解説 尾上誠蔵氏の国際電気通信連合(ITU)電気通信標準化局長就任にあたり――移動通信ネットワークの進化と国際標準化――[後編]

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Vol.106 No.9 (2023/9) 目次へ

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 解説 

尾上誠蔵氏の国際電気通信連合(ITU)電気通信標準化局長就任にあたり

――移動通信ネットワークの進化と国際標準化――[後編]

On the Appointment of Mr. Seizo ONOE as Director of the Telecommunication Standardization Bureau of the International Telecommunication Union(ITU): Evolution and International Standardization of Mobile Communications Network[Part 2・Finish]

奥村幸彦

奥村幸彦 正員:フェロー (株)NTTドコモ R&D戦略部

Yukihiko OKUMURA, Fellow (R&D Strategy Department, NTT DOCOMO, INC., Yokosuka-shi, 239-8536 Japan).

電子情報通信学会誌 Vol.106 No.9 pp.816-826 2023年9月

©電子情報通信学会2023

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 2022年9月30日に国際電気通信連合(ITU)電気通信標準化局長選挙が行われ,日本の候補である尾上誠蔵氏が選出され,2023年1月1日に同局長に就任された.本稿では,その意義と,尾上氏の国際標準化に対するこれまでの貢献及び今後の活動や展望などについて,2023年2月22日に本会が開催したIEICE ICT PIONEERS WEBINARシリーズ【第34弾】において尾上氏が「移動通信システムの現在,過去,未来」と題して講演された内容も参照しながら,前編と後編の2回に分けて解説する.

 今回の後編では,移動通信システムの進化と標準化の続きとして,システム世代ごとの開発と標準化の経緯とトピックを尾上氏の振り返りとともに解説した上で,将来ネットワークに向けた標準化の在り方やITUにおける活動予定について尾上氏の考えを紹介する.

キーワード:国際電気通信連合,ITU,電気通信標準化局長,国際標準化,移動通信システム

5.移動通信システムの進化と標準化(2)

 前編の最後に述べた移動通信システムの進化と標準化の続きとして,1G~5Gの各世代の技術開発と標準化に対する振り返りを,移動通信システムの発展経緯に関する尾上氏の本会会誌記事(13)からの引用と,同氏の本会Webinar講演におけるコメントとともに以下解説する.

5.1 1G,2G各世代の開発振り返り

 1Gは音声通話が主体のシステムで,音声伝送はアナログFM(Frequency Modulation),無線アクセス技術は,周波数分割された無線リソースを複数ユーザに割り当てるFDMA(Frequency Division Multiple Access)が用いられた.日本では,日本電信電話公社(以下,電電公社)が世界に先駆けて商用導入した大都市方式が,その後,大容量方式でチャネル間隔6.25kHzインタリーブまで狭帯域化されるなど,究極のアナログ方式に進化した(14).一方,世界各国・各地域でも独自のシステムが順次導入され,米国ではAMPS方式(Advanced Mobile Phone System),欧州ではNMT方式(Nordic Mobile Telecommunication system)やTACS方式(Total Access Communication System)などが導入され,互換性のない方式が乱立することとなった.この状況について尾上氏は,「1Gでは,それぞれの国で異なるシステムをそれぞれ展開したということで,グローバル標準に向けて努力することはなかったわけだが,これは,それぞれのシステムを作るのが大変で,標準化どころではなかったというのが実態である」と本会Webinar講演において述べられた.また,1Gの移動端末について以下のように述べられている.

 「現在,移動通信システム(セルラシステム(前編・用語))で使用する端末というと,携帯電話,スマートフォンがまず普通に思い浮かぶわけだが,実はこのセルラシステムを1979年に世界で最初に商用化した日本においては,当初自動車電話サービスとしてスタートした.(米国でも同様に自動車電話サービスとして米国初の商用セルラシステムが1983年10月にサービスを開始している.)これに対し,その時代から持ち運びのできる携帯電話に情熱を燃やして取り組んでいた方がいた.その方は,米国モトローラ社(当時)のMartin Cooper氏で,1973年にはプロトタイプの携帯電話を用いて街中でのデモンストレーション通話(図10・左写真)に成功している(15).私は,数年前に,移動通信分野のレジェンドの一人とも言えるCooper氏とお会いする光栄に恵まれ,図10・右写真のように和やかに会話をさせて頂いた.今年2023年は1973年からちょうど50年たったことになる.」

