解説 尾上誠蔵氏の国際電気通信連合(ITU)電気通信標準化局長就任にあたり――移動通信ネットワークの進化と国際標準化――[前編]

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Vol.106 No.8 (2023/8) 目次へ

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 解説 

尾上誠蔵氏の国際電気通信連合(ITU)電気通信標準化局長就任にあたり

――移動通信ネットワークの進化と国際標準化――[前編]

On the Appointment of Mr. Seizo ONOE as Director of the Telecommunication Standardization Bureau of the International Telecommunication Union(ITU): Evolution and International Standardization of Mobile Communications Network[Part 1]

奥村幸彦

奥村幸彦 正員:フェロー (株)NTTドコモ R&D戦略部

Yukihiko OKUMURA, Fellow (R&D Strategy Department, NTT DOCOMO, INC., Yokosuka-shi, 239-8536 Japan).

電子情報通信学会誌 Vol.106 No.8 pp.754-762 2023年8月

©電子情報通信学会2023

A bstract

 2022年9月30日に国際電気通信連合(ITU)電気通信標準化局長選挙が行われ,日本の候補である尾上誠蔵氏が選出され,2023年1月1日に同局長に就任された.本稿では,その意義と,尾上氏の国際標準化に対するこれまでの貢献及び今後の活動や展望などについて,2023年2月22日に本会が開催したIEICE ICT PIONEERS WEBINARシリーズ【第34弾】において尾上氏が「移動通信システムの現在,過去,未来」と題して講演された内容も参照しながら,前編と後編の2回に分けて解説する.

 今回は前編として,尾上氏の略歴を紹介した後,ITUの概要,電気通信標準化局と局長の役割,尾上氏の局長就任とその意義を解説する.続いて,尾上氏がけん引してきた移動通信システムの研究開発と本会との関わり,尾上氏の本会への貢献について述べる.最後に,移動通信システムの進化と標準化について,尾上氏による初代から現世代に至るシステム世代全体の振り返り,及び,次世代システムへの期待について紹介する.

キーワード:国際電気通信連合,ITU,電気通信標準化局長,国際標準化,移動通信システム

1.は じ め に

 尾上誠蔵(おのえ せいぞう)氏は,1982年に日本電信電話公社(現NTT)に入社後,一貫して移動通信の技術開発に携わられた.第1世代(1G)アナログ方式に始まり,第2世代(2G)PDC,第3世代(3G)W-CDMA/HSPA,第4世代(4G)LTE/LTE-Advanced,そして第5世代(5G)に至るまで,全世代の移動通信システムに関する技術開発と標準化の両面で国内外において主導的な役割を果たされてきた.1992年にNTTドコモ(以下,ドコモ)の設立に伴い転籍.2012~2017年取締役常務執行役員・CTO,2015~2021年ドコモ・テクノロジ代表取締役社長を歴任.2021年にNTTのCSSO(Chief Standardization Strategy Officer),ドコモのフェローに就任するとともに,同年9月に国際電気通信連合(ITU)の次期電気通信標準化局長選挙への立候補を表明.2022年9月の同局長選挙において同局長に選出され,2023年1月から同局長に就任された.

 その後,尾上氏は,2023年2月22日に本会が開催したIEICE ICT PIONEERS WEBINARシリーズ【第34弾】において「移動通信システムの現在,過去,未来」と題して講演(以下,本会Webinar講演)され,移動通信システム世代の過去の進化を振り返って,技術の変遷,標準化,業界動向を語られるとともに,更に将来の世代進化と標準化の在り方について語られたが,以下,本稿では,その内容も参照しながら,本会の役職(通信ソサイエティ副会長,通信ソサイエティ会員事業企画・運営会議議長,通信ソサイエティ国際委員長)を務められ,本会フェローでもある尾上氏が,ITU電気通信標準化局長に就任された意義や期待について解説する.

2.国際電気通信連合(ITU)

2.1 ITUの沿革・役割・体制(1)

 1844年にモールスにより実用化された電信は,その高い利便性により人々の通信手段として瞬く間に広まった.しかし,各国がそれぞれ異なったシステムを採用していたため,国際間の送信を行う際には国境で電信文を一旦解読し,これを受け渡しする必要があった.各国は相互協定を結ぶことにより,この問題の解決にあたったが,電信の利用が加速したため,欧州20か国が集まり国際接続に関する取り決めを議論する枠組み作りが始められるに至った.議論の後,1865年にパリにおいて国際電信協定(図1)が結ばれ,更に,協定の実施・改定を引き続き実施していくために万国電信連合(International Telegraph Union)が設立された.これは世界で最初の国際機関と言われている.

