庄野 逸
少ない因子でビッグデータの本質を表す
スパースモデリングは,データの背後に潜む構造を少数の因子を用いて表現する手法である.本稿では,問題の定式化を行った後,この問題を解くための幾つかの手法の概略を述べるとともに,その手法の立ち位置の説明を行う.その上でOlshausen & Fieldが視覚の学習モデルとして提案した手法と,その発展形であるK-SVD法の説明を行う.
少ない因子でビッグデータの本質を表す
スパースモデリングは,データの背後に潜む構造を少数の因子を用いて表現する手法である.本稿では,問題の定式化を行った後,この問題を解くための幾つかの手法の概略を述べるとともに,その手法の立ち位置の説明を行う.その上でOlshausen & Fieldが視覚の学習モデルとして提案した手法と,その発展形であるK-SVD法の説明を行う.
新しい研究推進モデルと文化創造への道
技術は,科学とは違って元々社会と密接な関係にある.したがって,その指導原理である工学も,科学とは異なる独自の研究の進め方があっていい.その意味では,これからの工学は,未来へ向けて明確な意志を持ったウィル主導の研究,そして歴史に責任を持つ研究でなければならない.また,その方法論も,工学は元々創造型研究であって,科学のような探求型研究とは異なる独自のものがあっていい.ここでは,文化創造学を目指す工学独自の研究方法論として,従来のリニアモデルに代わるオープンスパイラルモデルを提案した.
現代社会における科学者の倫理的・法的・社会的問題
科学と技術(工学)とは,出自も知的構造もはっきりと違っていたが,主として20世紀における科学(の一部)の変質により,両者の間の壁は薄くなった.ただ,純粋に知的好奇心にのみ基づく知識の追求という科学本来の姿が失われたわけではない.ただ,技術との差が薄くなった部分では,科学研究のガヴァナンスが改めて問題になる.社会が,科学・技術の成果利用に関して,どのような新しい制度とガヴァナンスのシステムを構築できるか,それが未来社会の文化創造につながると確信する.
ことばの感性探求からコミュニケーション支援へ
ことば工学では,感性を扱う工学として活動を行っている.例えば,コンピュータで詩やだじゃれ,物語を作成(支援)したり,人間の芸術的,文化的活動の解析などを行っている.本稿では,ことば工学としての活動を俯瞰し,それによる「心の豊かさをもたらす」工学としての活動の可能性を示す.
パーソナルファブリケーションを後押しする
小形で安価なディジタル工作機械の出現によりパーソナルなものづくりが可能となった.これら工作機械を共有しコミュニティ形成を目指す実験工房として今世紀初頭に米国でファブラボが誕生した.そこではサービスの提供だけでなく,可能性を秘めた新しい技術をどのように生活に生かせるかを利用者が開拓している.更に農業,林業,介護などの地域の課題,社会的な問題に市民参加を促し取り組むデザイナーが出現している.新しい工作機械を開発するという研究課題も生まれる.そのような新しい価値創出の場としてのファブラボと大学の文化的な意義が期待される.
“形のない”人間の文化活動は記録できるのか?
有形無形の文化財・文化遺産をディジタル化し保存するというディジタルアーカイブの考え方・アプローチは様々である.保存という視点だけでなく,活用という視点,すなわち,伝統を能動的に見直し,今後も更に発展し続けるであろうディジタル技術を利用して,更なる文化創造へとつなげていくことも必要である.本稿では,祇園祭における山鉾巡行を対象とし,これにまつわる文化事象「コト」を記録するという,立命館大学で取り組んできた活動の考え方,および,今までに実現できたことなどを報告するとともに,記録としてのアーカイブだけではなく,創造のためのアーカイブの可能性について考える.
いつの時代も工学は文化創造学だった!
工学には二つの顔がある.一つは応用理学としての工学であるが,これは工学を方法論で定義している.一方で工学の目的は人の生活水準を向上させることであり,この立場から工学を定義すると,人間学,文化創造学となる.更には近代において工学は,工業生産学として発展してきた.それは,その時代において物質的な文化の創造が重要であり,それを工業が担ってきたからであるが,時代は変わりつつある.これからは,心の豊かさをもたらす文化を目指す工学,そして人々の創造的生活を支える工学として発展することが望まれる.