図10 「携帯電話の父」Martin Cooper氏と「LTEの父」尾上氏

 なお,上記のMartin Cooper氏は,上述した1979年に日本で商用化されたシステムの実現に貢献した電電公社電気通信研究所の奥村善久氏(16),1983年に米国で商用化されたシステムの実現に貢献したAT & Tベル研究所のRichard H. Frenkiel氏,Joel S. Engel氏,及び1981年から1986年に欧州で順次商用化されたシステムの実現に貢献したThomas Haug氏とともに,「世界初のセルラ電話ネットワーク,システムおよび標準規格に対する先駆的貢献」により工学分野のノーベル賞とも称される全米工学アカデミー(United States National Academy of Engineering, NAE)の「チャールズ スターク ドレイパー賞(Charles Stark Draper Prize)」を2013年に受賞している(図11).ちなみに,奥村氏は1971年に単身,米国のAT & Tベル研究所を訪問し,セルラ方式自動車電話の研究を推進していた同研究所メンバと1日議論したことがあり,その中にFrenkiel氏とEngel氏が含まれていた.更に,1973年にCooper氏が試作携帯電話機で初めてデモンストレーション通話を行う際,通話先として選んだ相手はEngel氏で,予告なしのサプライズ通話であった(15).当時互いにセルラシステム開発の競争相手でもあった彼らは,実に約40年の時を経て,2013年NAE表彰式において再会を果たした.

図11 セルラシステムの先駆者としてNAEから表彰された方々(左から,奥村氏,Haug氏,Frenkiel氏,Engel氏及びCooper氏)

 続いて,2Gでは音声サービスも含め全てのサービスがディジタル方式となった.無線アクセス技術は,時間分割された無線リソースを複数ユーザに割り当てるTDMA(Time Division Multiple Access)が主に用いられたが,後に符号分割された無線リソースを用いるCDMA(Code Division Multiple Access)も導入された.データ通信サービスが始まり,2Gの発展システムにおいてパケットデータ伝送の仕組みも導入された.この2Gでは,システムのグローバル統一を目指す一部の動きがあったが,結果的には複数システムが開発・導入され,欧州のGSM(Global System for Mobile communications),日本のPDC(Personal Digital Cellular system)(17),米国のD-AMPS(Digital-AMPS,規格名IS-54,IS-136)と後に導入されたcdmaOne(規格名IS-95)が代表的なシステムであった.この2Gの導入と普及について,尾上氏は本会Webinar講演において次のように述べられている.

 「2Gになると,標準化されたシステムが導入され,マーケットの努力によって普及するケースが出始めた.まず最初に着目したいのが,ヨーロッパで標準(GSM)を作ったという点であり,このGSMが後に事実上の国際標準になって世界に広がったことが一番大きなポイントである.基本的には,日本と韓国を除き全世界に普及したということであり,図12(a)に示すように,1998年の時点で全世界のセルラ加入者のうちGSMが2G(Digital)の半分以上を占めており,地域ごと(同図(b))ではヨーロッパ,アフリカにおいてGSMが9割近くを占めている.この時点で,日本ではPDCが2Gとして普及しつつあり,日本の市場だけでサービスしているPDCが世界の11%を取っていたということは,ディジタル化に関して日本は進んでいたと言えるが,その後,GSMが更に世界的に広がって,長い目で見ればGSMに席巻されていく形になった.この世界中にフットプリントを広げたGSMは,後の世代の標準化にも大きく影響した.」

図12 世界における2Gの普及状況〔©ITU(Figure 3 of WTDR1999(18))〕

5.2 3G,4G,5G各世代の標準化振り返り

 3Gでは,無線アクセス方式としてCDMAが本格導入された.更にパケットデータ伝送に特化して,適応変調符号化の採用など,高速化,効率化を図る技術進化が続いた.一方,3Gでは,世界統一標準の実現が大きな目標となった.ITUには多数の提案がなされ,最終的に複数のモードを持つ一つの標準として整理されたため,結果として互換性のない複数の規格が存在することになったが,主要な規格はW-CDMA(Wideband CDMA)(19)とCDMA2000(20)の二つに絞られた.世界標準を目指して熾烈な駆け引きと様々な調整活動が行われ,この最終決着に至った.

 3Gの標準技術仕様開発には新たな手法が採られた.技術仕様作成の場を全世界で一つにし,そこで開発された技術仕様を各国・各地域の標準化機関が標準規格に採用するというパートナシッププロジェクト(用語)が開始された.ITUの外で開発された詳細技術仕様をITUが間接的に参照するという新たなフレームワークの始まりであった.実際には,W-CDMA仕様作成のための3GPP(3rd Generation Partnership Project),CDMA2000仕様作成のための3GPP2が順次設立され,各プロジェクトにおいて当初システムが標準化された後,引き続きパケットデータ伝送を進化させたHSPA(High Speed Packet Access),EV-DO(EVolution Data Only)がそれぞれ標準化されている.