図1 1865年国際電信協定(全63条)の表紙・前文(上段)/署名欄(下段)

(©ITU(https://search.itu.int/history/HistoryDigitalCollectionDocLibrary/4.1.43.fr.201.pdf))

 更に,1932年のマドリッド会議では,万国電信連合と,1906年にベルリンで創設された国際無線電信連合を合併し,名前も国際電気通信連合(ITU: International Telecommunication Union)とすることが決められた.第二次世界大戦後の1947年には,国際連合(UN: United Nations,国連)が作られたことを受け,国連の専門機関になることを決議するとともに,その本部をスイスのジュネーブにおいた.2022年3月現在のITUの加盟国数は193か国で,日本は1879年に万国電信条約に加入した後,1959年以降は,ITUの管理理事会の理事国としてITUの管理・運営に参加するとともに,ITUの諸会合において議長や副議長を務め,寄与文書の提出を行ってきている.

 ITU憲章の前文には,「電気通信の良好な運用により諸国民の間の平和的関係及び国際協力並びに経済的及び社会的発展を円滑にする目的」をもってこの協定を結ぶと記されている.この精神にのっとり,ITUでは,各種電気通信の改善と合理的利用のために国際協力を促進するとともに,電気通信の利用増大と普及のために必要な技術的手段の発達と能率的運用の促進,電気通信分野における発展途上国への技術協力を促進することとしており,具体的には,技術革新や市場の変化に対応した通信技術の標準化,無線周波数スペクトルの管理,発展途上国への技術協力に関する業務を行っている.

 また,ITUは,大きく分けて,電気通信標準化部門(ITU-T),無線通信部門(ITU-R),電気通信開発部門(ITU-D)と事務総局から成る(図2).

図2 国際電気通信連合(ITU)の組織(出典:日本ITU協会ホームページ

(出典:日本ITU協会ホームページ(https://www.ituaj.jp/wp-content/uploads/2013/07/ITU-Structure.pdf))

 ITU-Tは,電気通信技術,運用及び料金について研究し,電気通信を世界規模で標準化するとの見地から勧告を作成する.主要組織に電気通信標準化局(TSB)がある.

 ITU-Rは,静止衛星軌道の使用を含む,全ての無線通信サービスによる合理的,公平,効率的かつ経済的な無線周波数スペクトルの使用を保証することにある.また,ITU-Rは,無線通信技術について研究し,無線通信を世界規模で標準化するとの見地から勧告を作成する.主要組織に無線通信局(BR)がある.

 ITU-Dは,技術協力活動を提案,組織化し,調整することにより途上国における電気通信開発を促進するとともに,人材育成,資金計画の策定などを行うプロジェクトを推進することにある.主要組織に電気通信開発局(BDT)がある.

2.2 電気通信標準化局と局長の役割

 ITU-TのWebページにおいては,局長となられた尾上氏の役割について「TSB局長として,世界中の情報通信技術(ICT)の相互接続と相互運用性を可能にする技術標準と共同標準化プロセスの調整を担当するITUの一部を率いている.今日の世界を動かしている多数の相互接続されたシステムと技術のオープンで包括的な標準化を促進し,国際的な技術標準を持続可能な開発と整合させることを目指している.」と述べた上で,その取組みについて以下のように紹介している.

 「尾上局長は,グローバルな問題に対処するためのディジタル技術の促進,進化する技術を反映した新しいエコシステムの構築,世界中のICT標準化における協力とその強化とともに,オープンで包括的な標準化プロセスの促進に取り組んでいる.業界で「LTE(Long-Term Evolution)の父」として知られる彼は,モバイルのデバイスとネットワークの標準化に貢献してきた.彼は現在,標準化のギャップを埋め,テクノロジーの利点を広く迅速に提供し,意味のある手頃な価格のブロードバンドアクセスを全ての人に保証するために,グローバルなアウトリーチを目指している.」

 一方,尾上氏自身は,本会Webinar講演の中で,ITU-T及び電気通信標準化局長の役割について以下のように述べられている.

