知識の森 無線通信に用いられる送信用電力増幅器

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Vol.107 No.2 (2024/2) 目次へ

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知識の森

マイクロ波研究専門委員会

無線通信に用いられる送信用電力増幅器

石川 亮(電気通信大学)

本会ハンドブック「知識の森」

https://www.ieice-hbkb.org/portal/doc_index.html

1.無線通信に用いられる送信用電力増幅器とは

 スマートフォンが重要な生活インフラとなりつつあるが,電波での情報のやり取りにおいて,無線基地局から携帯端末へ,そして携帯端末から無線基地局へと電波を届けるための重要な部品の一つが送信用電力増幅器である.電波を遠くまで届けるためにはアンテナから放射する電波に多くのエネルギーを与える必要があるが,携帯端末から無線基地局への送信においてはバッテリーの電力を多く使用することになる.携帯端末の全消費電力の内で送信用電力増幅器の消費電力の占める割合はおおよそ2~4割程度である.したがって,送信用電力増幅器には,電気信号波形の形をひずませないように綺麗に増幅するための線形特性と,電力増幅器内での発熱により失われるエネルギーの損失を抑制するための高効率性能とが同時に求められる.

 しかしながら,この両者の特性は一般にトレードオフの関係があり両立が困難である.増幅回路には通常トランジスタが用いられるが,トランジスタを線形に動かすためには常にある程度の電流を流し続ける必要があり(A級アンプと呼ぶ),その分トランジスタ内での電力消費が多く生じて自己発熱として熱エネルギーに変換されてしまう.一方で,これを抑制するために電流が小さくなるように調整すると(B級アンプやC級アンプなどと呼ぶ),効率は上昇するが,トランジスタの非線形性が強くなって波形がひずむことになる.

 上記に加え,無線通信用の場合は扱う信号の形状にも注意を払う必要がある.通信用の信号は多くの情報を乗せるために高度なディジタル変調(ディジタルの原信号を搬送波(周波数がGHzオーダの高周波(RF : Radio Frequency)正弦波)に乗せる処理)が施してあり,その電気信号の時間波形は図1に示すように複雑な形状となる.また電気信号を周波数領域で見ると,そのスペクトラムは一定の帯域幅を有している.時間波形における振幅の電力平均値とピーク電力値との比をPAPR(Peak to Average Power Ratio)と呼んでおり(図1),ディジタル変調信号の指標の一つである.また,この平均電力レベルのことをバックオフ領域,ビーク電力レベルのことを飽和領域などと呼ぶ.乗せる信号の情報量を増やそうとすると信号の周波数帯域幅が増え,PAPRも大きくなり,広帯域ディジタル変調信号などと呼ばれる.

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 話を増幅器に戻すが,電力増幅器では増幅素子であるトランジスタを中心に,信号の入力側及び出力側に整合回路と呼ばれる受動素子(主に,コイル,コンデンサ,分布定数線路などの電気回路素子)からなる回路が接続されており,トランジスタの増幅能力を最大限引き出すように回路構成及び素子値が設計される.このとき,回路素子に抵抗を用いると損失が生じて効率を大幅に低下させるため,一般に電力増幅器の整合回路には抵抗を用いない.(ただし,今回は説明を省略するが,増幅回路を設計する際にしばしば望まない寄生発振(信号を入力していないのに想定外の周波数の信号が出力される現象)が生じる場合があり,これを抑制するために抵抗素子を用いる場合がある.)抵抗以外の回路素子は一般に,そのインピーダンス(リアクタンス)が周波数で変動する性質を持っているため,広帯域の増幅器を設計するには整合回路の回路構成を工夫する必要がある.

 昨今の送信用電力増幅器設計の方針は,多少の波形ひずみを許容して高効率性能を重視する傾向にある.これは,増幅器の外部から施すことが可能であるひずみ補償技術により線形性を改善できるためである.ひずみ補償技術には幾つか方法があるが,よく用いられるのが,増幅器の入力信号をあらかじめ逆ひずみの状態にしておき,増幅後に線形となるように調整する方法で,これをディジタル信号処理で行うものをディジタルプレディストーション(DPD)と呼び,線形性が重要視される無線基地局などで多用されている.

2.バックオフ領域での効率改善手法

 無線通信用の電力増幅器を高効率に動作させるためには,動作の多くの時間的割合を占めるバックオフ領域での効率を向上させる必要がある.しかしながら,通常の増幅器は,非線形性が強くなる飽和領域で効率が上昇し,バックオフ領域では効率が大きく低下する.そのため,複数の増幅器を組み合わせるなどの工夫が施されている.ここでは,三つの構成について簡単に紹介する.