 3GPPの設立前後の標準化の状況について,尾上氏は本会Webinar講演において以下のように当時を振り返られている.

 「3Gの実現に向け,初めて世界統一標準を作ろうという機運が盛り上がることになったが,逆に,そのために対立する陣営同士の熾烈な戦い,争いも起き,その中で3Gができてきたということになる.

 まず,ヨーロッパでの方式統一に向けた検討状況だが,ここでは,最終段階で5方式に絞られた後,その中で有力なW-CDMAとTD-CDMAの二つの方式で最後までもめていた.当時,既に日本としてはW-CDMAに決めており,この方式に決まってもらわないと困るということから,ドコモとしてもW-CDMAを応援するため密接に関わった.TD-CDMA陣営の盟主であったシーメンスと直接何度も技術議論を行うとともに,ヨーロッパのオペレータともいろいろと協力し合いながら賛同を取り付け,W-CDMA派を増やしていくべく努力した.W-CDMAと組み合わせるコアネットワークについては,世界中に広がっているGSMベースにすべきということを主張した.

 最後はヨーロッパの標準化団体であるETSI(European Telecommunications Standards Institute)の中で投票まで行ったが両方式とも必要な票数を得られず,議論の末に妥協案として合意されたのが,W-CDMAとTD-CDMAの両方式を採用した上で,図13に示すように,FDD方式(端末から基地局への無線伝送で用いる上りリンクと基地局から端末への無線伝送で用いる下りリンクで別の周波数(Paired band)を使う方式)向けの周波数帯にはW-CDMA,TDD方式(上りリンクと下りリンクで時間を分けて同じ周波数(Unpaired band)を使う方式)向けの周波数帯にはTD-CDMAを使うことになった.

図13 3Gの方式として合意されたW-CDMAとTD-CDMAの周波数使用形態

 先に述べた両陣営間の技術議論において,各陣営の中心となって技術論争していたのは私とシーメンスのWerner Mohr氏であるが,その後,彼から提案があって,IEEEのCommunications MagazineにITUのIMT-2000無線インタフェースに対する3GPP提案をまとめた共著の論文(21)を投稿し,掲載された.昨日の敵は今日の友ということで,この件も含め仲間が広がっていった.この後,4Gに向けて3GPP2のCDMA2000との論争があるわけだが,その際,かつて対立していたW-CDMA派とTD-CDMA派は,3GPP仕様として一緒になっているので,同じ仲間として戦った.」

 3GPPのW-CDMAと3GPP2のCDMA2000の世界統一に向けた議論状況について,尾上氏は次のように振り返られている.

 「世界統一標準をどう決めるかという最終局面の議論は,W-CDMAとCDMA2000との間の議論になった(図14).これに関しては,本当にもめて,標準化機関はいろいろな会議を催したが,なかなか解決しない.そこで,オペレータもいろいろな努力をしたが,これもなかなかうまく行かない.最終的には,Operator Harmonization Groupが,Harmonize案を提言し,技術的な落ち着きどころとしてHarmonized Global 3G Technical Frameworkという形に決まった.

図14 3Gにおける世界統一標準に向けた議論

 対立の構造としては,まず,オペレータ同士での議論の場(ドコモ対Sprint, AirTouch, Bell Atlanticなど)があり,技術的な議論になると,それぞれのバックについているベンダを巻き込んだ議論になった.そして,最後は,ベンダ同士での特許の争いも含め,非常に熾烈を極めた議論になり,個人的には,このまま行ったら,もう3Gの標準は未来永劫できないのではと感じたこともあった.最後は,特許の争いに決着がついたことなどがあって,両方を認めるという形にすることで落ち着いた.一つの世界標準を目指していたのだが,実際には複数の規格が存在する世界標準になったことで,本当の世界統一標準ができるのには,もう少し時間を待たなくてはならなかった.」

 次に,4Gでは,マルチパス干渉への耐性の高いOFDMA(Orthogonal Frequency Division Multiple Access)が下りの無線アクセスとして新たに採用され,上りは移動機送信の負荷を考慮しSC-FDMA(Single Carrier FDMA)が採用された.また,複数アンテナを用いて送受信を行うMIMO(Multiple-Input Multiple-Output)や複数の無線周波数帯域を束ねて使用するキャリアアグリゲーションなどの技術の導入により無線伝送容量が増大し,データ速度の高速化に拍車がかかった.他方,データ速度に制約があるものの,低消費電力でIoT向けに特化した技術も導入されている.