 「私が担当するStandardizationの部門では,図3(a)に示すようにTransportからAccessibilityまで,また,気候変動を含む環境に関することまで幅広く所掌している.特に,同図(b)のDigital transformationに関しては,国連の中で大きな役割を担っている.

図3 ITU-Tの標準化活動①(©ITU)

 構成としては,図3(c)に示すメンバーが標準を議論して決めるStudy Groupsから検討の初期段階でメンバー以外の人にも多く入ってもらって議論の場を提供するFocus GroupsやWorkshopsがあって進めている.同図(d)は,Study GroupsとFocus Groupsにどのようなものがあるかを示している.」

 「また,ITUの一番大きな特徴は193か国という,発展途上国を含む多くの加盟国が参加しているということがあるが,逆に,その色々な地域の格差をどうやって埋めていくのか,橋渡しをしていくのかというところが非常に重要な課題となっている.標準化で言うとBridging the standardization gap(図4(a))が大きな課題の一つになっている.

図4 ITU-Tの標準化活動②(©ITU)

 一方,Academiaに関しては,ITU Journalを発行しており,ITU Kaleidoscopeというカンファレンスを毎年開催して,Academiaにも参画してもらうための色々な活動を行っている(図4(b)).」

 なお,尾上氏の上記紹介にあるITU Kaleidoscopeは,世界の様々な地域で年に1回イベントを開催し,ICTの標準化に取り組んでいる専門家と学術界との間の対話を行う場を提供することで,ITU標準化作業への学術界及び研究機関からの参加を増やし,ITU標準化プロセスを充実させることを目的としている.いわゆる「Kaleidoscope(万華鏡)」を通してテクノロジーを見ることにより,標準化のための新しいトピックを特定しようとするものである.

 ITU-Tが主催し,IEEE Communications Society(IEEE ComSoc,現在,本会通信ソサイエティのシスターソサイエティでもある)が技術共催する形で,2008年5月に最初のKaleidoscopeイベントがジュネーブにおいて開催された(2)

2.3 尾上氏の局長就任とその意義

 ITUでは4年に一度,最高意思決定機関である全権委員会議が開催され,ITUの戦略,財政,組織などが審議されるほか,理事国の選挙並びに事務総局長,次長,電気通信標準化局長など3局長の選挙が行われる.2022年9月に開催される全権委員会議に向けて,1年前の2021年9月に,日本政府は,電気通信標準化局長選挙において,尾上氏を候補者として擁立することを決定した(3).尾上氏擁立にあたって,総務省からは以下のコメント(4)が出された.

 「今般のITUの幹部職員選挙で選出される次期電気通信標準化局長は,2030年代の経済・社会基盤として期待される次世代通信ネットワークの標準化を主に担うものと想定される.情報通信分野における我が国の国際競争力の確保を図るとともに,高度な情報通信システムの実現による豊かな国民生活を享受する上で,我が国として標準化活動の一層の強化に取り組むことが重要であり,ITU標準化部門のトップに人材を送ることは大変意義があるものと考えられる.」

 尾上氏は,2021年9月の立候補表明以降,約1年にわたる支持要請の選挙活動を経て,2022年9月26日から10月14日の日程でルーマニア・ブカレストにて開催された第22回ITU全権委員会議において,現地時間9月30日午前から行われた次期電気通信標準化局長選挙に臨んだ.同選挙には,日本から立候補した尾上氏のほか,トーマス・ツィルケ氏(ドイツ)及びビレル・ジャムシ氏(チュニジア)の計3名が立候補し,最終的に尾上氏が,投票権を有するITU全権委員会議参加加盟国の過半数の得票を獲得し当選した.電気通信標準化局長の任期は1期4年,最大で2期までである.なお,同選挙当選を受け,次の外務大臣談話(5)が発表されている.

 「日本の人材が,国際機関の重要なポストで活躍することは,国際社会のルール形成における日本の存在感を高め,また,日本と国際機関との関係をより強化する観点からも非常に重要なことです.今回の尾上氏の選出は,情報通信分野における同氏の専門的知見及び経営手腕に加え,日本によるこれまでの取組みへの国際社会の高い評価の表れであり,経済安全保障の確保の観点からも重要であると考えます.」

 図5に局長選挙当選直後の尾上氏の演説模様の写真,図6に次期局長就任決定の報告のため,尾上氏が首相官邸に岸田総理大臣を表敬訪問した際の写真をそれぞれ示す.