 一つ目のドハティ増幅器(1)は,メイン増幅器と補助増幅器の二つの増幅器を用いて構成される.メイン増幅器はA級アンプとB級アンプの間くらいで動作するAB級アンプであり,補助増幅器はC級アンプである.このC級アンプは,信号未入力時に電流がほぼ流れない状態となっているため,バックオフ領域で補助増幅器は動作せず,メイン増幅器のみが動作する.ここで,メイン増幅器がバックオフ領域で飽和動作するように電力レベルを調整して設計されていると高効率動作が実現される.一方で,飽和領域では,両方の増幅器が飽和動作し,ここでも高効率が実現される.ここで重要なのが,補助増幅器がバックオフ領域から飽和領域に移り変わるとき,入力増加により停止状態から動作状態に切り換わる過程での出力インピーダンスの変化を利用してメイン増幅器に対して行われる負荷変調(負荷が変化すること)である.これにより,メイン増幅器がバックオフ領域及び飽和領域の両方で高効率飽和動作となる.この基本原理を基に,各々の増幅器のほかに,分配器,位相調整線路,負荷変調を含む合成器,等々を用いて構成される.ドハティ増幅器は全てが高周波(RF)帯で動作しているため,運用が簡単であるが,広帯域化に際し,負荷変調回路も含めて全ての構成要素を広帯域化する必要がある.

 二つ目のエンベロープトラッキングでは,増幅器が飽和動作領域で高効率になることを利用し,バイアス電圧を入力信号の振幅振動に同期して変化させ,常に飽和動作状態となるようにしている.そのための構成として,原信号の周波数帯であるベースバンド周波数帯で振幅変動している変調信号のエンベロープを検出する回路,そして,そのエンベロープに応じてバイアスを変化させるためのベースバンド帯域のバイアス変調回路が加わる.基本は増幅器のみがRF帯で動作するため,RF帯設計は増幅器の広帯域化のみとなるが,広帯域化に際し,バイアス変調回路をDC~数十MHzという比較的広い帯域幅で,かつ,特に近年よく用いられるGaN HEMT素子を用いた増幅器では大きな電圧範囲で動作させる必要があり,その高効率動作が比較的難しく,このバイアス変調回路が重要となる.最近の構成(2)では,ディジタル回路からアップコンバータによりRF変調信号を生成する前にエンベロープ信号を別途生成しており,RF回路部分の負担を極力減らしている.図1に一例を示しているが,スイッチングにより2値や3値などに離散化する,などの構成も提案されている.

 三つ目のアウトフェージング(3)では,まずディジタル変調波を二つの振幅変動のない位相変調波に分離し,それを各々飽和動作増幅器で増幅し,その後,合成回路により源信号を復元している.ここで,増幅器は常に飽和動作するため高効率動作となる.一方で,増幅後に元の信号を再現するために合成回路が必要となる.詳細は割愛するが,図1に示す出力合成回路では,各々相手側増幅器の出力インピーダンスが影響し合うように合成されており,更に,極性が異なり同じリアクタンスとなるコイル及びコンデンサを並列に接続することで,バックオフ領域で高効率となる工夫が施されている.

 以上,三つの構成について述べたが,これらの増幅器に共通しているのは負荷変調という動作である.トランジスタが高効率で動作するためには最適な負荷インピーダンスで出力を終端させる必要があるが,通常,これはある1点の電力レベルに限られるため,異なる2点などで各々高効率に動かすためには,何がしかの方法で等価的に負荷を変動させる必要があり,記載の構成はこれを実現している.

 ドハティ増幅器やアウトフェージング増幅器の原理は約90年前に提案されており,それが現在日の目を浴びていることは興味深い点であり,過去の偉業に対して頭が下がる思いである.しかしながら,性能改善などの技術に対する要求はまだまだ絶えず,近年,新しい負荷変調増幅器の提案などもなされているが,技術開発は継続中である.

文     献

(1) W.H. Doherty, “A new high efficiency power amplifier for modulated waves,” Proc. IRE, vol.24, no.9, pp.1163-1182, Sept. 1936.

(2) G.T. Watkins and K. Mimis, “How not to rely on Moore’s law : Low complexity envelope tracking amplifiers,” IEEE Microw. Mag., vol.19, no.4, pp.84-94, June 2018.

(3) H. Chireix, “High power outphasing modu-lation,” Proc. IRE, vol.23, no.11, pp.1370-1392, Nov. 1935.

(2023年10月18日受付) 


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