 また,4Gでは,3GPPのW-CDMA及び3GPP2のCDMA2000のそれぞれの発展形としてLTE(Long Term Evolution)及びUMB(Ultra Mobile Broadband)が仕様開発されたが,UMBは実装されず,LTEが唯一の実装された標準となった.更に,セルラシステムの技術はその利用領域をセルラ以外にも広げている.例えば,WMAN(Wireless Metropolitan Area Network)として多くの国・地域に導入されたWiMAXも,その次世代方式WiMAX Release 2.1ではLTE技術を採用しており,PHSの次世代方式も同様である.更に,LPWA(Low Power Wide Area)技術の一つとしてLTE-Mとも呼ばれるカテゴリーM1やNB-IoT(Narrow Band-IoT)の導入が進んだり,免許不要周波数帯をLTEに使うLAA(Licensed-Assisted Access)などの動きも出てきた.

 3Gから4Gへのマイグレーションと標準化の状況について,尾上氏は本会Webinar講演において以下のように振り返られている.

 「4Gは,ある意味初めて一つの標準に収れんした世代と言える.ただし,それは標準化の努力というよりマーケットの流れ,市場の動向からきたものであると言わざるを得ず,また時間もかかった.

 W-CDMAとCDMA2000の普及状況を見ると,CDMA2000はいわゆるcdmaOne(米国で標準化された2G相当のシステムで規格名はIS-95)との親和性が良くて立ち上がりが非常に早かったが,W-CDMAはなかなか2Gからの移行が進まない状況にあった.しかし,W-CDMAはGSMのコアネットワークを使っているというフットプリントがあるということで,時間がかかるにしても,GSMはいずれW-CDMAへ移行することが明確であり,その将来性を示すことができていた.ただし,実際の移行には10年近い時間がかかった.

 そのような状況から,CDMA2000のオペレータからは,同システムの発展形であるUMBは採用せず,W-DCMAの発展形であるLTEを採用するという発表が相次いだわけである.最初の発表は米国のVerizonからであった.Verizonは,1990年代後半にW-CDMAとCDMA2000が争っているときはまだ存在しておらず,当時のAirTouch, Bell Atlanticなどが合併してできた会社であるが,その後,CDMA2000の最大のオペレータになった会社である.そのVerizonが,LTEの採用を決めたということが大きな転機となって,LTEを採用するCDMA2000オペレータが増えていった.結果的にUMBを採用するオペレータは実質いなくなりLTEへ一本化されることとなった.

 4Gのもう一つの側面を見ると,最初の段階で4Gはそれほど快く受け入れられたわけではなく,3Gで大きな投資をしたオペレータは,その直後に「更に良い技術があると言ってもらっては困る」ということで,なかなか受け入れてもらえなく,4Gの検討をどのように進めるかについていろいろと難しい面があった.例としてドコモの状況を言うと,当時,4Gの研究成果はどんどん出てきており,2002年には100Mbit/s,2004年ぐらいには既に1Gbit/s台の無線データ伝送実験に成功していたわけだが,その一方で,3Gの商用サービスの状況を見ると,なかなか市場に受け入れてもらえずユーザが増えないといった厳しい状況にあった.

 このような3Gの経験を通して,マイグレーションシナリオをしっかり示す必要があるという点を教訓として学んだことから,4Gに向けては図15のSuper 3G concept(3.9Gに相当し,後にLTEとなる)を提唱したわけである.

図15 Super 3G concept

 当時,3GPPへ提案する段階では,システムを表す用語としてまだ「LTE」という名称は存在しておらず,4G,あるいは,単なる一般用語として3Gのlong-term evolutionという言葉を使った.その後,2004年12月,賛同を得た世界の主要ベンダ,オペレータ26社とともにLTEの検討開始を提案した(22).省略形のLTEがワークアイテム名になり,そのままLTEがいろいろなところで使われるようになって,業界ではLTEが普通に通じる言葉になった.」

 続いて,5Gでは,単一技術よりも複数の技術の組合せで新たな特徴を生み出すことが重要となった.全く新しい概念の無線アクセス方式といった単一技術によって代表されるのではなく,4Gの技術をベースとした様々な拡張と技術の組合せで性能を進化させ,ミリ波などの高い周波数帯の適用も想定して設計されている(23).一方,5Gの標準化では,3GPPにおいて,5Gから新たに導入されたNR(New Radio)の技術仕様と,LTEをベースとした技術の拡張仕様が開発され,最初の標準仕様(Release 15)が2018年6月に完成し,その後継仕様(Release 16)が2020年6月に完成した.また,ITUにおいて,これらの仕様がIMT-2020無線インタフェース勧告として2021年2月に承認(24)され,開発途上の国々などを含めた全世界への普及が今後期待される.

