えた6名の方々に原稿を執筆頂いた.以下に御所属,お名前(敬称略)とテーマを記載する.

中部大学 藤吉弘亘(局所特徴量)

オムロンサイニックエックス 牛久祥孝(AlexNet)

九州工業大学 岡部孝弘(イメージベーストレンダリング)

早稲田大学 石川 博(グラフカット)

奈良先端科学技術大学院大学 加藤博一(ARツールキット)

東京電機大学 前田英作(カーネル法)

 最後に,内田誠一MIRU2022実行委員長(九州大学),安倍 満運営委員長(デンソーアイティーラボラトリ)をはじめとするMIRU2022実行委員会の皆様には,本企画の構想段階から御議論を重ね,共に作り上げて頂いた.心から感謝する.

文     献

(1) 科学のライフサイクル,林 雄二郎,山田圭一(編),中央公論社,東京,1975.

(2) 科学研究のライフサイクル,山田圭一,塚原修一(編著),東京大学出版会,東京,1986.

(3) 山田圭一,“科学研究のライフサイクル(〈特集〉“研究・技術計画”のディシプリンを問う),”研究技術計画,vol.10,no.3_4,pp.147-151. 1996.
https://doi.org/10.20801/jsrpim.10.3_4_147

(4) 白楽ロックビル,“研究分野の栄枯盛衰,”1-1-2,研究分野の栄枯盛衰,2012.
http://doukou.haklak.com/2012/11/04/12/

(2023年7月1日受付) 

岩村雅一

(いわ)(むら) (まさ)(かず)(正員:シニア会員)

 1998東北大・工・通信卒.2003同大学院博士課程了.博士(工学).同年同大学院工学研究科助手.2004阪府大大学院工学研究科助手,准教授などを経て,現在大阪公立大大学院情報学研究科准教授.文字・物体認識,視覚障害者支援などの研究に従事.2006,2021年度本会論文賞,2011 IAPR/ICDAR Young Investigator Awardなど各受賞.


(注2) 文献(1)(2)では,ほかにも研究組織に関する調査,研究リーダーの権限強化の是非やテーマ変更に関する調査などが含まれていて,興味深い.少し雰囲気を見てみたい方には,Webから入手可能な文献(3)をお勧めする.個人的には,この研究分野をかつてリードした文献(3)の著者が自分たちの研究成果に照らして,自らが立ち上げに関わった学会が衰退期に入っているのではと危惧するところが面白い.


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