図5 尾上氏の局長選挙当選演説

(©ITU/Rowan Farrell(https://www.flickr.com/photos/itupictures/52393836007))

図6 尾上氏の岸田総理大臣表敬訪問

(出典:首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202210/27hyokei.html))

3.電子情報通信学会(IEICE)

 尾上氏は,移動通信システムの実用化に対して,本会から,第39回(2001年度)と第49回(2011年度)業績賞を受賞されている.

 前者は,第3世代移動通信サービスの実現に向けて進められた「IMT-2000システムの実用化」に関する業績を称えたものであり,その業績内容(推薦の辞)は次のとおりである.

 「尾上氏は山本浩治氏,村瀬淳氏とともに,IMT-2000システムの国際標準に向け,先導的に研究開発を行った.その成果により,日本提案の技術を中心としたITUにおける世界標準化に著しい貢献をした.特に3GPP(3rd Generation Partnership Project)における詳細な技術仕様の早期開発に貢献し,その結果,日本提案の技術を中心とした標準仕様の確定がなされ,世界に先駆けてIMT-2000システムの実用化に成功した.」

 また,後者は,第4世代移動通信サービスの実現に向けて進められた「LTEの実用化」に関する業績を称えたものであり,その業績内容(推薦の辞)は次のとおりである.

 「尾上氏はLTEの標準化活動開始にあたってSuper3Gを提唱し,第4世代移動通信への円滑な移行を目的としたコンセプト及び必要性を訴え,世界の主要ベンダ,オペレータから多くの賛同を得て,LTEの検討開始を実現させた.標準化及び実用化においては,一貫して移動通信分野の研究開発に従事した経験を生かし,増加著しいトラヒックを収容できるよう無線電波資源の有効利用に腐心し,従来のW-CDMA/HSPA方式と比較して周波数利用効率はおよそ3倍,伝送遅延は約1/4となる無線システムの研究開発,標準化並びに基地局装置の実用化を主導し,LTEシステム全体の規格策定,全体統括しシステムを実現させた.」

 尾上氏がけん引したこれらの移動通信システムの実用化にあたっては,各システム世代において新たに考案した通信技術やシステムコンセプトの検討状況や検討成果を,本会の研究会・大会において積極的に数多く発表するとともに,ジャーナル論文への投稿も行ってきており,本会メンバーとの議論・討論で得た知見やヒントを研究開発に役立てている.また,尾上氏自らも,各システムの技術開発や標準化を総括した記事・論文を本会誌へ寄稿あるいは大会発表してきている(6)(9)

 一方,尾上氏は,本会において,2009年5月~2011年5月に通信ソサイエティ副会長及び通信ソサイエティ国際委員長を務められている.この間,通信ソサイエティ会員事業企画・運営会議議長も兼任され,大会において会員学生と企業の若手技術者が交流する場であるWelcome Party(図7)向けのユニークな施策を実施するとともに,IEEE ComSocほかの海外学会組織とのシスターソサイエティ協定の継続(10),通信ソサイエティの国際会議処理要領及び国際活動資金運用規程の整備・改定などを通してソサイエティの国際化推進に積極的に寄与されている.

図7 Welcome Party(2010年9月本会ソサイエティ大会)において挨拶される尾上氏

 以上の業績と本会への貢献により,尾上氏は,2013年に本会フェロー称号を授与された後,2017年には本会第78回功績賞を受賞されている.

4.移動通信システムの進化と標準化(1)

4.1 1Gから5Gまでの全体総括

 国内において,1979年12月に本格的なセルラシステム(用語)による商用移動通信サービスが開始されてから44年近くが経過した.この間,おおむね10年ごとにシステムが大きく進化し,1Gから4Gへと世代交代がなされてきた.更に,移動通信トラヒックの大幅な増加と多種多様な新規サービスの出現へ対応するため,4Gからのスムーズな移行と飛躍的な性能向上を目指した5Gが実用化され,現在,商用導入が世界中で進められている.日本では,2019年4月に5G向けの新しい無線周波数帯の割当が行われた後,同年秋に5Gプレサービスが開始され,2020年3月から5G商用サービスが開始された.

 尾上氏は,これら1Gから5Gに至る全てのシステム世代に関与されているわけだが,その尾上氏が移動通信システムの標準化の歴史を本会Webinar講演において以下のように述べられている.