 ところで,5Gは,移動通信のみならず固定無線アクセスの手段として期待されている市場もあり,この点でも利用領域を広げている.セルラシステムの技術標準が収れんし,他方,その利用領域が拡大していくというトレンドは,5Gまでは続いてきているが,標準規格間の競争やソフトウェア実装の進展などで,その先の世代では逆のトレンドになる可能性も否定できない.

 このような5Gについて,尾上氏は本会Webinar講演において以下のように述べられている.

 「先に述べた4Gが5Gに向けてどうなったかというと,標準化の流れとしては完全に4Gからの自然かつシームレスな進化となり,4Gで一つに統一された世界標準が,5Gで再度バラバラになることはなく,そのままシングルスタンダードが続いている.この5Gについては,ある意味ブームとなって,いろいろな興味を惹かれるようになり,テレコム業界以外からも注目を浴びるようになったが,これには良い面と悪い面の両面があったものと考えている.

 5Gがどのぐらいブームになったかを測定するために,私が毎年参加しているMWC(Mobile World Congress,移動通信事業者などから構成される業界団体のGSMA(GSM Association)が主催する世界最大級の移動通信分野の展示会)において,会期中発刊されるDaily Newsのヘッドラインに出現する「5G」という単語をカウントしたところ,2013年から2014年にかけて散見され,2015年で最も多くなったことから,バズワードではあるが2015年から5Gのブームが始まったと分析している.

 5Gブームが巻き起こった頃,「全てのものを新しくする必要がある」という考えとともに,余り関係がないことまでも5Gと呼ばれている状況があった.これに対して,「4Gからシームレスに進化する5Gは既存の設備を活用できることが前提であり,もっとみんな落ち着きましょう」というために,図16(a)に示す「5G bandwagon」のスライドを作った.これは,多くの人が5Gのバンドワゴン(行列の先頭をいく音楽隊の車)に乗ろうとしている状況を示すことで,時流に乗り遅れまいとしている人が多くいることを風刺した(経済学で言う「バンドワゴン効果」を引き合いに出した)ものであるが,このスライドは結構受けが良く,Instagram,TwitterなどのいろいろなSNSにも投稿された.その後,このスライドの反響を紹介するプレゼンを行うようになったのだが,そのプレゼンをしている私の写真を撮ってくれた人がいて,彼は,「これを次のプレゼンで紹介し,その写真を撮って,また次のプレゼンで紹介するということを繰り返し続けてみたらどうか」と提案してくれ,それは面白いということで実際に続けている(同図(b)).このプレゼン写真のシリーズは,そのうち聴衆との集合写真を撮るというシリーズに変化し,更に,COVID-19により物理的に集合できなくなると,バーチャネルな集合写真を合成して作ることで継続した.

図16 5G bandwagon

 このシリーズで引き継がれてきた元々のスライド(図16(a))は,「余り浮かれないで地に足をつけて5Gの議論をした方がよいのではないか」という趣旨(すなわち悪い面を指摘するもの)であったが,一方,良い面で言うと,テレコム業界以外のいろいろな業界からも5Gが興味を持たれるようになって,そのことが新たなビジネスを生み出すきっかけとなり,非常に良いことではないかと考えた.そこで,スライドのメッセージを変えて,「この際,みんなで5G bandwagonに乗ってCross industries collaborationsの下,新しいビジネスモデルを創っていこう」という,メッセージに変えたのである(同図(c)).

 この良い面により5Gが盛り上がってくると,そのうち早く5Gをローンチ(商用導入)したいと思うオペレータが出てきて,業界的には少し混乱を招いたと思っている.具体的には,当初の目標である2020年に対して,米国のオペレータが2017年に5Gを始めたいと言い出したことであるとか,韓国では2018年2月のピョンチャン・オリンピックを目指すということがあったりした.

 3GPPにおける標準化作業は,従来,その進捗が遅れることはあっても,前倒しされることはなかったのだが,5Gローンチに向けた先述の状況により,標準化の作業計画を前倒しするという議論がなされた.これは大変珍しいことであるが,業界内では特にベンダが,標準仕様がしっかり固まる前に先行してものを作るのは,将来を考えるとかえって効率が良くないためどうにかしてほしいと,水面下で私のところへ助けを求めてくる場面もあった.一方,公の場でも,余り早くやるとfragmentationが起きるのではないかということに対していろいろな議論があった.

 そのような経緯をたどりながらも,とりあえず2018年10月に,固定通信サービスの位置付けではあるが世界で初めてVerizonが商用5Gサービスを始めたということになっている.ただし,これについては標準化に準拠していないのではないかという批判もあった.更にその後,世界初の5Gスマートフォンの商用化を巡って,韓国と米国のどちらが最初であったかという議論があるなど,ローンチ競争が過熱し,ある意味混乱が生じている状況でも,それが技術の進化を後押ししたという要素もあると考えている.

 このような競争の中にあって,日本は出遅れており,普及も遅いといった指摘が最近まで続いているが,結果として商用サービス開示時期が他国に比べて遅いタイミングとなったのは事実であるものの,5Gに向けた初期の検討段階では,日本のメンバが結構リードしていたこともあり,実際に5Gの実現に向けて活動してきた私としては,何となく違和感がある.このような感覚を持つ要因の一つには,何が何でも一等賞になる,すなわち商用導入が最も早ければよいという問題ではないことを3Gのときに学んだという経験がある.これは,ドコモが2001年に3Gの商用サービスを早期に開始してから,その後,振り返ったら誰も付いてきておらず,3Gを導入するオペレータが増えてくるのは1年から2年もたってからということがあった.そこで,4Gでは何が何でも一番ということではなく,先頭集団の一員としてサービスを開始するという方針で進めた.5Gでは,世界中のオペレータがローンチしている中,日本が遅れ気味になっているのは事実であるが,ローンチの時期よりは,5Gを活用してビジネス的にどれだけ成功させるかがポイントではないかと思っている.せっかく,5Gにおいて業界を超えた協力関係の中で新たなビジネスを生み出していくという機運があり,今後これをしっかりやっていかないといけないと思っている.」

6.将来ネットワークに向けて

6.1 12G予測と標準化の在り方

 6Gから先の移動通信システム世代に対し,2020年1月に発行された情報処理学会の会誌記事(25)において尾上氏は,「6G,7G,8G……10Gとやみくもにブランディング目的で世代の数字を上げるのでなく,確かな技術をベースに,個人生活や社会課題解決に貢献する新世代が生まれ続けることを期待したい.」と述べられている.その上で,将来システムの標準化の在り方を,尾上氏は本会Webinar講演において以下のように述べられている.

 「最近感じることとして,技術というよりマーケティング目的で移動通信システムの世代がどんどん上がっていくのはいかがなものかと思っており,そこはしっかりと地に足を付けてやっていかないといけないのではないかと思っている.そして,世代がどこまで上がるのだろうかということが次の私の関心事になっている.あるイベントの講演時に,壇上から聴衆の皆さんに聞くと,10Gという答えが返ってきたので,10Gは偶数であり良い番号ですねとコメントしたが,また別の機会に聞くと,11Gという答えが返ってきて,11Gはちょっと奇数だから良くない,あなたは私の第2法則(前編4.1参照)を知らないのですかというと,なるほどと言って12Gに修正するということがあった.

 ITUの標準化局長に立候補するかなり前になるが,ボスから「標準化はこれからも必要なのか,君はいつまで標準化に関わるつもりなんだ」と言われたことがあり,「標準化はいるに決まっています.世界中でつながるために絶対必要なんです」とその場では答えた.しかし,後でよく考えると,ひょっとしたら勝手にノード間,端末とネットワーク間で交渉してプロトコルを決められたら,それは標準仕様がなくてもつながるかもしれないと思った.ただし,システムを,例えばソフトウェア処理に全部置き換えるとすると,その処理のために非常に多くの電力を消費するので,今の技術では当然実現するのは無理だが,それが10~12Gの時代にはできるかもしれないと思い,後にボスに対して,「おっしゃったことは正しいかもしれません」と話したわけである.

 いずれにしても,将来世代では,図17のように,そもそも標準仕様の境界がなくなる時代がいずれ来るかもしれない,それが10~12Gかもしれないといったストーリーである.ただし,これが実現されるためには,超低消費電力でハードウェア・装置が動作できるような技術が必要になるが,10~12Gの時代には実現可能になるかもしれないということである.実は,標準化局長の選挙活動中にも,この話を何回かしたのだが,その際,標準化局長に立候補していながら標準化が要らなくなるというつもりはなく,本当に伝えたいメッセージは,「技術の変化に対応して,標準化そのものがやり方を含めていろいろと変わっていかないといけない」という点を主張した.」

図17 将来世代の標準仕様

6.2 尾上氏の局長としての今後の活動

 ITU電気通信標準化局長としての今後の活動について,尾上氏は本会Webinar講演において以下のように述べられている.