 「標準化という切り口で見ると,移動通信システムの標準化の歴史はまさに典型例と言える.技術が未成熟なうちは標準化どころではなく,一つのグローバル標準として統一できるのだろうかと思えていたものが,技術が次第に成熟してくると,標準化が収れんしてきて合理的なやり方により成長していくという流れを,まさに移動通信システム,特にセルラシステムの標準化の歴史(図8)が示している.

図8 移動通信システムの収れんと発散

 図8(a)は,標準化によって移動通信市場が大きくなり,今日の経済で物が安くなり,それによって普及が進むと更に人々の生活をより便利にし,より効率的な社会になっていくことを示している.なお,この図は7年前くらいに作成したが,その頃は,他のシステムへのセルラの技術の適用範囲が拡大傾向にあり,この先,セルラ技術で全てのユースケースがカバーできるようになるのではないか(同図(b))と考えたが,しかし歴史は行ったり来たりするということもあるので,収れんせずに再度発散することもあるのではないか(同図(c))とも考えた.」

 ところで,尾上氏は,「移動通信のデータ速度はどこまで上がるか?」というテーマに対し,過去から現在に至る速度向上の実態から将来を予測する形で,3G商用化後の2004年以来,自らの考えを継続して発表されてきている(10)(12).データ速度の最高値はシステム世代の交代とともに着実に上がっていく一方で,データ速度に対するユーザの要求や意識は必ずしも同期していない状況があり,世代を追うごとに次世代に向けた戦略,シナリオの工夫(詳細は本稿後編にて解説予定)がなされてきたことが分かる.そして,2020年の本会会誌記事(13)において,1Gから5Gに至るセルラシステムの進化について,技術面,標準化,生活や社会への影響の側面から概説され,更に,以下のように締め括られている.

 「移動通信システムは,通信手段から情報アクセス手段に進化し,今や人々の生活や産業に不可欠な社会インフラに発展した.過去の世代進化の経験から6Gへと続く将来の進化も予見できるが,5Gでは他の業界を巻き込み新たな展開が始まっている.業界間連携と確かな技術進化による社会インフラの更なる発展に期待したい.」この5Gに対する尾上氏の思いには,更に次のような尾上氏の考えが背景にある.すなわち,これまでに尾上氏は移動通信システム世代に対して,以下の三つの法則(12)を提唱してきた.

【第1法則】次世代直前に前世代が盛り上がる法則

【第2法則】偶数世代のみ大成功の法則

【第3法則】次世代サービスは次世代ローンチ後に出現する法則

【凡俗第3法則】世代を代表するサービス・製品はその前の世代で誕生の法則

 これらの法則のうち第2法則に関して,本会Webinar講演において尾上氏は次のように述べられている.

 「第2法則というのは,偶数世代のみ大成功の法則ということで,実際,2GのGSMは大成功,4GのLTEは非常に良かったということであるが,それ以外の奇数世代が失敗であるとは言っておらず,ただし,大成功とまでは言えないということで,この法則を提唱していた.

 その上で5Gについては,第2法則をそのまま適用すると,奇数世代であるため大成功にならないということになる(図9(a)).しかしながら,Cross-industry Collaborationによるビジネスの創出を進めることが,この法則に反して,5Gを大成功に導くための鍵になるとポジティブな主張をしてきた(同図(b)).」

図9 移動通信システム世代の第2法則と5G

4.2 6Gへの期待

 本会Webinar講演のQ & Aパートにおいて「6Gはグローバルに単一の標準仕様でスケールを持ったビジネス,サービスを提供できるか?」という趣旨の質問があり,尾上氏は以下のように答えられている.

 「かつて,今後の移動通信システム世代について,収れんまたは発散の二つのシナリオがあり,6Gで発散する可能性を示した絵も描いていました.しかしながら,その絵を描いたときも,実際は,当面収れんが続くというふうに見ており,現状,5Gから6Gに向けては,それほど大きな変化はないというのが私の見方です.