 「私はこれまでの経歴から移動通信に対する強い思いがあるわけだが,この移動通信は,すなわち「無線通信」だと思って,ITUでいうと無線通信部門(ITU-R,前編2.1参照)が主導しているのではないかと思われがちである.実際の移動通信ネットワーク(図18)は,確かに無線は重要な部分であり投資の半分以上を占めてはいるが,技術的にはいろいろな要素で成り立っており,図18の移動通信ネットワークの構成において記載したワードは,全てITUの電気通信標準化部門(ITU-T,前編2.1参照)のスタディグループの中で取り組んでいる内容である.また,移動通信と固定通信の関係(図19)においても,移動通信は,Radio以外(Non-Radio)の部分に属する多くの機能や技術が固定通信と共通の要素で構成されており,それによって移動通信サービスが成り立っている.これらが移動通信産業として重要な部分であることを再認識しながら,ITU-Tでの活動をしっかりやっていきたいと思っている.」

図18 移動通信ネットワークの構成

図19 移動通信と固定通信

 また,尾上氏は,「私の局長選挙の期間中に強調していたことは,標準仕様を作ることは重要であるが,その標準が実際に普及して初めて意味があるのであり,世界中で開発途上国,先進国問わずその恩恵を受けることができるという点である.“Outreach worldwide”,これが私のコミットメントの一つであった.

 2015年に広島でITUの電気通信開発局(ITU-D,前編2.1参照)が主催した会議があり,そこに招待されてパネル討論に出席したところ,アフリカのある国の出席者が,「ブロードバンドが必要だが,どうやって作ればいいのか?」また,「高速なだけでなく安く作らないといけないのだが,手頃な価格でシステムを作るにはどうすればいいのか?」と尋ねてきた.答えに少し困ったが,単なるコネクションの提供ではなくて,もっと意味のあるもの,いろいろなものに使えるコネクションを提供しなければいけないと,新たな気付きでもあった.

 図20は移動通信システムの各世代について普及率の時間経過を地域ごとに示したグラフである.例えば,3Gに着目すると,その普及率の増加は地域によって10年以上の差がついていることが分かる.この差をいかに埋めていくかが大きな課題であり,これは正に,先に述べたBridging the standardization gapというITUの取り組んでいる重要な課題(前編2.2参照)である.ちなみにこの普及率の地域差が4Gでどのようになっているかというと,中国が3Gに比較してより速い段階で立ち上がっているが,他方,アフリカの立ち上がりが低調であり,これも含めた全体で見ると大きな差が残っている.」と述べられている.

図20 移動通信システムの各世代における地域ごと普及率

 最後に,尾上氏は,「国際標準化においては,マーケティング戦略に惑わされることなく,持続的に技術を進化させ続けることが重要であると考える.標準化における日本の役割は何かと聞かれることがよくあるが,日本を含む先進国の役割は,やはり技術をリードしていくことが重要な役割であると答えている.技術の広範な普及は全世界に利益をもたらすことになる.ここで,図21に示すように,Standardization Gapすなわち技術のギャップを縮めながら,更に全体として前に進めていくことがITUの立場で行うべき大きな役割ではないかと考えており,今後取り組んで行きたい.」と本会Webinar講演を締めくくられた.

図21 技術の進化とStandardization Gapの縮小

7.お わ り に

 スイスのジュネーブにあるITU本部は,現在,図22(a)に示す三つのビルから構成されており,2023年1月に尾上氏が局長に就任されたITU電気通信標準化局(TSB)のオフィスは,壁面が全面ガラスで覆われたMontbrillant Building(同図・左)にある.筆者が尾上氏にお会いするため,同年6月にTSBオフィスの局長室を訪問した際の写真を図22(b)に示す.世界中を飛び回られている尾上氏だが,ITU本部に戻られたときも,同図・右下に写っている伸縮式の緑の背景スクリーンを広げ,世界中とオンライン接続による講演,会議などを頻繁にこなされている.(本会Webinar講演では,局長室のガラス窓から見える眺めを背景として尾上氏にお話頂いた.)