 これまでに各世代を作ることでシステムの枠組みが確立してきているので,今後も,基本的にはそれにのっとっていくと思います.今のスマートフォンが提供しているサービスやIoT関連のサービスを置き換える形の全く別のシステムが出てくればフラグメンテーションが起きる可能性があるのですが,既に大きい規模の市場・経済が働いている中で,そういう新しいものに挑戦するのが,難しくなっている状況で,楽観的な見方かもしれませんが,余り大きな変化はなく,6Gは今の流れの延長でいくのではないかと考えています.もちろん,革新的な方式やシステムが出てくることは,技術者としては非常に期待したいところですが,それが出てくるのは,もう少し後ではないかと考えています.」(後編へ続く)

 次回予告

 次回(2023年9月号掲載予定)の本稿後編では,移動通信システムの進化と標準化について,各世代に対する尾上氏の振り返りとともに解説した上で,将来ネットワークに向けた標準化の在り方やITUにおける活動予定について尾上氏の考えを紹介する.

文     献

(1) 一般財団法人日本ITU協会ホームページ.
https://www.ituaj.jp/?page_id=151
https://www.ituaj.jp/?page_id=4379

(2) Yoichi Maeda, “Cooperation between ITU-T and universities: ITU-T Kaleidoscope event,” 2010信学総大,BK-2-1, March 2010.

(3) 総務省,“報道資料:国際電気通信連合(ITU)電気通信標準化局長選挙への我が国からの立候補,”令和3年9月1日.

(4) 総務省 国際戦略局 通信規格課,“国際電気通信連合電気通信標準化局長への立候補について,”情報通信審議会 情報通信技術分科会(第158回),資料158-4,令和3年9月28日.

(5) 外務省,“尾上誠蔵氏の国際電気通信連合(ITU)次期電気通信標準化局長選出について(外務大臣談話),”令和4年9月30日.

(6) 尾上誠蔵,武内良男,“W-CDMAの無線実験,”信学誌,vol.82, no.2, pp.131-137, Feb. 1999.

(7) 尾上誠蔵,山尾 泰,“モバイルアクセス技術,”信学誌,vol.84, no.2, pp.112-118, Feb. 2001.

(8) 尾上誠蔵,“第3世代携帯電話の国際標準化,”2008信学総大,TK-4-4, March 2008.

(9) 尾上誠蔵,“パートナーシッププロジェクトによる国際仕様策定,”信学誌,vol.95, no.2, pp.105-110, Feb. 2012.

(10) 尾上誠蔵,“DOCOMO Today:移動通信のデータ速度はどこまで上がるか?,”NTT DoCoMoテクニカル・ジャーナル,vol.12, no.2, July 2004.

(11) 尾上誠蔵,“巻末言:移動通信のデータ速度はどこまで上がるか?(パート3),”信学通誌,2010年秋号/no.14, p.79, Sept.2010.

(12) 尾上誠蔵,“巻頭言:移動通信のデータ速度はどこまで上がるか?(パート4),”京都大学電気関係教室技術情報雑誌(cue),no.41, pp.1-3, March 2019.

(13) 尾上誠蔵,“社会インフラとしての移動通信システムの発展,”信学誌,vol.103, no.2, pp.110-116, Feb. 2020.

(2023年4月21日受付 2023年5月19日最終受付) 

奥村 幸彦

(おく)(むら) (ゆき)(ひこ)(正員:フェロー)

 1992からNTTドコモにおいて一貫してディジタル無線アクセス方式に関する研究,国際標準化,商用装置開発及び応用サービス創出に従事し,第3世代から第5世代に至る移動通信システムの実用化を推進.2020本会第57回業績賞受賞.現在,同社R&D戦略部シニア・テクノロジ・アーキテクト.IEEE Senior Member.博士(工学).著書「5Gの本」など.

用 語 解 説

セルラシステム
通信可能なサービスエリアを経済的かつ柔軟に構築・展開できるようにするため,移動通信システムではサービスエリアを多数のセル(Cell)と呼ばれる小さなエリアに分割し,各セルに基地局を配置してユーザ端末が近隣の基地局と無線通信するようにした方式を採用しており,これをセルラシステム(Cellular system)と呼ぶ.セルのサイズは,人口密集度すなわちユーザ端末の地理的な存在比率に応じて変えるのが一般的で,通信需要がより多く見込みる市街地などでは,より小さいサイズのセルを適用し,サービスエリア内に設置できる基地局数を多くすることで,当該エリア全体の端末収容数(同時に通信可能なユーザ数)を増大できる.1Gから現在の5Gに至るシステムは,基本的にセルラ方式を継続採用してきている.


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