図22 ITU本部とTSB局長室の尾上氏(2023年6月1日撮影)

 尾上氏は,移動通信業界では「LTEの父」と呼ばれているが,本稿で述べたように,移動通信のこれまでの発展におけるもう一つの重要な功績から「移動通信国際標準の父」でもある.移動通信各世代の標準化の最先端において自ら活動を続けてこられ,標準化の本質が何であるかを知る尾上氏が,今回,ITUの電気通信標準化局長になられたことは,将来に向けた電気通信分野の発展に向けて大きな意義を持つものと確信する.そして,尾上氏が述べられた期待に応える形で,5Gの発展と6G以降も,日本が産学官の連携による移動通信システムの技術をけん引し続けることを切に願いつつ,2回に分けて解説した本稿を終えたい.

文     献

(13) 尾上誠蔵,“社会インフラとしての移動通信システムの発展,”信学誌,vol.103, no.2, pp.110-116, Feb. 2020.

(14) 倉本 實,木下耕太,“移動体通信方式のれい明―自動車電話から携帯電話へ―,”信学誌,vol.89, no.8, pp.740-745, Aug. 2006.

(15) Martin Cooper, Cutting the Cord: The Cell Phone Has Transformed Humanity, RosettaBooks, Jan. 2021.

(16) 奥村幸彦,“開発物語:移動電波伝搬「奥村カーブ」の確立と世界初商用セルラ電話の誕生に向けて,”信学通誌,2014年夏号/no.29, p.66-73, June 2014.

(17) 木下耕太,中島昭久,若尾正義,M.J. McLaughlin,“ディジタル移動通信方式,”信学誌,vol.77, no.2, pp.161-173, Feb. 1994.

(18) ITU, “World telecommunication development report 1999, mobile cellular,” Oct. 1999.

(19) 尾上誠蔵,“W-CDMA方式の研究から商用システム開発まで,”信学通誌,2014年秋号/no.30, pp.106-109, Sept. 2014.

(20) 城田雅一,石田和人,“衛星通信への拡張も始まった3GPP2の携帯電話システム開発,”信学通誌,2014年秋号/no.30, pp.123-126, Sept. 2014.

(21) P. Chaudhury, W. Mohr, and S. Onoe, “The 3GPP proposal for IMT-2000,” IEEE Commun. Mag., vol.37, no.12, pp.72-81, Dec. 1999.

(22) NTT DoCoMo, Alcatel, Cingular Wireless, CMCC, Ericsson, Fujitsu, Huawei, LG Electronics, Lucent Technologies, Mitsubishi Electric, Motorola, NEC, Nokia, Nortel Networks, Orange, Panasonic, Philips, Qualcomm Europe, Samsung, Sharp, Siemens, Telecom Italia, Telefonica, TeliaSonera, T-Mobile, Vodafone, “Proposed study item on evolved UTRA and UTRAN,” 3GPP TSG-RAN Meeting#26, RP-040461, Dec. 2004.

(23) 奥村幸彦,須山 聡,“第5世代移動通信システム―スマート社会の実現―,”信学誌,vol.103, no.2, pp.142-148, Feb. 2020.

(24) 総務省,“報道資料:国際電気通信連合(ITU)におけるIMT-2020無線インタフェース勧告案の承認,”令和3年2月5日.

(25) 尾上誠蔵,“巻頭コラム:移動通信のデータ速度はどこまで上がるか?(パート5),”情報処理,vol.61, no.1, pp.2-3, Jan. 2020.

(2023年4月21日受付 2023年7月20日最終受付) 

奥村 幸彦

(おく)(むら) (ゆき)(ひこ)(正員:フェロー)

 1992からNTTドコモにおいて一貫してディジタル無線アクセス方式に関する研究,国際標準化,商用装置開発及び応用サービス創出に従事し,第3世代から第5世代に至る移動通信システムの実用化を推進.2020本会第57回業績賞受賞.現在,同社R&D戦略部シニア・テクノロジ・アーキテクト.IEEE Senior Member.博士(工学).著書「5Gの本」など.

用 語 解 説

パートナシッププロジェクト:3GPP/3GPP2
3Gの標準化に当たり,ITUに対して各国からW-CDMAに関する類似の提案があったため,技術仕様を作成する場を一つにする必要が生じた.そのため,日本,欧州,米国,韓国,中国の標準化機関が話し合い,3GPP(3rd Generation Partnership Project)が1998年12月に設立され,各国からの提案を基に一つの3GPP標準仕様を策定する作業を行うこととなった.この3GPPの作業班などの会合への参加は,国や地域の代表ということではなく,個人資格での参加となっている.同様にもう一つの3G提案方式であるCDMA2000の技術仕様を策定するために3GPP2が1999年1月に設立された.これらの団体の活動は,技術の進展とともに新たな技術仕様を策定するなど,継続的に行われてきており,策定された仕様が各国や各地域の標準化機関の標準として引用されている.


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